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ぽんぽこ
- 06/2/27(月) 18:34 -
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お好み玉子さん、こんにちは。
>>Y代だけ青色でしたね。どうやらイメージを一新させたかったらしいが、
>>A代はなぜか赤に戻ってしまいました。
やはり、利用者の「ロンドンバス」→「二階バス」=「赤」というイメージが消せなかったのではないでしょうか?
>>そうなりますと、H代登場時、A代は姿を消していたということですね。
はい、それは間違いないはずです。
正確な記録はありませんが、確かリニューアル初日だかに乗りにいった記憶があり。今まで見慣れた「美濃部カラー」が1台もなくなり、ほぼ同型ながら、やや一回り大きくなった感のある「鈴木カラー」の新車に替わっていて驚いた記憶があります。
>>ボディーは荒川車体です。
荒川区の会社ですか?と、思って調べてみたら・・・。後のアラコ(現在はトヨタ
紡織に合併)だったんですね。じゃあ、実質的にはトヨタ製みたいなものですね。
>>私も昔、足立区で、黄色、赤帯の同型で「H」
>>と書かれた車輌を目撃しました。
私も見たのは足立区内です。
確か、都立北療育医療センター城北分園の送迎バスになっていたと記憶しています。ボディカラーはそのままで、あの特徴のある前面屋根上の方向幕部も表示内容を変更(確か「城北分園」)にして、そのまま使っていました。
>>乗降口が1つなので乗客が降りてからでないと乗れないし、運転席のところから>>乗るのではないから、定期券などの掲示が困難であるというデメリットが挙げら>>れており、私が思うには、乗客が増えなかったのは、車輌に問題があり、中型車>>を導入させれば少しは乗客が増えたのではと思います。
まあ、確かにそうですが、ただ「乗降口が1つ」という点では、現在のコミバスの主流であるポンチョや東急トランセのローザも同様です。確かに混雑時等はやや乗降に手間取りますが、もともとの車体の大きさや定員を考えると、ある程度は許容範囲でしょう。ただ、最近のコミバスとやや異なるのは、コミバスはどちらかというと、地域住民のため(特に高齢者など)の「足」としての利用が中心で、利用客も比較的平均年齢が高いのに対し、ミニバスは都心部の官公庁の関係者=ビジネスマンが主な対象であった点。これにより、高齢者はある意味「お互い様」でもあるし、自分で歩くことを考えれば、バス利用の方が楽だし早い。これに対してビジネス利用は、ぐずぐずしているくらいなら歩いたり、他の代替方法(鉄道等)で移動した方が早いという点もあり、急ぐビジネスマンには嫌われた感があります。当時まだ私も社会人ではありませんでしたが、ある日ミニバスに乗車していると、途中で結構の乗客が待っており、結局定員で全員は乗れなかったところ、乗り損ねたサラリーマン風の男性に「ガキが乗るもんじゃねえよ、このバスは」と聞こえよがしに言われた記憶があります。まあ、最近の都会を走るコミバス港区の「ちぃばす」などは、この辺の乗降の便も考えてか、乗降口は別々に2つになっていますよね。確かに、ある意味ではマイクロではなく中型でも導入していたら運命は変わっていたかも知れません。やはり全体の営業キロ数に対し、品川車庫からの回送往復という出入庫の非営業走行のロスも営業係数を悪化させた要因かも知れません。ただ、そういう意味では、未だ健在の「市01」も同様なんですよね。いっそのこと、これと運用を共用にすれば良かったのかな?(シートの問題はあるが・・・)
また、これは当時聞いた「噂」ではありますが、表向きは新しい交通形態の実験的意味合いとのことでスタートしたミニバスですが、その路線の設定を交通局が何かと関係のある諸官庁(警視庁、運輸省<当時>)から求められた、ある意味では、監督官庁などへの「ご機嫌取り路線」として設定された。との説もありました。両省庁の本庁舎の周囲を通り、東京・有楽町・新橋駅方面への「足」として。真相は判りませんが・・・。
(※おまけにたまたま数日前に発見した懐かしい画像を添付しますね。)
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お好み玉子
- 06/3/1(水) 11:14 -
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ぽんぽこさん、おはようございます。
早速のレスをどうも有り難う御座います。
ミニバスは、かなり昔のことなので、資料探しに少し苦労しました。
車番に関する資料がないので、記憶を頼りにしていたら、
間違ったことを書いてしまい、お詫びを申し上げます。
とても懐かしい画像をどうも有り難う御座います。
久しぶりに見る美濃部色は美しく感じます。(私だけでしょうか?)
私も幼い頃、東43系統で東京駅に来ますと、都バスと同じ色をした小型バスが来ていまして、「何だか面白いなぁ」と思って、じーっと眺めていましたが、結局乗らずじまいになってしまいました。私が一日乗車を始めた昭和63年にはすでになく、調べてみたら、「昭和58年廃止」という文字を見て、「そんな早くに消えたの?!」と驚きました。
私の言えることではありませんが、
やはり、ミニバスサービスの失敗が今後の教訓となったんでしょうね。
都営初のコミュニティーバス“しおかぜ”も一種の“ミニバス”ですよね。
江東区だけではなく、多くの区に広めたいものです。
日野石田さんご質問の“レイランドアトランティアン”の局番、
気になりますね。
たとえ貸与の車であっても、今まで局番のない車なんてありませんし、
もし局番が存在するのならば、登録等の関係上、“F”ではないかと思うのです。
では、どうもありがとうございました。
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PLせつな
- 06/3/2(木) 23:10 -
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ミニバスの車番は、A801〜813とH801〜813で正解です。H代登場時に全て代替されました。
昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
短期間だけの所属であったことを考えると、ついていなかった可能性もあります。
ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ミニバスは明らかに時代を先取りしすぎていました感じがします。今のようなコミュニティバスに対応したような小型車体の車も一般的でなく、停留所は一般路線と共用、PR不足(車体モデルチェンジ後からは色々とやったようですが)とあっては……。
今の丸の内や大手町や日本橋を回っている無料シャトルは形こそ違えどミニバスの遺志を継いだものではないかと思いますが、都心にももう少しこういう形のバスがあってもいいんではないかな、とも思います。
コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうことが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
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PLせつなさん、こんにちは。
>>「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
ん?それは初耳です。(ネット検索してみましたが、多少触れているサイトはあっても全貌や実際の車両の様子は発見出来ませんでした。)詳細については、お解りでしたらご教示いただければ幸いです。
>>コミュニティバスだとどうしても区のテリトリーで路線域が制限されてしまうこ>>とが多いのが問題です。ターミナルの接続など、利用者主体で考えるならば他区>>への乗り入れはもっと考慮されてしかるべきだと思っています。
そうですね。もし「東01」もコミバスとして復活させるとなると、千代田区と港区に跨ってしまうことになりますよね。そもそも、そういう話になると、品川区のコミバスは品川駅には着けられず、目黒区のコミバスも目黒駅には設定出来ない・・・なんてことになってしまいますよね。行政の融通の利かなさを感じます。
鉄道なら都営地下鉄が本八幡に行ったり、横浜市営地下鉄が湘南台に行っているのにね。
92 hits
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「大都市モデルバス」、僕も気になります。
昭和47年と言いますと、当時の運輸省で、大都市におけるバス
輸送の実態や運行条件等の特殊性に対応するため、ノークラッチ・
広扉・低床のバスを研究開発したように記憶しております。
このバスのことでしょうか?
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お好み玉子
- 06/3/3(金) 12:10 -
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▼PLせつなさん、こんにちは。情報ありがとうございます。
>昭和53年バージョンのロンドンバスの車番ですが、調査した限りでは車号は車体にはつけられていませんでした。内部で何らかの番号はあったのかもしれませんが、そこは分かりません。
そうだったんですか。
それでは、局番ではなく登録ナンバーで車輌管理をしていた可能性がありますね。
>ちなみに車号がついていなかったバスはもう一つ、「大都市モデルバス」(昭和47年、杉並)なんてのもありました。
昔、写真で一瞬だけ見たことがありますが、
前扉が4枚折戸になっているバスのことでしょうか?
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PLせつな
- 06/3/12(日) 17:33 -
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遅れましたが……
大都市モデルバスは、昭和47〜48年に当時の運輸省の補助を受けて、大都市のバス復権を目指し、輸送力の大きい都市型で超大型のバスを作ろうとしたものです。乗り降りの時間も短縮し、乗りやすさも確保するため、床高650mmの当時としては先進的なワンステップ構造をとりました(そのため、小型タイヤとなっています)。
全長12000mm程度、ホイールベース6000mm程度、3扉(前・中扉は4枚折戸、後扉は3枚折戸)、定員101名で、日野RC系をベースに作られたようです。
東京都交通局では杉並営業所に配属され、昭和48年4月から3ヶ月ほど、主に[銀71](→[都03])で運行しました。
アンケート結果では乗り心地、乗降時間の短縮という点において利用者からは好評を得ました。日野自動車はこれをもとに昭和52年に全長11700mmの都市型新低床車RE161を発売しましたが、小回りが利かないために乗務員からはあまり評判が良くなかったようで、2年もしないうちに販売中止になってしまいました。
(参考資料:都バス60年史)
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