情報交換・投稿・交流のための掲示板・第3版です。
同じ話題への発言につきましては、新規ツリー作成ではなく
その発言への返信という形でご投稿下さい。
投稿者名について、系統番号・局番・営業所等そのままの名は禁止事項とします。
都営バスエリア内のコミュニティバスの話題もこちらでどうぞ。
(一部の漫画喫茶などからの書き込みを制限しています)
運営に関する質問等は掲示板には書き込まず、メールにてお願いします。
皇居のまわりを一周する循環バスを東京都が計画していることは、中学生だった昭和52〜53年頃、友人から聞いたことがあります。
管理人様から詳しい資料付きの回答が出ておりますが、夢十夜さんのおっしゃるように、かなり大胆な計画だったと言えます。
現在でも客が多く混雑する〔草63〕〔草64〕の短縮等、個々の系統への対応は別として、当時の都営バスは明確な将来展望を見据えた上で事業展開していたように感じます。
『一道路一路線の下、最寄りターミナルへの直結を図る』
『一路線は残しバス道路は極力消滅させない』
『事業規模を大幅に縮小させつつも残存系統は増強し、待たずに乗れるバスを指向する』
といったところでしょうか。
この志は後代に継承されず、管理人様ご指摘のように一道路に複数系統残ったり、廃止路線に対する他系統の経路変更がなくバス道路が消滅したり、の状態になってしまいました。
どのようなビジョンを描いて路線改編を行なっているのか、その方針が不明確なようで残念です。
お話のように、この循環ルートに、バスレーンを終日実施して定時性を確保し、高密度運行を実施して間断なくバスを走らせれば、鉄道代替線的な基幹系統として利用が定着し、バス復権に大きく貢献したかも知れません。
個人的な感想としては、この循環バス、試行運行し、不都合な点は逐次改良し、バスの活性化につなげてほしかったですね。
59 hits
<DoCoMo/2.0 P900i(c100;TB;W24H11)@proxy103.docomo.ne.jp>
|
グリーンスカイ
- 05/5/10(火) 13:20 -
|
はじめてお便りします。
▼T君さん:
>当時の都営バスは明確な将来展望を見据えた上で事業展開していたように感じます。
>
> 『一道路一路線の下、最寄りターミナルへの直結を図る』
>『一路線は残しバス道路は極力消滅させない』
>『事業規模を大幅に縮小させつつも残存系統は増強し、待たずに乗れるバスを指向する』
>といったところでしょうか。
本当に交通サービスの基本ともいえる、都バスの未来図をしっかり掲げていましたね。
>
> この志は後代に継承されず、管理人様ご指摘のように一道路に複数系統残ったり、廃止路線に対する他系統の経路変更がなくバス道路が消滅したり、の状態になってしまいました。
>> どのようなビジョンを描いて路線改編を行なっているのか、その方針が不明確なようで残念です。
過去の大規模な整理短縮で、もはや改編できる系統が少なくなり、廃止・短縮等は都民の抵抗が予想されることから、減便を繰り返して事業の縮小を行っていると思います。
将来の方向付けよりも、当面の赤字を出さない事が先決で、場当たり的な対応になっているのかも知れません。
>
> お話のように、この循環ルートに、バスレーンを終日実施して定時性を確保し、高密度運行を実施して間断なくバスを走らせれば、鉄道代替線的な基幹系統として利用が定着し、バス復権に大きく貢献したかも知れません。
>
高71・飯64は元々東京駅始発でしたよね。
今後も経営が好転する見通しがないことから、東43は駒込病院で、東42は浅草橋・東神田で切られるかも知れません。
かりに存続したとしても東京駅まで来るのは、反94や東22乙のように極端に少なくなることも予想されます。
こうしたことを考えると、都心部各鉄道と有機的に結節する都心循環バスは現在でも必要かもしれません。
69 hits
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@gate2.sumitomo-rd.co.jp>
|
PLせつな
- 05/5/10(火) 22:05 -
|
1道路1路線というのは、分かりやすいといえば分かりやすいですが
結局それを推し進めたとしても最終的には失敗したのではと思います。
バスはたいていの道路を走れ、鉄道よりも機動性が高くこまめな需要を
拾い上げることができますが、反面、路線間の乗り換えというのには
路線がどうなっているか分かりにくいなど、鉄道よりも抵抗が大きいと
思われます。
「バスだからこそできる直通サービス」や要望を受けて[錦18]などが
誕生したのでしょうし……
都心循環線はバスレーンがなかったとしたら、一周何分かかるか
分からないでしょうし、構想はすばらしいのですが実現性を考えると
ちょっとバスには壮大すぎた気がします。
こういうサービスは中量輸送である路面電車クラスの機関があったならば、
もしかしたらできたかもしれませんね。
都電の須田町は乗り換えの盛んな一大ターミナルでしたが、代替後のバスの
須田町は次々と路線撤退が続いてしまったことが一つのヒントになるのでは
ないかと思います。
ただ、グリーンスカイさんの(はじめまして)
>将来の方向付けよりも、当面の赤字を出さない事が先決で、場当たり的な
>対応になっているのかも知れません。
という意見には非常に同意できます。
現在に至るまでの都営バスの路線改編の問題点はいくつかあるように思って
います。
●昭和20〜30年代からの東京駅路線一極集中構造以降、路線を廃止する
ばかりで残った路線をあまりいじらなかったこと
●地下鉄−バス乗り継ぎの設定がされなかったこと
●覚えやすいダイヤについてあまり考えられず、またダイヤ(増便の場合は
特に)についてのPRがほとんどなされなかったこと
一番最初に関連するのですが、山手線内では地下鉄が発展しましたし、
もっと大胆な路線の組み換えをやってもよかったのではないかな、と
思っています。
62 hits
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@cj77.opt2.point.ne.jp>
初めててすがよろしく。
昭和50年代に大学のゼミの仲間と、交通局をお尋ねし、財政再建について伺ったことがありました。
都バスに関しては一道路一路線と都心環状バス計画の話がありました。
当時の路線数の多さから、雲をつかむような話で信じられない思いで伺ったものです。
回数については、10分や15分間隔では都市交通機関として失格であり、原則として地下鉄や国電並みの5〜6分間隔の運行を目指したい、と話していました。
あれから25年以上経ち、路線削減は進みましたが、便数は逆に削減が進む一方で非常に残念に思っております。
70 hits
<DoCoMo/1.0/F212i/c10/TB@proxy112.docomo.ne.jp>
前の投稿との関連になりますが、昭和50年代に連続して実施した自主財政再建計画が、赤字体質とはいえ現在の安定した経営基盤を築いていると言えないでしょうか?
巨額の赤字に苦しみ、第二の国鉄とまで言われていた都営交通ですが、よく再建出来たものと感心します。
循環バスは、例え実現しても現在まで存続したでしょうか。 開設当時は数分間隔の頻繁運行でも、現在の交通局担当者の手法では都03のように大幅減回で機能が骨抜きにされていたかもしれないと私には思えるのですが。
59 hits
<DoCoMo/1.0/F212i/c10/TB@proxy165.docomo.ne.jp>
▼MILKさん:
>昭和50年代に大学のゼミの仲間と、交通局をお尋ねし、財政再建について伺ったことがありました。
>都バスに関しては一道路一路線と都心環状バス計画の話がありました。
>当時の路線数の多さから、雲をつかむような話で信じられない思いで伺ったものです。
>回数については、10分や15分間隔では都市交通機関として失格であり、原則として地下鉄や国電並みの5〜6分間隔の運行を目指したい、と話していました。
>あれから25年以上経ち、路線削減は進みましたが、便数は逆に削減が進む一方で非常に残念に思っております。
こんにちは。
久しぶりの書き込みになります。
私は、この都心環状バス構想は知りませんでした。
が、この時代に橋63系統が短縮の上、経路変更され四谷駅前が終点になると、何となく聞いており、地元の商店などでも会話になっていたので、路線改編案を地元に公表していたのでしょうか?
これは、市ヶ谷駅では折り返し困難なため、四ツ谷駅発着に変更して、都心環状バスに結節する考えだったのでしょうか?
それにしても、この都心環状バスは、運賃は一般の都バスと同じなのか? 他系統から乗り継ぐ場合に割引があったのか? いろいろ気になるところです。
同じ橋63沿線から新橋に向かうにしても、現在の20分強の運転間隔のバスで
乗り換えなしで行くよりも、1度乗換えが加わっても、橋63も環状バスも5〜6分間隔なら、トータル所要時間も短縮され、便利かも。
79 hits
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)@lo114.042.geragera.co.jp>