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PLせつな
- 06/3/2(木) 23:10 -
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ミニバスの車番は、A801〜813とH801〜813で正解です。H代登場時に全て代替されました。
昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
短期間だけの所属であったことを考えると、ついていなかった可能性もあります。
ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ミニバスは明らかに時代を先取りしすぎていました感じがします。今のようなコミュニティバスに対応したような小型車体の車も一般的でなく、停留所は一般路線と共用、PR不足(車体モデルチェンジ後からは色々とやったようですが)とあっては……。
今の丸の内や大手町や日本橋を回っている無料シャトルは形こそ違えどミニバスの遺志を継いだものではないかと思いますが、都心にももう少しこういう形のバスがあってもいいんではないかな、とも思います。
コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうことが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
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PLせつなさん、こんにちは。
>>「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ん?それは初耳です。(ネット検索してみましたが、多少触れているサイトはあっても全貌や実際の車両の様子は発見出来ませんでした。)詳細については、お解りでしたらご教示いただければ幸いです。
>>コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうこ>>とが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区>>への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
そうですね。もし「東01」もコミバスとして復活させるとなると、千代田区と港区に跨ってしまうことになりますよね。そもそも、そういう話になると、品川区のコミバスは品川駅には着けられず、目黒区のコミバスも目黒駅には設定出来ない・・・なんてことになってしまいますよね。行政の融通の利かなさを感じます。
鉄道なら都営地下鉄が本八幡に行ったり、横浜市営地下鉄が湘南台に行っているのにね。
92 hits
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「大都市モデルバス」、僕も気になります。
昭和47年と言いますと、当時の運輸省で、大都市におけるバス
輸送の実態や運行条件等の特殊性に対応するため、ノークラッチ・
広扉・低床のバスを研究開発したように記憶しております。
このバスのことでしょうか?
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お好み玉子
- 06/3/3(金) 12:10 -
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▼PLせつなさん、こんにちは。情報ありがとうございます。
>昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
そうだったんですか。
それでは、局番ではなく登録ナンバーで車輌管理をしていた可能性がありますね。
>ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
昔、写真で一瞬だけ見たことがありますが、
前扉が4枚折戸になっているバスのことでしょうか?
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PLせつな
- 06/3/12(日) 17:33 -
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遅れましたが……
大都市モデルバスは、昭和47〜48年に当時の運輸省の補助を受けて、大都市のバス復権を目指し、輸送力の大きい都市型で超大型のバスを作ろうとしたものです。乗り降りの時間も短縮し、乗りやすさも確保するため、床高650mmの当時としては先進的なワンステップ構造をとりました(そのため、小型タイヤとなっています)。
全長12000mm程度、ホイールベース6000mm程度、3扉(前・中扉は4枚折戸、後扉は3枚折戸)、定員101名で、日野RC系をベースに作られたようです。
東京都交通局では杉並営業所に配属され、昭和48年4月から3ヶ月ほど、主に[銀71](→[都03])で運行しました。
アンケート結果では乗り心地、乗降時間の短縮という点において利用者からは好評を得ました。日野自動車はこれをもとに昭和52年に全長11700mmの都市型新低床車RE161を発売しましたが、小回りが利かないために乗務員からはあまり評判が良くなかったようで、2年もしないうちに販売中止になってしまいました。
(参考資料:都バス60年史)
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