▼東武指令さん、PLせつなさん、こんにちは。
>>あとはX代の川重3両(X412〜414)、A代1両(A582)が昭和町だったようです。
A582ですか? 581だった記憶が・・・。(滝野川本所が580)
>R代は全車が昭和町に常駐していたと思います。
はい、これは間違いありません。
私が滝野川に出入りしていた頃の本所側の最古参がS代で、北への統合直前になって、昭和町と一部運用の混合が発生するようになって、突然R台が出て来てびっくりした記憶があります。
>B代、C代の川重車も乗車した事があります。
最終的にはBだかCも一時的には数台、昭和町扱いで在籍していたような記憶があるのですが、この辺はやや曖昧です。
>昭和町の車は所属表記が全部「滝野川」でしたので判断が難しかった訳で
そうですね。「支所」ではなく、最近で言うところの「分駐所」扱い、確か当時は「分車庫」と言っていたような・・・。
>他所は分かりませんが滝野川・志村は弁当箱無しは存在していなかったと記憶。
>登場時は分かりませんが・・・・
私もこれに同意です。登場時はともかく、最終的には「無し」の車は記憶にありません。
>S代は確かに多かったですよ。
中でも異色で記憶に残っているのがN−S512。今と違って当時は担当乗務員制でしたから。この車の担当の方が、非常に車を大事にされる方で(見ていて「溺愛」に近かった・・・)食入や中休の際には「愛車」の洗車を怠らず、それもタワシやデッキブラシに洗剤たっぷり付けて、ゴシゴシやったものだから、キレイはキレイなんですが、全体的に塗装の色調が薄れてしまい、真っ白い車体に薄っすらと青い線の入った、他車と並べて停まっていると絶対に違和感を感じる1台でした。
昨今のように担当制がなくなり、管理が曖昧になって荒れ放題になって車を見ると、当時は担当者によって運転台周りも微妙に個性がありました。
この頃の写真、我が家のどこかには相当数眠っているはずなんですが・・・。
残念ながら、昨年の引越しのどさくさで、未だ埋もれていて発見できません。
見つかったら順次公開したいとは思っているのですが・・・。