都バス・談話室S
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【9544】ニュース映画「ネをあげたバス通勤」(昭和40年) VITO 05/12/19(月) 18:56

【9547】Re:ニュース映画「ネをあげたバス通勤」(昭和40年) PLせつな 05/12/20(火) 19:24
【9552】Re:ニュース映画「ネをあげたバス通勤」(昭和40年) VITO 05/12/21(水) 0:12

【9547】Re:ニュース映画「ネをあげたバス通勤」(昭和40年)
 PLせつな E-MAIL  - 05/12/20(火) 19:24 -
▼VITOさん:

これはまたすごいニュース映画(←存在が死語)ですね。
36番(東京駅北口〜浦安橋)や東小松川、横の車号にRと書いてあることから
江戸川区内で主に撮ったものと思います。
昭和40年といえばワンマン車一期生がようやく入り始めたころで(江戸川には
昭和40年度のH代は多分7輌)、ほとんどがツーマン運行であり、乗降にも
時間がかかっていました。また、江戸川区は宅地開発が進んでいるものの
亀戸・上野に直通するトロリーバスのほかは鉄道は総武線しかなく、ほとんど
全てをバスに頼っています。しかしながら都心部に比べると本数はあまり
多くなく、この時代はまだ江戸川は冷遇されていたほうなのかもしれません……

たとえば、この時代の29系統は終日全区間平均乗車効率が60%となっています。
全区間・全時間帯(空いている区間や時間帯も含めて)を平均して定員の60%
乗っているということは、普通に使う時間帯はずっとぎゅうぎゅう詰めであった
ことが偲ばれます。

昭和40年の江戸川区内の系統のおさらいです。

★22甲(→新小22):平日130回ほど、大半が浦安橋東詰で折り返し
新小岩駅〜八蔵橋〜松江〜今井〜浦安橋東詰〜浦安学校

★22乙(→旧新小20):平日60回ほど、ほぼ全便が浦安橋東詰で折り返し
新小岩駅〜八蔵橋〜江戸川車庫〜行船公園〜宇喜田〜浦安橋東詰〜浦安学校

★22丙(→新小21):平日65回ほど
新小岩駅〜八蔵橋〜江戸川車庫〜棒茅場〜宇喜田〜浦安橋東詰

★25:平日70回ほど、半数は浅草寿町止まり
上小松町(東新小岩4)〜新小岩駅北口〜菅原橋〜松江〜平井駅〜押上〜浅草寿町〜上野広小路

★77(→新小27):平日45回ほど
上小松町(東新小岩4)〜新小岩駅北口〜菅原橋〜松江〜春江町

★29(→亀29):平日80回ほど、半数が浦安橋東詰で折り返し
錦糸町駅〜亀戸駅通り〜境川〜宇喜田〜雷〜浦安橋東詰〜浦安学校

★15(→錦25):平日115回ほど
三角〜江戸川車庫〜亀戸9〜錦糸町駅

★34(→平23):平日65回ほど
三角〜江戸川車庫〜平井駅〜平井4終点

★36(→東28):平日70回ほど、交互に運転、今井で大半が折り返し
東京駅北口〜茅場町〜森下町〜五ノ橋〜亀戸9〜松江〜今井〜浦安橋東詰
東京駅北口〜茅場町〜森下町〜大島7〜亀戸9〜松江〜今井〜浦安橋東詰

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【9552】Re:ニュース映画「ネをあげたバス通勤」(昭和40年)
 VITO  - 05/12/21(水) 0:12 -
▼PLせつなさん:

本来は私が書くべきところを、いろいろ補足していただきまして、
ありがとうございました。

私は系統や車種などには詳しくないのですが、
昭和40年という時代の東京の一断面を捉えた映画として面白いと思い、
ご紹介させていただきました。

客は値上げと満員通過で困ってる。運転士は交通渋滞で困ってる。
交通局は人員不足で困ってる。
みんながみんな困っていると言いながらも、
映画からは活気と明るさが漂ってきます。
毎日が大変でも、将来に希望が持てた時代ならではの光景でしょう。

前年に東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通するなど、
高度経済成長期の「光」の部分が先行していたのが昭和30年代だとすると、
昭和40年は、交通問題や公害など「陰」の部分が顕在化してきた頃。
そして2年後には美濃部革新都政誕生へ。
そんな時代的背景を考えながら見ると、
なぜか「バス」がすごく愛おしい存在に感じられました。

引用なし

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