遅れましたが……
大都市モデルバスは、昭和47〜48年に当時の運輸省の補助を受けて、大都市のバス復権を目指し、輸送力の大きい都市型で超大型のバスを作ろうとしたものです。乗り降りの時間も短縮し、乗りやすさも確保するため、床高650mmの当時としては先進的なワンステップ構造をとりました(そのため、小型タイヤとなっています)。
全長12000mm程度、ホイールベース6000mm程度、3扉(前・中扉は4枚折戸、後扉は3枚折戸)、定員101名で、日野RC系をベースに作られたようです。
東京都交通局では杉並営業所に配属され、昭和48年4月から3ヶ月ほど、主に[銀71](→[都03])で運行しました。
アンケート結果では乗り心地、乗降時間の短縮という点において利用者からは好評を得ました。日野自動車はこれをもとに昭和52年に全長11700mmの都市型新低床車RE161を発売しましたが、小回りが利かないために乗務員からはあまり評判が良くなかったようで、2年もしないうちに販売中止になってしまいました。
(参考資料:都バス60年史)