早速の返信ありがとうございました。
それよりも前の話でしたか! それは失礼しました。ということで資料をあさって見ると、やはり存在していました。
S50.12.21 出入庫 2.030km 日暮里駅〜竜泉を開設
書類上では新谷町から南千住に変わったその日に開設されたことになっています。当初の[里23]の出入は竜泉ゆきとして設定されていたのでしょうね。(ペアになる出入庫は東武浅草駅〜錦糸町駅(3,100km)を開設となっています)
残念ながら、廃止はいつごろだったのかは分かりませんでした。出入の資料が極端に少なくなる昭和55年以降のことかもしれません。
逆に、新谷町時代は実際はどうだったのでしょうか。昭和50年12月21日では、告示として次の出入8系統が廃止されています。
新谷町車庫-根岸3-足立梅田町を廃止
新谷町車庫-南千住-汐入終点を廃止
新谷町車庫-押上-錦糸町駅を廃止
新谷町車庫-下谷3-日暮里駅を廃止
新谷町車庫-菊屋橋-浅草寿町を廃止
新谷町車庫-浅草六区-浅草寿町を廃止
新谷町車庫-中川大橋-金町駅を廃止
新谷町車庫-浅草5-南千住を廃止
上から順に、[草41]/[上46]/[里23]/[里23]/?/[草41]/?/[東42]
ということになるでしょうか。ただ実際は発言でおっしゃる通りだったとすると
新谷町車庫までは営業せず、実際は営業路線のあるところまで回送して、そこから営業していたのかもしれません。新谷町車庫前まで営業運転することがあったのかは実はよくわかっていないのですが、その辺りはいかがでしょうか。
[里22]の出入ですが、交通局の資料によればそのまま千住車庫〜亀戸駅、千住車庫〜日暮里駅となっています。ただし、昭和40年代中頃は三ノ輪橋〜亀戸駅、三ノ輪橋〜日暮里駅という運転をしていたようですので、実際は本線から外れるところで運行を打ち切っていたのかもしれません。