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実現しなかった構想ですが、昭和50年代の都心循環バス計画に以前から関心がありました。
鉄道ジャーナル6月号に「東京都交通局の過去の財政再建策の推移」と題する記事があり、この中にも触れられていました。
東京駅から京橋・新橋・赤坂見附・四谷・市ケ谷・神保町・淡路町・日本橋を回って東京駅に戻るルートに計29の停留所を設け、郊外からの長大系統をこの循環バスに接続させる計画だったようですが、乗り継ぎ施設整備が困難なこととバスレーンの終日実施が出来ないことから実現しなかったことが記載されております。
もし、この都心循環バス構想が実現していれば、現在のバス路線形態も相当に違っていたものになっていたでしょう。
都心に現在まで残っている系統は、相互の接続性が考慮されておらずネットワークとして利用しにくい面もあらますので、形は当時のものとは異なっても、頻回運行して各系統と接続する循環バスがあれば、と思っているのですが…。
当時の都心循環バス構想について詳しくご存じの方がおられましたらアドバイスお願いします。
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<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy105.docomo.ne.jp>
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PLせつな
- 05/5/7(土) 3:48 -
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初めまして。
「都心循環線」の構想、確かに存在しました。昭和50年代の都営交通再建の
最初の案(昭和51年秋)に出てきた路線で、おっしゃる通りの循環線を
新設するというものです。これだけならば便利になるかもというものですが、
実はこれと同時にそれより内側に入る長大路線は原則としてカット、
また相互乗り入れ路線は原則として全廃、1つの通りに複数の系統を走らせない
というかなり原理主義的な計画でした。
詳しくは
http://pluto.pobox.ne.jp/toshin_loop.gif
をご覧ください。
色文字の停留所は鉄道連絡を示します。合計29の停留所で、東京駅八重洲口発着の
循環線を形成しますが、停留所が29箇所ということでそのまま当時の停留所に
あてはめると1つ少なくなるので、銀座の停留所を統合する計画だったの
ではないかと思います。あと当時だと「市ヶ谷見附」「四谷駅西口」停留所も
経路上に存在しましたが、それらは無停車のようですね。
同時実施予定の短縮・廃止系統を見ると分かりますが、とにかくメッタ切りです。
[草63][草64]すら短縮、[王78][学06][四92]も廃止というのは今から考えると
けっこう恐ろしい計画です。国鉄赤字線廃止と似た面もありますが……
ただ、このときのこの計画が都心循環線関連だけでも実施されていたとしたら、
路線網は相当に違ったものになっていたのでしょうね。
結局、この計画はなくなり、昭和52年12月の再編成では明らかな赤字路線のみを
切捨て、以後昭和53年・54年・57年と段階的に実施していきました。
「1つの通りに系統1本に集約化」というのはこれらの改編で中途半端に
実施されて残りはそのままとなり、今の路線網が存在するわけです。
ただ、路線がなくなるだけで、残った路線の経路変更がほとんどなされなかったと
いうのは今ひとつ謎でした。
日の丸が走らせる丸ノ内シャトルやメトロリンクなど、局地的にこの志を継ぐ
路線はありますが、地下鉄や鉄道とこれらとの乗り換えがしやすいかと言うと
厳しいですね。既存の停留所は使えていないですし、不便なところもあります。
あとはルートだけで言えば、千代田区のコミュニティバス「風ぐるま」が割と
いい感じなのですが、いかんせん扱いが福祉タクシー級なので一般人には
使いにくいです。
移動には地下鉄を乗り継げ、というのはなかなか変わらないのでしょうね。
新宿線・東西線・半蔵門線と、東西を結ぶ路線と山手線との乗り換えが
直結していないというのが個人的には残念なところであります。
#ここで力尽きたので残りのツリーの返事はまた後で…
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@cj77.opt2.point.ne.jp>
▼PLせつなさん:
早速のレス感謝です。
1道路に数系統が重なって走っていた時代に、1道路は1系統に限定するとか、学06・王78廃止、草63短縮、相互乗入系統全廃など、ずいぶん大胆なプランだったのですね。
手入れ対象の草63は、客の入れ替りが激しく、全線にわたって途切れることのない満遍ない利用がありますし、東98は分断地点と予想される目黒駅前を通過するあたりが最も乗車率が高いように感じます。
循環バスが実現しなかったために、これら系統が生き延びたことを考えると、一長一短があって、循環バスの是非は論じることはむずかしいようですね。
大多数の系統が日中5分〜15分間隔で運行していた時代のこと、特別扱いとなる循環バスは相当数の車を投入して頻回運行を計画していたのでしょう。
都営新宿線や有楽町線が近い将来開業することを見込んでも、なお鉄道と重複する系統を計画するあたりは、現在交通局と路線維持の在り方に対する考え方の相違が読み取れて面白いですね。
幻に終わった都心循環バス構想について、大変参考になる解説、ありがとうございました。
62 hits
<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy112.docomo.ne.jp>
皇居のまわりを一周する循環バスを東京都が計画していることは、中学生だった昭和52〜53年頃、友人から聞いたことがあります。
管理人様から詳しい資料付きの回答が出ておりますが、夢十夜さんのおっしゃるように、かなり大胆な計画だったと言えます。
現在でも客が多く混雑する〔草63〕〔草64〕の短縮等、個々の系統への対応は別として、当時の都営バスは明確な将来展望を見据えた上で事業展開していたように感じます。
『一道路一路線の下、最寄りターミナルへの直結を図る』
『一路線は残しバス道路は極力消滅させない』
『事業規模を大幅に縮小させつつも残存系統は増強し、待たずに乗れるバスを指向する』
といったところでしょうか。
この志は後代に継承されず、管理人様ご指摘のように一道路に複数系統残ったり、廃止路線に対する他系統の経路変更がなくバス道路が消滅したり、の状態になってしまいました。
どのようなビジョンを描いて路線改編を行なっているのか、その方針が不明確なようで残念です。
お話のように、この循環ルートに、バスレーンを終日実施して定時性を確保し、高密度運行を実施して間断なくバスを走らせれば、鉄道代替線的な基幹系統として利用が定着し、バス復権に大きく貢献したかも知れません。
個人的な感想としては、この循環バス、試行運行し、不都合な点は逐次改良し、バスの活性化につなげてほしかったですね。
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<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy103.docomo.ne.jp>
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グリーンスカイ
- 05/5/10(火) 13:20 -
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はじめてお便りします。
▼T君さん:
>当時の都営バスは明確な将来展望を見据えた上で事業展開していたように感じます。
>
> 『一道路一路線の下、最寄りターミナルへの直結を図る』
>『一路線は残しバス道路は極力消滅させない』
>『事業規模を大幅に縮小させつつも残存系統は増強し、待たずに乗れるバスを指向する』
>といったところでしょうか。
本当に交通サービスの基本ともいえる、都バスの未来図をしっかり掲げていましたね。
>
> この志は後代に継承されず、管理人様ご指摘のように一道路に複数系統残ったり、廃止路線に対する他系統の経路変更がなくバス道路が消滅したり、の状態になってしまいました。
>> どのようなビジョンを描いて路線改編を行なっているのか、その方針が不明確なようで残念です。
過去の大規模な整理短縮で、もはや改編できる系統が少なくなり、廃止・短縮等は都民の抵抗が予想されることから、減便を繰り返して事業の縮小を行っていると思います。
将来の方向付けよりも、当面の赤字を出さない事が先決で、場当たり的な対応になっているのかも知れません。
>
> お話のように、この循環ルートに、バスレーンを終日実施して定時性を確保し、高密度運行を実施して間断なくバスを走らせれば、鉄道代替線的な基幹系統として利用が定着し、バス復権に大きく貢献したかも知れません。
>
高71・飯64は元々東京駅始発でしたよね。
今後も経営が好転する見通しがないことから、東43は駒込病院で、東42は浅草橋・東神田で切られるかも知れません。
かりに存続したとしても東京駅まで来るのは、反94や東22乙のように極端に少なくなることも予想されます。
こうしたことを考えると、都心部各鉄道と有機的に結節する都心循環バスは現在でも必要かもしれません。
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@gate2.sumitomo-rd.co.jp>
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PLせつな
- 05/5/10(火) 22:05 -
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1道路1路線というのは、分かりやすいといえば分かりやすいですが
結局それを推し進めたとしても最終的には失敗したのではと思います。
バスはたいていの道路を走れ、鉄道よりも機動性が高くこまめな需要を
拾い上げることができますが、反面、路線間の乗り換えというのには
路線がどうなっているか分かりにくいなど、鉄道よりも抵抗が大きいと
思われます。
「バスだからこそできる直通サービス」や要望を受けて[錦18]などが
誕生したのでしょうし……
都心循環線はバスレーンがなかったとしたら、一周何分かかるか
分からないでしょうし、構想はすばらしいのですが実現性を考えると
ちょっとバスには壮大すぎた気がします。
こういうサービスは中量輸送である路面電車クラスの機関があったならば、
もしかしたらできたかもしれませんね。
都電の須田町は乗り換えの盛んな一大ターミナルでしたが、代替後のバスの
須田町は次々と路線撤退が続いてしまったことが一つのヒントになるのでは
ないかと思います。
ただ、グリーンスカイさんの(はじめまして)
>将来の方向付けよりも、当面の赤字を出さない事が先決で、場当たり的な
>対応になっているのかも知れません。
という意見には非常に同意できます。
現在に至るまでの都営バスの路線改編の問題点はいくつかあるように思って
います。
●昭和20〜30年代からの東京駅路線一極集中構造以降、路線を廃止する
ばかりで残った路線をあまりいじらなかったこと
●地下鉄−バス乗り継ぎの設定がされなかったこと
●覚えやすいダイヤについてあまり考えられず、またダイヤ(増便の場合は
特に)についてのPRがほとんどなされなかったこと
一番最初に関連するのですが、山手線内では地下鉄が発展しましたし、
もっと大胆な路線の組み換えをやってもよかったのではないかな、と
思っています。
62 hits
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@cj77.opt2.point.ne.jp>
初めててすがよろしく。
昭和50年代に大学のゼミの仲間と、交通局をお尋ねし、財政再建について伺ったことがありました。
都バスに関しては一道路一路線と都心環状バス計画の話がありました。
当時の路線数の多さから、雲をつかむような話で信じられない思いで伺ったものです。
回数については、10分や15分間隔では都市交通機関として失格であり、原則として地下鉄や国電並みの5〜6分間隔の運行を目指したい、と話していました。
あれから25年以上経ち、路線削減は進みましたが、便数は逆に削減が進む一方で非常に残念に思っております。
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<DoCoMo/1.0/F212i/c10/TB@proxy112.docomo.ne.jp>
前の投稿との関連になりますが、昭和50年代に連続して実施した自主財政再建計画が、赤字体質とはいえ現在の安定した経営基盤を築いていると言えないでしょうか?
巨額の赤字に苦しみ、第二の国鉄とまで言われていた都営交通ですが、よく再建出来たものと感心します。
循環バスは、例え実現しても現在まで存続したでしょうか。 開設当時は数分間隔の頻繁運行でも、現在の交通局担当者の手法では都03のように大幅減回で機能が骨抜きにされていたかもしれないと私には思えるのですが。
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<DoCoMo/1.0/F212i/c10/TB@proxy165.docomo.ne.jp>
▼MILKさん:
>昭和50年代に大学のゼミの仲間と、交通局をお尋ねし、財政再建について伺ったことがありました。
>都バスに関しては一道路一路線と都心環状バス計画の話がありました。
>当時の路線数の多さから、雲をつかむような話で信じられない思いで伺ったものです。
>回数については、10分や15分間隔では都市交通機関として失格であり、原則として地下鉄や国電並みの5〜6分間隔の運行を目指したい、と話していました。
>あれから25年以上経ち、路線削減は進みましたが、便数は逆に削減が進む一方で非常に残念に思っております。
こんにちは。
久しぶりの書き込みになります。
私は、この都心環状バス構想は知りませんでした。
が、この時代に橋63系統が短縮の上、経路変更され四谷駅前が終点になると、何となく聞いており、地元の商店などでも会話になっていたので、路線改編案を地元に公表していたのでしょうか?
これは、市ヶ谷駅では折り返し困難なため、四ツ谷駅発着に変更して、都心環状バスに結節する考えだったのでしょうか?
それにしても、この都心環状バスは、運賃は一般の都バスと同じなのか? 他系統から乗り継ぐ場合に割引があったのか? いろいろ気になるところです。
同じ橋63沿線から新橋に向かうにしても、現在の20分強の運転間隔のバスで
乗り換えなしで行くよりも、1度乗換えが加わっても、橋63も環状バスも5〜6分間隔なら、トータル所要時間も短縮され、便利かも。
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)@lo114.042.geragera.co.jp>