>これによって、所有車による営業所の個性が芽生えるんですよね。
確かにそうですね。調べていて印象深いのが小滝橋です。
昭和43年の都電15系統廃止代替でR代が実に65両も入籍しました。その反動で
次の新車は46年のX代(20両)、49年のB代(わずか2量)と大幅に間が
空いています。
その後昭和50年代の改編で大幅に減車されますが、それでも新車代替される分は
H代K代(昭和55〜56年度)あたりで少しずつ代替され、H代は21両もいましたが
少しは散らばってきました。
と思ったら八王子の廃止で余った中型車が新宿経由でやって来てM代が代わりに
新宿に召し上げられ、K代のあとはN代(昭和59年度)までいなくなりました。
それでもFGHK代と分布していたのが、今度は平成初期の「排ガスK−規制は
全部除籍で大量新車導入作戦」が出てきて、4年分の車を2年分(WX代)で
全部置き換えたために、またいびつな車齢ピラミッドになりました。
N代(昭和59年度)の置き換えはA代(平成6年度)なのでYZ代はおらず
最近の置き換えでもHKL代と2年分の車を3年分で置き換えて分散させたものの
今のMN代がいないのは相変わらずです。
一言で言えば、都電代替のR代を主に置き換えたH代、を主に置き換えたW代、を
主に置き換えたK代は数が多い、ということで。