おまけ。
Y代は、M代の入る直前には174輌ありました。分布を見ると、
品川…24(うちHIMR2、リフト1)
渋谷…9(うちHIMR5)
新宿…7
杉並…3
練馬…3
大塚…11
千住…6
南千住…21
江東…2
目黒…5
巣鴨…14(うちリフト3)
深川…19(うちリフト3)
早稲田…9(うちリフト1)
江戸川…37(うちHIMR4)
青戸…4
小滝橋・青梅・北・臨海には配置なし。
ということで、X代にならってリフト・HIMRが全部生き残るとしても
一般車も15輌は生き残ることになります。代替のない日デ5輌を抜いても
10輌はあります。
たとえば、江戸川はM150から始まっていますが、巣鴨はM178から始まっています。
ということは、最大でも一連の番号では江戸川は28輌しか確保できず、HIMRを
抜いて5輌は生き残る…という計算になったりもします。
(ただ、生き残った一般車が代替なしの平成17年度以降の減車分であるという考えも成り立ちます)
しかし、2メーカー3車種というのは少ないものです。
ここ50年ほどはどんなに少なくても4メーカーが揃って入れていた(一般車
導入のなかった昭和48年度を除く…といっても特定4車種、貸切1車種、
ミニバス1車種の計6が入っていますが。平成12年度のG代も基本的に
一般車の導入は3台だったので特殊事例として)し、例えば昭和50年度C代のように
日デは2輌だけ、昭和56年度K代のように日野4輌というのもありました。
3車種というのは昭和20〜24年度あたりの新車以来かもしれませんね。