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【16870】昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/12(日) 4:20
【16871】Re:昭和40年代車のシート配置 三ノ輪車庫 12/2/12(日) 20:21
【16872】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/12(日) 21:55
【16877】Re:昭和40年代車のシート配置 ねこまた 12/2/15(水) 1:13
【16879】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/15(水) 20:31
【16882】Re:昭和40年代車のシート配置 ねこまた 12/2/17(金) 3:37
【16878】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/15(水) 20:25
【16873】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/12(日) 22:08
【16883】Re:昭和40年代車のシート配置 ねこまた 12/2/17(金) 3:56
【16904】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/22(水) 2:47
【16887】Re:昭和40年代車のシート配置 三ノ輪車庫 12/2/18(土) 11:44
【16905】Re:昭和40年代車のシート配置 PLせつな 12/2/22(水) 2:53
【16913】Re:昭和40年代車のシート配置 三ノ輪車庫 12/2/24(金) 23:18

【16870】昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/12(日) 4:20 -
こんにちは。

これは、もはや知っている方がいるか、相当難しそうですが……

昭和42年度(NP代)から原則としてシート配置が混雑対応を主眼としたロングシート主体の三方シートになりましたが、それ以前の車はいくつかの配置が車庫・代によって異なって入っていました。(昭和35年度からのようです)

資料には以下の単語だけが残っています。

・基準型シート
三方シート車を除く下記以外

・セミロマンスシート
堀ノ内(杉並)・新宿・品川(日野/富士のK534〜544)

・変則セミロマンスシート
堀ノ内(杉並)
※昭和38年度の試作ワンマン車(G代)が相当

これらの指し示す形、というのがよく分かっていません。

・三方シートは基本的にロングですが、前向き座席の部分というのは最前列付近にあった?(ような気がするけど記憶があいまい)

・セミロマンスシート……ロマンスシートとあるので二人掛け座席もあり。
 後部は右側二人掛け、左側一人掛けの前向き座席?

・変則セミロマンスシート…後部は右側一人掛け、左側二人掛けの前向き座席?

・基準型シート……これ以外の配置??
 前向き+三方シートとか?

もしご存知の方がいましたら、ご教示くださいませ。

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【16871】Re:昭和40年代車のシート配置
 三ノ輪車庫  - 12/2/12(日) 20:21 -
こんばんはPLせつなさん、三ノ輪車庫です。
 ウーン、難しいですね。昭和40年代だと私は小・中学生。記憶があるのはH代車ですね。私が覚えているのはH代車で、この車が最後の「アポロ」装着車だと記憶しています。新谷町(現・南千住)の車に限ってお話しすると、K代車以降は三方シートで、前扉脇とその反対側(前輪のタイヤハウス上に前向きシートが設けられていて、ここは「特等席」と称してよく同級生と奪い合いをしたのを思えています。
 H代車は扉側は中ドアまでクロスシートで、前輪のタイヤハウス上が1人掛け。
そこから後ろの中ドア側までが2人掛けだったと記憶しています。
 
 オールクロスになったのは47年度車のZ401で、A代車の配置はなく、
B代車から本格的にオールクロスの時代になったと記憶しています。
 この時飛び番で配置されたB529は2段窓の最初で、これ以降新谷町(南千住)にバス窓車が新製配置されることはありませんでした。
 
 ほかに記憶がある事をこの機会に列記すると、H代やK代車のボタンは五角形の緑色の押しボタンで、下にある白いボタンを押すとブザーが「ブー」または
「ビー」と鳴り、放すと「ピンポン」と鳴るタイプでした。
 「とまります」表示は運転台後部に1か所だけで、「つぎとまります」
 と大きく表示されました。
 R代車辺りからは、ブザー音が消え、押すと「ピンポン」と鳴るよう改められました。
 音色が変わったのはW代車辺りからで、今も使用されているワイン色の表示で、ボタンの上部に「とまります」と書かれれている現在のタイプに近いものになりました。ボタン本体はRの付いた(角を丸めた)角形。ボタンも丸形で横から押すタイプで、
音は「ピー」っと甲高いブザー音になりました。

 また、車内のウィンカー表示は緑色の丸い表示1個だけで、右折も、左折も同じランプが点滅していました。
 そして、ハンドルとは非連動で、作動させるときも戻す時も手で白いレバーを操作していました。
 これが連動式になったのも、左右の車内点滅が別になった時期も良く覚えていません。
 運賃箱は当時、現金も回数券も同じ投入口に入れ、釣り銭がある時は、丸い筒の上にのせると運転手がそれを見て、払い出し機を操作して、手渡ししていました。
 
 これが自動釣銭方式になったのはR代車からで、車内に大々的にポスターが貼られていたのを良く覚えています。

 また、都電22番が廃止になってもしばらく東42系統は新谷町の所属で、
当時小学生だった私が「幻の系統」と呼んでいた東42系統の出庫便が浅草三丁目始発で、上46と同ルートを通り、南千住まで運行されていたので、乗り得バスでした。
 バス停の時刻表には掲載されていなかったと記憶しています。
 この出庫便も新谷町が廃止され、南千住へ移転されると共に廃止されてしまいました。
 私の記憶ではこんなところです。
 W代車以前は何年度の新製配置かあいまいなので、○○年度製という表記は控えさせていただきました。
 ただ、Z代車が昭和47年(1972)年度車というのは間違いないようです。

 この拙いお話がPLせつなさんの記憶をたどるのに少しでもお役にたてればと思い、投稿させていただきました。
 本当に駄文で申し訳ありません。

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【16872】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/12(日) 21:55 -
ありがとうございます。

とりあえず、新谷町に初期配置された車について書き出してみます。

H501〜507 呉羽ボディ MR480 昭和40年1月入籍 基準型シート
H632〜647 呉羽ボディ MR480 昭和40年3月入籍 基準型シート
K401〜406 呉羽ボディ MR480 昭和40年7月入籍 三方シート
K545〜565 呉羽ボディ MR480 昭和40年12月入籍 三方シート
M682〜685 呉羽ボディ MR480 昭和41年7月入籍 三方シート
M451〜468 呉羽ボディ MR480 昭和42年3月入籍 三方シート
R570〜580 三菱ボディ MR410 昭和43年6月入籍 三方シート
W607〜612 呉羽ボディ MR410 昭和45年10月入籍 三方シート
W613〜626 三菱ボディ MR410 昭和45年10月入籍 三方シート
W512〜516 三菱ボディ MR410 昭和46年2月入籍 三方シート

つまり、K代以降は全車「三方シート」だったことになります。
これは記憶と合致しますね。H代は「基準型シート」なので、

>H代車は扉側は中ドアまでクロスシートで、前輪のタイヤハウス上が1人掛け。
>そこから後ろの中ドア側までが2人掛けだったと記憶しています。

つまり、
・中ドアより前側は左右ともに前向き2人座席、タイヤハウス上のみ前向き1人座席
・中ドアより後ろ側は左(扉側)が前向き2人座席、右(運転席)側が前向き1人座席

ということでしょうか(解釈が間違っていたらすみません)

>ほかに記憶がある事をこの機会に列記すると、H代やK代車のボタンは五角形の
>緑色の押しボタンで、下にある白いボタンを押すとブザーが「ブー」または

これは、表面に押しボタンがついているタイプか、それとも下にボタンが出っ張っていて、上に押し込んで知らせるタイプか、どちらだったでしょうか。

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【16873】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/12(日) 22:08 -
すみません、都筑です。

> また、車内のウィンカー表示は緑色の丸い表示1個だけで、右折も、左折も同じランプが点滅していました。
> そして、ハンドルとは非連動で、作動させるときも戻す時も手で白いレバーを操作していました。
> これが連動式になったのも、左右の車内点滅が別になった時期も良く覚えていません。

→都バス70年史を参考にすると、以下のような変更になっています。
昭和40年度(K)……点滅式の方向指示器を装備
昭和41年度(M)……降車ブザーと連動した「つぎとまります」表示を採用
昭和43年度(RS)……自動つり銭式料金収納機を採用、側面行き先表示幕を中扉上から前側に移設(S代〜)、扉脇のワンマン入口/出口表示が幕からプレートに(S代後期〜)。
昭和44年度(TV)……車掌席の扉スイッチが簡素化され、中扉の半開き構造を廃止。温水式デフロスタを採用。降車ボタンにメモリー式押しボタンを採用。車内照明を4灯とする。車内時計にスポンサー付きのものを採用。前面幕の巻き取りハンドルを右側に移設

以前は左右の車内点滅はひとつで済まされていたのですね。
多分この時期で変更になったのは間違いないと思うのですが……

> 運賃箱は当時、現金も回数券も同じ投入口に入れ、釣り銭がある時は、丸い筒の上にのせると運転手がそれを見て、払い出し機を操作して、手渡ししていました。

払い出し機は別にあって(切符窓口にあるような、10円・50円・100円が小さな筒に入ってきて下のレバーを押すと1枚ずつ出てくるやつでしょうか?)、丸い筒は単なる運賃を収納する箱、だったのでしょうかね。

> また、都電22番が廃止になってもしばらく東42系統は新谷町の所属で、
>当時小学生だった私が「幻の系統」と呼んでいた東42系統の出庫便が浅草三丁目始発で、上46と同ルートを通り、南千住まで運行されていたので、乗り得バスでした。

これがあったか、ということで調べてみると、運輸統計年報に
S46. 3. 18 [522折]…入谷二丁目〜南千住を開設
となっています。入谷二丁目ということは新谷町車庫の前ですが、停留所の位置の都合で、南千住方面は浅草三丁目始発だったのかもしれません。ちゃんと運行されていたんですね。隅田公園で本線に合流、という感じです。

ちなみに、この都電廃止から南千住営業所が移転してくるまで、千住の分車庫自体は敷地内にあったようですが、新谷町持ちだった[東42]は南千住は単純に折り返す場所というか滞泊はしない終点くらいで、あくまで本拠は新谷町車庫だったのかが少し気になっています。そこのところは何か記憶にあるでしょうか……。

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【16877】Re:昭和40年代車のシート配置
 ねこまた  - 12/2/15(水) 1:13 -
▼PLせつなさん:

古い話が出てきましたので、参入してみたいと思います。

>>H代車は扉側は中ドアまでクロスシートで、前輪のタイヤハウス上が1人掛け。
>>そこから後ろの中ドア側までが2人掛けだったと記憶しています。
>
>つまり、
>・中ドアより前側は左右ともに前向き2人座席、タイヤハウス上のみ前向き1人座席
>・中ドアより後ろ側は左(扉側)が前向き2人座席、右(運転席)側が前向き1人座席
>
>ということでしょうか(解釈が間違っていたらすみません)

地元の江東・R江戸川のH代車に関しては、中ドアより後ろはロングシート
・ただし最後列の一つ前に再び前向き二人掛けが左右に並ぶ、という配置だった
ように記憶しています。
中ドアより前方については、公式側最前部のみ一人掛け・あとはすべて二人掛け
という配置でした。
K代車になって、クロスシートが最前部と最後部だけになりましたが、運転席直後の非公式側最前部は二人掛けだったと記憶しています。

>>ほかに記憶がある事をこの機会に列記すると、H代やK代車のボタンは五角形の
>>緑色の押しボタンで、下にある白いボタンを押すとブザーが「ブー」または
>
>これは、表面に押しボタンがついているタイプか、それとも下にボタンが出っ張っていて、上に押し込んで知らせるタイプか、どちらだったでしょうか。

これは、下に出っ張っているタイプです。T代まではこの形だったと思います

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【16878】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/15(水) 20:25 -
「セミロマンスシート」については、探してみたら交通局60年史に記述がありました。

「セミロマンスを路線バスに採用したのは当局では今回が初めてで、混雑時の収容力を考慮して、いすゞ、民生にそれぞれ異なったシートの配列を試作して、いすゞ14両は新宿車庫へ、民生は品川と練馬へ各7両宛配置したが一般に好評である」

とすると、
基準型シート…2+2、現在のワンロマに相当しそうな座席メイン
セミロマンスシート…1+2もしくは2+1

と考えるのが良さそうです。バスの役割の変化に合わせて、少しずつ車内収容力を高めた車を入れていった、ということになりそうですね。

ただ、詳細な部分は謎が多いです。。

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【16879】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/15(水) 20:31 -
▼ねこまたさん:
返信ありがとうございます。


>地元の江東・R江戸川のH代車に関しては、中ドアより後ろはロングシート
>・ただし最後列の一つ前に再び前向き二人掛けが左右に並ぶ、という配置だった
>ように記憶しています。
>中ドアより前方については、公式側最前部のみ一人掛け・あとはすべて二人掛け
>という配置でした。
>K代車になって、クロスシートが最前部と最後部だけになりましたが、運転席直後の非公式側最前部は二人掛けだったと記憶しています。

江戸川の入籍は、以下の通りです。

H461〜467 いすゞ/川航 BA741 S40.2入籍 基準型シート
H602〜604 いすゞ/川航 BA741 S40.3入籍 基準型シート
K689〜699,400 いすゞ/川航 BA741 S40.7入籍 三方シート
K566〜573 いすゞ/富士 BA741 S41.2入籍 三方シート

M代は末期のS52.12に大塚から転入した一群(M528〜537)がありますが、H・K代は
生え抜きのみなので混在はしていません。
このM代(M528〜537)は「基準型シート」となっています。

少なくとも、この江戸川のH代の「基準型シート」は、中ドア〜最後部の一つ前までがロングシートだったのですね。別の配置だったのが後から改造された、という記憶も特にないでしょうか。


>>これは、表面に押しボタンがついているタイプか、それとも下にボタンが出っ張っていて、上に押し込んで知らせるタイプか、どちらだったでしょうか。
>
>これは、下に出っ張っているタイプです。T代まではこの形だったと思います

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【16882】Re:昭和40年代車のシート配置
 ねこまた  - 12/2/17(金) 3:37 -
▼PLせつなさん:
>少なくとも、この江戸川のH代の「基準型シート」は、中ドア〜最後部の一つ前までがロングシートだったのですね。別の配置だったのが後から改造された、という記憶も特にないでしょうか。

はい、改造された、という覚えはありませんよ。

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【16883】Re:昭和40年代車のシート配置
 ねこまた  - 12/2/17(金) 3:56 -
▼PLせつなさん:

方向指示器のことで思い出したことがありましたので記します。

>→都バス70年史を参考にすると、以下のような変更になっています。
>昭和40年度(K)……点滅式の方向指示器を装備

上記K代に先立って、G代前期のツーマン車の一部で点滅式が試用されています。
車号がわかっているのは、L-G261(日デ/富士重)とR-G194(いすゞ/川崎/)の二台だけですが、他の営業所にもいたと思います。
二代目G代で冷房試作車が各営業所に二台ずつ配置されたのと同じような感じだったのでは、と思います。

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【16887】Re:昭和40年代車のシート配置
 三ノ輪車庫 E-MAIL  - 12/2/18(土) 11:44 -
▼PLせつなさん:

>→都バス70年史を参考にすると、以下のような変更になっています。
>昭和40年度(K)……点滅式の方向指示器を装備
>昭和41年度(M)……降車ブザーと連動した「つぎとまります」表示を採用
>昭和43年度(RS)……自動つり銭式料金収納機を採用、側面行き先表示幕を中扉上から前側に移設(S代〜)、扉脇のワンマン入口/出口表示が幕からプレートに(S代後期〜)。
>昭和44年度(TV)……車掌席の扉スイッチが簡素化され、中扉の半開き構造を廃止。温水式デフロスタを採用。降車ボタンにメモリー式押しボタンを採用。車内照明を4灯とする。車内時計にスポンサー付きのものを採用。前面幕の巻き取りハンドルを右側に移設
>
>以前は左右の車内点滅はひとつで済まされていたのですね。
>多分この時期で変更になったのは間違いないと思うのですが……

PLせつなさん、ねこまたさん、詳しい情報をいただきありがとうございます。
当時の運賃箱はただの直方体の箱で、現金も回数券も同じ投入口に入れていて、少し溜まったら運転手がレバーで底板を回転させて下にある収納箱に落とす方式をとっていました。
 したがって丸い筒は釣り銭の払い出し専用機で、上部の皿に50円玉や100円玉を置くと、それを見て必要な釣り銭を払い出す方式でした。
 当時は大人運賃が30円くらいでしたから、子供運賃のために、5円玉も払い出し機に仕込んであったかと思われます。

 降車ボタンについては調べていたらすごいサイトを見つけました。
 その名も「つぎとまります」です。
 URLを入力するより「つぎとまります」で検索したほうがはるかに早いかもしれません。
 このサイトは降車ボタンや運転手用の降車ランプなどが大量に見られるサイトで、私も驚きました。今年になってからの更新はないようですが、降車ボタンについては参考になるかと思います。
>
>これがあったか、ということで調べてみると、運輸統計年報に
>S46. 3. 18 [522折]…入谷二丁目〜南千住を開設
>となっています。入谷二丁目ということは新谷町車庫の前ですが、停留所の位置の都合で、南千住方面は浅草三丁目始発だったのかもしれません。ちゃんと運行されていたんですね。隅田公園で本線に合流、という感じです。

 この522番折返系統は出庫専用だったようで、南千住からの入庫系統は見たことがありません。運行ルートは隅田公園経由ではなく、浅草五丁目・吉原大門経由で、清川二丁目で本線に合流といった感じでした。大体16番(上46)の続行で運転されていましたが、時刻表に表示されていなかったために、西浅草の交差点を凝視していて、三文字の幕を見たら喜んだものです。

 また、当時千住の分車庫があったのはご存じのとおりですが、522番に関しては、あくまで操車場、折り返し場として使用していて、夜間滞泊などはなかったと記憶しています。入庫は16番とともに新谷町まで回送していたのではないかと思います。
 当時の千住営業所南千住分車庫は12番(里22)、521番(秋47)、531番(東40)が所属していました。
>
 車掌のドアハンドルは開・半開・閉の三段階のときは回転式だったと記憶していますが、半開動作の廃止と運転手用と共通のレバー式になったのは同時だったのでしょうね。車掌席は狭いので取り付け方法が違うので前後ではなく上下式でした。

 また、車内のウィンカー表示は左右別々になった時期は覚えていませんが、当初は左折用と右折用の表示ランプが中央に寄っていてどちらが付いているのか運転手にも分かりにくい構造でしたが、
 いつのころからか、両端に移動してわかりやすくなりました。移動した時期も覚えていません。
 長文の上、返信が遅れました事、お詫びいたします。

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【16904】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/22(水) 2:47 -
▼ねこまたさん:
>▼PLせつなさん:
>
>上記K代に先立って、G代前期のツーマン車の一部で点滅式が試用されています。
>車号がわかっているのは、L-G261(日デ/富士重)とR-G194(いすゞ/川崎/)の二台だけですが、他の営業所にもいたと思います。

ありがとうございます。
当時から試作を平等に各車庫……という考えでやっていたのでしょうね。
この辺りの装備の変遷もマジメに追ってみたいところですが、いかんせん資料が不足しています…。

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【16905】Re:昭和40年代車のシート配置
 PLせつな E-MAIL  - 12/2/22(水) 2:53 -
▼三ノ輪車庫さん:
>▼PLせつなさん:
>
>
> この522番折返系統は出庫専用だったようで、南千住からの入庫系統は見たことがありません。運行ルートは隅田公園経由ではなく、浅草五丁目・吉原大門経由で、清川二丁目で本線に合流といった感じでした。大体16番(上46)の続行で運転されていましたが、時刻表に表示されていなかったために、西浅草の交差点を凝視していて、三文字の幕を見たら喜んだものです。

何と、それはノーマークの経路でした。[上46]の千束の商店街から吉原大門を抜けるルートでの運転だったのですね。後発で開通した系統ゆえ、隅田公園の右折規制に引っ掛からないような経路にしたのかもしれません。
[522]はそうすると夜間滞泊なしで折り返していただけですね。
当時は[16]の入庫も新谷町行きではなく、汐入終点→新谷町まで回送していたのかが謎です。

ちなみに、千住の分車庫は、敷地にどのような形であったかご存知でしょうか。単純に、今の南千住の敷地と同じところを使っていただけでしょうか。(当時は都営アパートがなかったとは思いますが)

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【16913】Re:昭和40年代車のシート配置
 三ノ輪車庫 E-MAIL  - 12/2/24(金) 23:18 -
▼PLせつなさん:
>
>ちなみに、千住の分車庫は、敷地にどのような形であったかご存知でしょうか。単純に、今の南千住の敷地と同じところを使っていただけでしょうか。(当時は都営アパートがなかったとは思いますが)
  
 返信が遅くなり申し訳ありません。この一件は良く覚えていないのでウィキペディアで追っかけてみました。
 まず、都電22番の廃止は昭和46(1971)年3月18日ということで、同系統の単独所管だった南千住電車営業所は、この日をもって廃止されたことになります。
 そして、現在南千住自動車営業所の敷地に建つ都営住宅は、「都営南千住二丁目アパート」と称し、完成が昭和46年となっていました。

 この昭和46年というのが曲者で、その先を調べることは出来ませんでしたが、
都電が現役のときには都営住宅は建っていなかったので、南千住電車営業所の廃止とともに完成したのか、最大9カ月近いブランクがあったかは私もわかりません。

 ただ、千住自動車営業所南千住分車庫として使用され始めたころは、線路もきれいに無くなって電車営業所の敷地すべてがバスに車庫になっていたとお考えになってよろしいかと思います。
 そして、南千住分車庫の事務所は昭和46年完成の都営アパートの1階にあったとお考えになってよろしいかと思います。

 私の記憶でも、サイトの記録でもバスの車庫=都営住宅は完成しているという図式しか見当たりません。

 ただ、禅問答のようですが、昭和46年は当然ながら12月31日まであります。  都電の廃止は3月18日です。この間に都営住宅が完成していたかどうか。そこが謎です。
 なお。南千住電車営業所時代の事務所(乗務員詰所?)は木造だった記憶があります。
 記憶があいまいなままでは申し訳ないので、ウィキぺディアの力を借りて見ましたが、私の記憶はここまでで限界です。 申し訳ありません。

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