こんにちは。少々遅くなりましたが……
とりあえず、連日の作業で昭和57年改編本編については終わりました。
写真も色々とでてきて、かなり大掛かりな特集になれたのではないかと
思います。
確かに、自分もなかなか写真をなんでもいいから撮るという習慣が
大江戸線改編の前くらいまではなくて、撮っておけばよかったと思うものが
いくつもあります。
目黒新橋さん:
富士重工+いすゞは、多分昭和49年度のB代までがそうだったのではないかと
思います。そうすると、これらが除籍されて消滅したのが昭和60年度くらいなので
この昭和57年の時点ではおよそ3割程度がそうだったかと思います。
四谷片町は不思議な終点ですね。本文にも書きましたが、なぜ同時に代替された
[四97]は四谷駅行きで、[四98]が四谷片町行きと分かれたのかが謎です。
あそこを行き先にするくらいなら、同じく四谷駅行きにするか、さらに北上して
東京女子医大くらいまでは行ったほうが良かったような……?
Torontonianさん:
おほめの言葉、ありがとうございます。
ページ作成は気力とやる気ということで、資料があらかた揃って、やる気の
あるときに一気に仕上げるという感じです。
さて、[楽67]などの折返方法ですが、プレイバック本文に述べた通り、
交通会館の向かいに停留所がありました。けっこう折返場所としては優れて
いると思うのですが、[錦11]は有楽町まで行く本数があまり多くないことや
[楽67]は都心部の客自体が激減していたことが痛かったのでしょうね。
>京王のバスが時刻どおりに来るのに対して都営車は決まって遅れてくるので、
>「都バスは(それぞれの停留所から)ひとりでも多くの客を乗せたいがため
>にわざと遅れて走らせているのではないか」
まあ、昔の話ですし^_^; 真偽はともかく面白いうわさですね。
2社が並行する路線でわざと他社の数分前に設定して客を意図的に多くのせる
というのはときどき例がありますが、これは果たして……。運行は等間隔で
あったはずですから、京王のほうが渋滞時とかの爆走率が高かったと
いうことかも……? こういった聞き込みの話をまとめるのも
面白そうです。バスはどうしても補助機関ということで、地下鉄や都電にくらべ
実際に乗った人の話を聴ける機会がほとんどありませんし。
相互乗り入れバス黄金時代(〜昭和40年代前半)に日常的に利用していた人は
今は60歳以上になられているはずで、できるうちにこういったことも
しておきたいな……と思っています。機会があれば。