こんばんはPLせつなさん、三ノ輪車庫です。
ウーン、難しいですね。昭和40年代だと私は小・中学生。記憶があるのはH代車ですね。私が覚えているのはH代車で、この車が最後の「アポロ」装着車だと記憶しています。新谷町(現・南千住)の車に限ってお話しすると、K代車以降は三方シートで、前扉脇とその反対側(前輪のタイヤハウス上に前向きシートが設けられていて、ここは「特等席」と称してよく同級生と奪い合いをしたのを思えています。
H代車は扉側は中ドアまでクロスシートで、前輪のタイヤハウス上が1人掛け。
そこから後ろの中ドア側までが2人掛けだったと記憶しています。
オールクロスになったのは47年度車のZ401で、A代車の配置はなく、
B代車から本格的にオールクロスの時代になったと記憶しています。
この時飛び番で配置されたB529は2段窓の最初で、これ以降新谷町(南千住)にバス窓車が新製配置されることはありませんでした。
ほかに記憶がある事をこの機会に列記すると、H代やK代車のボタンは五角形の緑色の押しボタンで、下にある白いボタンを押すとブザーが「ブー」または
「ビー」と鳴り、放すと「ピンポン」と鳴るタイプでした。
「とまります」表示は運転台後部に1か所だけで、「つぎとまります」
と大きく表示されました。
R代車辺りからは、ブザー音が消え、押すと「ピンポン」と鳴るよう改められました。
音色が変わったのはW代車辺りからで、今も使用されているワイン色の表示で、ボタンの上部に「とまります」と書かれれている現在のタイプに近いものになりました。ボタン本体はRの付いた(角を丸めた)角形。ボタンも丸形で横から押すタイプで、
音は「ピー」っと甲高いブザー音になりました。
また、車内のウィンカー表示は緑色の丸い表示1個だけで、右折も、左折も同じランプが点滅していました。
そして、ハンドルとは非連動で、作動させるときも戻す時も手で白いレバーを操作していました。
これが連動式になったのも、左右の車内点滅が別になった時期も良く覚えていません。
運賃箱は当時、現金も回数券も同じ投入口に入れ、釣り銭がある時は、丸い筒の上にのせると運転手がそれを見て、払い出し機を操作して、手渡ししていました。
これが自動釣銭方式になったのはR代車からで、車内に大々的にポスターが貼られていたのを良く覚えています。
また、都電22番が廃止になってもしばらく東42系統は新谷町の所属で、
当時小学生だった私が「幻の系統」と呼んでいた東42系統の出庫便が浅草三丁目始発で、上46と同ルートを通り、南千住まで運行されていたので、乗り得バスでした。
バス停の時刻表には掲載されていなかったと記憶しています。
この出庫便も新谷町が廃止され、南千住へ移転されると共に廃止されてしまいました。
私の記憶ではこんなところです。
W代車以前は何年度の新製配置かあいまいなので、○○年度製という表記は控えさせていただきました。
ただ、Z代車が昭和47年(1972)年度車というのは間違いないようです。
この拙いお話がPLせつなさんの記憶をたどるのに少しでもお役にたてればと思い、投稿させていただきました。
本当に駄文で申し訳ありません。