▼PLせつなさん:
>▼R600さん:
>こんにちは。
>
>[都04]ですが、勝どき橋南詰は東京方面のみ停車のはずで、深川・江東時代にかかわらず豊海方面は通過であり、近年で停まったことはないように思います。理由については、おっしゃる通り、勝どき橋南詰から右折レーンに入るのが車線またぎで難しいというのがあるのでしょう。
こうしたレーンの大移動が理由で停留所が移動されたケースがあります。
私が知っているのはかつての東19(その後門19、今は海01)の豊洲埠頭(現、豊洲駅)です。当時は晴海通り上にある降車場(かつてはそのあたりに東15の東京駅八重洲口行の豊洲埠頭バス停があった)のちょっと東雲寄りにありました。当時、そこから東京駅南口(後に門仲までに短縮)に乗ると、隣の深川五中前(かつての東雲橋)みたく大きくレーンを移動しなければならないのですが、確か深川警察から言われて(だったと記憶しています)今の位置に移った記憶があります。
> もっとも、中には[都01]の溜池や[橋86]の広尾橋のように、発車直後に右折レーンへと車線大移動を行うものもあるので、やればできるのでしょうが、どうせ交差点を右折した直後に勝どき駅(勝どき2)に停車するので、特に不要と整理されていたのかもしれません。
勝鬨橋南詰の月島方向の場合、かつては勝どき駅がある交差点で右折をする業10も通過していました。それから察するに、東15以外の晴海方向に向かう系統は通過客と停車客の分散をしていた可能性も考えられますがどうなのでしょうか。
それと豊海方面は同停留所のすぐ前にも交差点があり、さらにその先の清澄通りとの交差点までの距離が短いためレーンの移動が難しいというのもありませんか。
話はそれますが、豊洲にあるバス停と東雲橋交差点〜ジャパンエアガシズ前のバス停は全て一度はバス停の改称をしているバス停がずらりと連続しますね。