情報交換・投稿・交流のための掲示板・第3版です。
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日野石田
- 06/2/22(水) 21:12 -
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確か上野〜浅草間ではロンドンバスを輸入して運行していたようで、自分は幼少期であった1978年ごろ運行されていた上野〜浅草間のロンドンバスに乗車した覚えがあります。この車輌は後にサマーランドに移籍し、しばらく現地で活躍していました。そして更に古い資料では昭和40年ごろ、区間は不明ですが資料がありました。これらの車輌は都営が輸入したものだったのでしょうか、もしそうなら車番はどのように冠されていたのでしょうか。
そして1980年代から運行されていた車輌ではH101〜103と冠されていたようですがこれは購入年度でしょうか、それとも千住の営業所の意味だったのでしょうか?
次いでミニバスではA???(番号を忘れた)と表示されていたようで、こちらもやはり品川の所属かそれとも購入年度なのか気になりますが果たしてどっちなのでしょうか?
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お好み玉子
- 06/2/24(金) 13:19 -
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初めまして、
▼日野石田さん:
>これらの車輌は都営が輸入したものだったのでしょうか、もしそうなら車番はどのように冠されていたのでしょうか。
このバスは、1978年10月に浅草寺開祖1350年記念として台東区が企画・輸入・購入し、交通局が委託運行したものです。
私も車番を確認しておらず、申し訳ございません。
この車輌はオーストラリア製1972年式で輸入後は南千住営業所に2台配属され、登録ナンバーは、足立22か14−50・14−51です。
('72年式であっても、登録が'78年だからもし、局番が存在するのなら
“F”だと思います。)
>そして1980年代から運行されていた車輌ではH101〜103と冠されていたようですがこれは購入年度でしょうか、それとも千住の営業所の意味だったのでしょうか?
この場合、営業所記号を省くことがあり、一般乗合車の後面同様、
登録年+局番です。この車輌は、1981年4月に運行開始しましたが、
1980年度の資金で購入したため、“H”が付けられたのです。
所属は、南千住です。
>次いでミニバスではA???(番号を忘れた)と表示されていたようで、こちらもやはり品川の所属かそれとも購入年度なのか気になりますが果たしてどっちなのでしょうか?
これも上記と同じで、登録年です。
この車輌は、都心の業務交通の吸収と交通公害の減少等を目的として品川営業所
にS49年式(A)10台、55年式(H)3台の計13台が配属されました。
私が記憶している車番は、A801とH811です。
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PLせつな
- 06/2/24(金) 18:49 -
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こんばんは。
>そして更に古い資料では昭和40年ごろ、区間は不明ですが資料がありました。
これの典拠が気になります。「都営バスの本―円太郎から都市新バスまで」(ぽると出版,H5/12刊行,p.89)には「2階建てバスが国内の登録番号を得て運行したのはこれが初めて」との文章がありますが、公道外での運行があったということでしょうか。
あとの疑問については車両データと路線資料館に載っている部分もありますので、ご参考までにどうぞ。
質問のツリーを次々に立ち上げるのは結構ですが、このサイトを見てすぐに分かるようなことを質問されたり、それぞれのツリーのフォロー投稿(何でもかんでも御礼を全てくっつけろ、というのは言いませんが)が連続で何もないというのは著しく心証を損ねる場合がありますので、ご考慮いただければ幸いです。
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ぽんぽこ
- 06/2/24(金) 20:53 -
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お好み玉子さん、日野石田さんこんにちは。
>>台東区が企画・輸入・購入し、交通局が委託運行したものです。
>>私も車番を確認しておらず、申し訳ございません。
>>この車輌はオーストラリア製1972年式で
確かこの豪州製のバスは高さが日本の車両基準の範囲を超えた車高があり、本来は道交法上では運行不可なものを、運行経路上にガード等の高さの障害がないということもあり、経路限定で運輸省の特認として期間限定で運行され、それが好評だった点から後年日本の規格に適合した独製(ネオプラン)の車両が再び台東区により80年に調達され、定期路線として復活したはずです。
>>営業所記号を省くことがあり、一般乗合車の後面同様、
>>登録年+局番です。この車輌は、1981年4月に運行開始しましたが、
>>1980年度の資金で購入したため、“H”が付けられたのです。
>>所属は、南千住です。
私も二階バスについての詳しい変遷は知りませんが、当方の手元に残っている写真では、廃止直前の車両は既に当初のものから代替されていたようで、T105,Y108,Y109,A110と数年次に渡って代替されていたようです。
また、余談ですが面白いことに二階バス同様、後年台東区により調達された車両を交通局が委託で運行することとなったコミバス「めぐりん」(現在は、委託先を日立自動車交通に変更)では、登場当初、ちゃんと一般バス同様の営業所記号付の局番(K−G020〜022)および営業所名「(南千住)」が記されていました。
さらに、面白いのはこのように「0番台」の本来、局内では観光車の体系が付番されていました。
>>品川営業所にS49年式(A)10台、55年式(H)3台の計13台が配属されま>>した。私が記憶している車番は、A801とH811です。
ん?私の手元に当時(1次車)の写真が残っています。それによると「A813」が写っています。ミニバスは一般車のように後からH代が追加された訳ではなく、路線方式の見直しによるリニューアル(フリー降車区間の追加、立席乗車可)での車両全面入れ替えでしたから、H代が3台ということはないはずです。よって、各世代13台のA801〜813、H801〜813ではないでしょうか?
ちなみに、2世代とも使用車両はトヨタコースターで、当初のA代については、今後の新交通としてのミニバスの実験の意味もあり、先日の燃料電池バス(S−L111)同様にメーカーのトヨタから全台貸与だったと記憶しております。H代については局予算での購入と思われます。正式な型式は良く判りませんが、形状はほぼ同様ながらH代車の方が立席が可能になった分だけ、一回り車体が大きくなったはずです。また、A代は「美濃部カラー」、H代は黄色い「鈴木カラー」でした。
A代については引退後トヨタに返却されたものと思われますが、その後の余生は不明。H代については、一部は都関連の福祉施設の送迎バスとして利用されていたのを目撃していますし、他の方のHPによると数台は岩手の東磐交通に引き取られた模様で、同社でコミュニティ路線等で活躍した模様です。(現在は既に廃車)両者とも、ボディカラーは「鈴木カラー」のまま運行されていました。
現在では、ほぼ同サイズのリエッセやポンチョでのコミバス運行も珍しくなく、ちょっと「早すぎた登場」が「絶滅」を早めてしまった残念なケースでしたね。また何らかの形での『敗者復活』を期待したいところです。
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お好み玉子
- 06/2/27(月) 16:41 -
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こんにちは
▼ぽんぽこさん、お久しぶりでございます。
>確かこの豪州製のバスは高さが日本の車両基準の範囲を超えた車高があり、本来は道交法上では運行不可なものを、運行経路上にガード等の高さの障害がないということもあり、経路限定で運輸省の特認として期間限定で運行され、
'78年のレイランドアトランティアンは高さが4.34mもあって、
急ハンドルをきったら倒れそうという外観でしたね。
>私も二階バスについての詳しい変遷は知りませんが、当方の手元に残っている写真では、廃止直前の車両は既に当初のものから代替されていたようで、T105,Y108,Y109,A110と数年次に渡って代替されていたようです。
Y代だけ青色でしたね。どうやらイメージを一新させたかったらしいが、
A代はなぜか赤に戻ってしまいました。
>また、余談ですが面白いことに二階バス同様、後年台東区により調達された車両を交通局が委託で運行することとなったコミバス「めぐりん」(現在は、委託先を日立自動車交通に変更)では、登場当初、ちゃんと一般バス同様の営業所記号付の局番(K−G020〜022)および営業所名「(南千住)」が記されていました。
>さらに、面白いのはこのように「0番台」の本来、局内では観光車の体系が付番されていました。
これも、記号とは、ズレた時期に登場しましたね。
>ん?私の手元に当時(1次車)の写真が残っています。それによると「A813」が写っています。ミニバスは一般車のように後からH代が追加された訳ではなく、路線方式の見直しによるリニューアル(フリー降車区間の追加、立席乗車可)での車両全面入れ替えでしたから、H代が3台ということはないはずです。よって、各世代13台のA801〜813、H801〜813ではないでしょうか?
とんだ誤りを書いてしまい、もうしわけございません。
「都バス東京旅情」「バスラマ都営バスの本」では、いずれも「13台」と書いてありましたので、ごっちゃ混ぜにしてしまいました。
そうなりますと、H代登場時、A代は姿を消していたということですね。
>正式な型式
型式は、A代=BU19「バスラマ」、H代=K−B B11「東京旅情」
エンジンはトヨタ、ボディーは荒川車体です。
>H代については、一部は都関連の福祉施設の送迎バスとして利用されていたのを目撃していますし
私も昔、足立区で、黄色、赤帯の同型で「H」
と書かれた車輌を目撃しました。
>現在では、ほぼ同サイズのリエッセやポンチョでのコミバス運行も珍しくなく、ちょっと「早すぎた登場」が「絶滅」を早めてしまった残念なケースでしたね。また何らかの形での『敗者復活』を期待したいところです。
「東京旅情」によりますと、このバスは座席が13人、立席4人しかなく、
途中停留所からは、たまには乗れないことがあり、天井が低いため、よほど体をつぼめて乗らないと、頭をぶつけたり、乗降口が1つなので乗客が降りてからでないと乗れないし、運転席のところから乗るのではないから、定期券などの掲示が困難であるというデメリットが挙げられており、
私が思うには、乗客が増えなかったのは、車輌に問題があり、中型車を導入させれば少しは乗客が増えたのではと思います。
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ぽんぽこ
- 06/2/27(月) 18:34 -
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お好み玉子さん、こんにちは。
>>Y代だけ青色でしたね。どうやらイメージを一新させたかったらしいが、
>>A代はなぜか赤に戻ってしまいました。
やはり、利用者の「ロンドンバス」→「二階バス」=「赤」というイメージが消せなかったのではないでしょうか?
>>そうなりますと、H代登場時、A代は姿を消していたということですね。
はい、それは間違いないはずです。
正確な記録はありませんが、確かリニューアル初日だかに乗りにいった記憶があり。今まで見慣れた「美濃部カラー」が1台もなくなり、ほぼ同型ながら、やや一回り大きくなった感のある「鈴木カラー」の新車に替わっていて驚いた記憶があります。
>>ボディーは荒川車体です。
荒川区の会社ですか?と、思って調べてみたら・・・。後のアラコ(現在はトヨタ
紡織に合併)だったんですね。じゃあ、実質的にはトヨタ製みたいなものですね。
>>私も昔、足立区で、黄色、赤帯の同型で「H」
>>と書かれた車輌を目撃しました。
私も見たのは足立区内です。
確か、都立北療育医療センター城北分園の送迎バスになっていたと記憶しています。ボディカラーはそのままで、あの特徴のある前面屋根上の方向幕部も表示内容を変更(確か「城北分園」)にして、そのまま使っていました。
>>乗降口が1つなので乗客が降りてからでないと乗れないし、運転席のところから>>乗るのではないから、定期券などの掲示が困難であるというデメリットが挙げら>>れており、私が思うには、乗客が増えなかったのは、車輌に問題があり、中型車>>を導入させれば少しは乗客が増えたのではと思います。
まあ、確かにそうですが、ただ「乗降口が1つ」という点では、現在のコミバスの主流であるポンチョや東急トランセのローザも同様です。確かに混雑時等はやや乗降に手間取りますが、もともとの車体の大きさや定員を考えると、ある程度は許容範囲でしょう。ただ、最近のコミバスとやや異なるのは、コミバスはどちらかというと、地域住民のため(特に高齢者など)の「足」としての利用が中心で、利用客も比較的平均年齢が高いのに対し、ミニバスは都心部の官公庁の関係者=ビジネスマンが主な対象であった点。これにより、高齢者はある意味「お互い様」でもあるし、自分で歩くことを考えれば、バス利用の方が楽だし早い。これに対してビジネス利用は、ぐずぐずしているくらいなら歩いたり、他の代替方法(鉄道等)で移動した方が早いという点もあり、急ぐビジネスマンには嫌われた感があります。当時まだ私も社会人ではありませんでしたが、ある日ミニバスに乗車していると、途中で結構の乗客が待っており、結局定員で全員は乗れなかったところ、乗り損ねたサラリーマン風の男性に「ガキが乗るもんじゃねえよ、このバスは」と聞こえよがしに言われた記憶があります。まあ、最近の都会を走るコミバス港区の「ちぃばす」などは、この辺の乗降の便も考えてか、乗降口は別々に2つになっていますよね。確かに、ある意味ではマイクロではなく中型でも導入していたら運命は変わっていたかも知れません。やはり全体の営業キロ数に対し、品川車庫からの回送往復という出入庫の非営業走行のロスも営業係数を悪化させた要因かも知れません。ただ、そういう意味では、未だ健在の「市01」も同様なんですよね。いっそのこと、これと運用を共用にすれば良かったのかな?(シートの問題はあるが・・・)
また、これは当時聞いた「噂」ではありますが、表向きは新しい交通形態の実験的意味合いとのことでスタートしたミニバスですが、その路線の設定を交通局が何かと関係のある諸官庁(警視庁、運輸省<当時>)から求められた、ある意味では、監督官庁などへの「ご機嫌取り路線」として設定された。との説もありました。両省庁の本庁舎の周囲を通り、東京・有楽町・新橋駅方面への「足」として。真相は判りませんが・・・。
(※おまけにたまたま数日前に発見した懐かしい画像を添付しますね。)
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お好み玉子
- 06/3/1(水) 11:14 -
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ぽんぽこさん、おはようございます。
早速のレスをどうも有り難う御座います。
ミニバスは、かなり昔のことなので、資料探しに少し苦労しました。
車番に関する資料がないので、記憶を頼りにしていたら、
間違ったことを書いてしまい、お詫びを申し上げます。
とても懐かしい画像をどうも有り難う御座います。
久しぶりに見る美濃部色は美しく感じます。(私だけでしょうか?)
私も幼い頃、東43系統で東京駅に来ますと、都バスと同じ色をした小型バスが来ていまして、「何だか面白いなぁ」と思って、じーっと眺めていましたが、結局乗らずじまいになってしまいました。私が一日乗車を始めた昭和63年にはすでになく、調べてみたら、「昭和58年廃止」という文字を見て、「そんな早くに消えたの?!」と驚きました。
私の言えることではありませんが、
やはり、ミニバスサービスの失敗が今後の教訓となったんでしょうね。
都営初のコミュニティーバス“しおかぜ”も一種の“ミニバス”ですよね。
江東区だけではなく、多くの区に広めたいものです。
日野石田さんご質問の“レイランドアトランティアン”の局番、
気になりますね。
たとえ貸与の車であっても、今まで局番のない車なんてありませんし、
もし局番が存在するのならば、登録等の関係上、“F”ではないかと思うのです。
では、どうもありがとうございました。
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PLせつな
- 06/3/2(木) 23:10 -
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ミニバスの車番は、A801〜813とH801〜813で正解です。H代登場時に全て代替されました。
昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
短期間だけの所属であったことを考えると、ついていなかった可能性もあります。
ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ミニバスは明らかに時代を先取りしすぎていました感じがします。今のようなコミュニティバスに対応したような小型車体の車も一般的でなく、停留所は一般路線と共用、PR不足(車体モデルチェンジ後からは色々とやったようですが)とあっては……。
今の丸の内や大手町や日本橋を回っている無料シャトルは形こそ違えどミニバスの遺志を継いだものではないかと思いますが、都心にももう少しこういう形のバスがあってもいいんではないかな、とも思います。
コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうことが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
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PLせつなさん、こんにちは。
>>「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ん?それは初耳です。(ネット検索してみましたが、多少触れているサイトはあっても全貌や実際の車両の様子は発見出来ませんでした。)詳細については、お解りでしたらご教示いただければ幸いです。
>>コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうこ>>とが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区>>への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
そうですね。もし「東01」もコミバスとして復活させるとなると、千代田区と港区に跨ってしまうことになりますよね。そもそも、そういう話になると、品川区のコミバスは品川駅には着けられず、目黒区のコミバスも目黒駅には設定出来ない・・・なんてことになってしまいますよね。行政の融通の利かなさを感じます。
鉄道なら都営地下鉄が本八幡に行ったり、横浜市営地下鉄が湘南台に行っているのにね。
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「大都市モデルバス」、僕も気になります。
昭和47年と言いますと、当時の運輸省で、大都市におけるバス
輸送の実態や運行条件等の特殊性に対応するため、ノークラッチ・
広扉・低床のバスを研究開発したように記憶しております。
このバスのことでしょうか?
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<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy113.docomo.ne.jp>
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お好み玉子
- 06/3/3(金) 12:10 -
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▼PLせつなさん、こんにちは。情報ありがとうございます。
>昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
そうだったんですか。
それでは、局番ではなく登録ナンバーで車輌管理をしていた可能性がありますね。
>ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
昔、写真で一瞬だけ見たことがありますが、
前扉が4枚折戸になっているバスのことでしょうか?
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PLせつな
- 06/3/12(日) 17:33 -
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遅れましたが……
大都市モデルバスは、昭和47〜48年に当時の運輸省の補助を受けて、大都市のバス復権を目指し、輸送力の大きい都市型で超大型のバスを作ろうとしたものです。乗り降りの時間も短縮し、乗りやすさも確保するため、床高650mmの当時としては先進的なワンステップ構造をとりました(そのため、小型タイヤとなっています)。
全長12000mm程度、ホイールベース6000mm程度、3扉(前・中扉は4枚折戸、後扉は3枚折戸)、定員101名で、日野RC系をベースに作られたようです。
東京都交通局では杉並営業所に配属され、昭和48年4月から3ヶ月ほど、主に[銀71](→[都03])で運行しました。
アンケート結果では乗り心地、乗降時間の短縮という点において利用者からは好評を得ました。日野自動車はこれをもとに昭和52年に全長11700mmの都市型新低床車RE161を発売しましたが、小回りが利かないために乗務員からはあまり評判が良くなかったようで、2年もしないうちに販売中止になってしまいました。
(参考資料:都バス60年史)
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