志村のいすゞ車ですが……
昭和52年のE代導入直後には、昭和44年度車(T代・V代)のみ存在しました。
内訳は前期車のT代が富士重3両、後期車のV代は川重11両、富士重2両の
計16両です。
多分、T461〜463(富士)・V426〜436(川重)・437,438(富士)と思いますが…
ちなみに、昭和53年度末には全ていなくなったようです。
ただし、昭和39年度のワン・ツーマン兼用車(H代)からは志村の新製配置は
全て日産だったようなので、これらのいすゞ車は他営業所(滝野川? 新宿?)
からやって来たのかもしれません。(ここの部分はもしかしたら違うかも)
昭和38年度までのツーマン専用車はいすゞでしたが、その理由は、志村が
もともと大塚の分車庫として出発したことによるのでしょう。支所の車輌配置は
大抵本所のそれを引き継ぐことが多いので。
ただ、いすゞにも馴染みがあったので、当時にしては珍しく両方の車種が
いたのかもしれませんね。