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Torontonian
- 04/12/4(土) 11:06 -
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はじめまして。S57改編の特集、私も拝見しました。目黒新橋さんも書いておられますが、貴重な画像と丁寧なリサーチ、記録を残す貴重な作業に、まったく頭が下がります。「プレイバック」は、いつも楽しみに見ています。
当時私は親の転勤で一年間東京を留守にしてました。58年の4月に帰京したら、通学で使っていた「楽67」が「池67」に変わっていて驚いた記憶があります。結局、有楽町でどのように折り返していたのか、今日までわからずじまいです。交通会館の周りを一周していたのでしょうか?老母(72歳)によると、銀座通りと外堀通りの間の狭い道を池袋行きのバスが走っているのを見た記憶があるというのですが…。
老母といえば、今回の特集でも取り上げられている京王と乗り入れをしていた旧111系統の末裔系統ですが、杉並に住んでいた母親は若いころ(昭和20〜40年代)都心に出るときよく利用していたようです(羨ましい)。しかし、京王のバスが時刻どおりに来るのに対して都営車は決まって遅れてくるので、「都バスは(それぞれの停留所から)ひとりでも多くの客を乗せたいがためにわざと遅れて走らせているのではないか」という悪い噂が利用者の間で広がっていたとか。もしかするとこれはあまり適切な書き込みでないかもしれませんが(であればどうか削除願います)、しかし、こうしたいわば都バスにまつわる数々の「民間伝承」的エピソードも、そろそろどこかでまとめられるべきかもしれないと思ったりしています。「都電研究」の方面では、運転手さんから話を聞くなど、そうした動きが進んでいるようですね。
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PLせつな
- 04/12/6(月) 12:15 -
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こんにちは。少々遅くなりましたが……
とりあえず、連日の作業で昭和57年改編本編については終わりました。
写真も色々とでてきて、かなり大掛かりな特集になれたのではないかと
思います。
確かに、自分もなかなか写真をなんでもいいから撮るという習慣が
大江戸線改編の前くらいまではなくて、撮っておけばよかったと思うものが
いくつもあります。
目黒新橋さん:
富士重工+いすゞは、多分昭和49年度のB代までがそうだったのではないかと
思います。そうすると、これらが除籍されて消滅したのが昭和60年度くらいなので
この昭和57年の時点ではおよそ3割程度がそうだったかと思います。
四谷片町は不思議な終点ですね。本文にも書きましたが、なぜ同時に代替された
[四97]は四谷駅行きで、[四98]が四谷片町行きと分かれたのかが謎です。
あそこを行き先にするくらいなら、同じく四谷駅行きにするか、さらに北上して
東京女子医大くらいまでは行ったほうが良かったような……?
Torontonianさん:
おほめの言葉、ありがとうございます。
ページ作成は気力とやる気ということで、資料があらかた揃って、やる気の
あるときに一気に仕上げるという感じです。
さて、[楽67]などの折返方法ですが、プレイバック本文に述べた通り、
交通会館の向かいに停留所がありました。けっこう折返場所としては優れて
いると思うのですが、[錦11]は有楽町まで行く本数があまり多くないことや
[楽67]は都心部の客自体が激減していたことが痛かったのでしょうね。
>京王のバスが時刻どおりに来るのに対して都営車は決まって遅れてくるので、
>「都バスは(それぞれの停留所から)ひとりでも多くの客を乗せたいがため
>にわざと遅れて走らせているのではないか」
まあ、昔の話ですし^_^; 真偽はともかく面白いうわさですね。
2社が並行する路線でわざと他社の数分前に設定して客を意図的に多くのせる
というのはときどき例がありますが、これは果たして……。運行は等間隔で
あったはずですから、京王のほうが渋滞時とかの爆走率が高かったと
いうことかも……? こういった聞き込みの話をまとめるのも
面白そうです。バスはどうしても補助機関ということで、地下鉄や都電にくらべ
実際に乗った人の話を聴ける機会がほとんどありませんし。
相互乗り入れバス黄金時代(〜昭和40年代前半)に日常的に利用していた人は
今は60歳以上になられているはずで、できるうちにこういったことも
しておきたいな……と思っています。機会があれば。
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PLせつな
- 04/12/6(月) 12:20 -
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で、書き忘れたのですが、「銀座通りと外堀通りの間の細い道を」というのは
前の路線ツリー[#7317]でも少しだけ話を出した歩行者天国のときの迂回では
ないかとおもいます。昭和40年代中期の一時期だけでしたから、これを実際に
見たことがあるのは相当貴重な体験であると言えるでしょう。池袋行きは
[32]→[橋62]系統のことでしょうし。
これ以外に、縦の道路で銀座通りと外堀通りの間に定期路線が通ったというのは
戦前から通して見ても、探した限りでは存在しません。
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nagano
- 04/12/6(月) 21:04 -
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毎晩の怒涛の更新お疲れ様でした。>> PLせつなさん
丁寧な補足説明により、認識を新たにした部分も少なくありません。
今回提供させていただいた写真は、昭和57年12月26日の改編前の12月22日〜26日
の5日間(改編後の新路線の乗り初めも含めて)で、対象となる路線はできる
限り全部乗って、写真もなんとか.....という強行軍の中でおさめたものです。
今にして思えば、もっとちゃんと撮っておけばよかったと思うものも
多々ありますが、当時の雰囲気をなんとなくでも感じ取っていただければ
幸いです。
目黒新橋さんのご指摘にもありましたが、浜95の四谷片町終点はなんか
変な場所でしたね。なんで四谷駅に行かないんだろうと私も疑問でした。
宿75が三宅坂まで行くようになって、再び津の守坂を都バスが通るように
なり、四谷二丁目から合羽坂下でかつての浜95の雰囲気を少し味わえる
ようにはなりましたが、四谷片町という名前のバス停は復活しませんでし
た。(笑)
Torontonianさんが通学に使っていらっしゃったという楽67ですが、
当時はまだ都バスの一大ターミナルと言ってもよかった東京駅八重洲口を
途中停留所として、さらに先の有楽町駅まで行くのがなんとなく不思議な
感じでした。
一ツ橋まで短縮後も含めて、週末の買い物歩きで池袋から神保町までの区間は
よく利用した思い出があります。
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Torontonian
- 04/12/8(水) 10:59 -
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PLせつなさん、naganoさん、更新でお忙しい中ご返信有難うございました。
改編EXと「立73」まで、しかと拝見し、腹の底まで堪能いたしました。「楽67」有楽町折り返しの件、「改編4」で長年の疑問が解決し、実にすっきりしました。naganoさん同様、一ツ橋から先は乗車経験がありません。残念ながら…。例の母親はよく使っていたようですが…。
銀座折り返しの池袋行き路線の件、珍しいものを目撃したのだということ、実家に戻った折に母親に伝えます。しかし、わたしの母親は別に「マニア」でも「ファン」でもないのですが、バスが心から好きなようで、都の高齢者用のパスが交付されたときには本気で喜んでいました。わたしの実家からたとえば新宿までは電車ですぐなのですが、母親は倍以上の時間をかけてわざわざ都バスで行きます。中・長距離のバス移動に抵抗がないというのは、これは世代的な特徴でもあるのでしょうか…?こちらのサイトの「路線資料館」によると、八王子から延々新宿まで行く路線が昔はあったそうですね。母親を見ていると、全区間を乗りとおす需要が当時はそれなりにはあったような気がしてなりません。
その末裔区間である「立73」のコーナー、興味深く拝見しました。これもわたしは乗ったことがありません。日野駅前で数回目撃しただけです。57年改編関連では、東01「ミニバス」に一度乗ったぐらいでしょうか。しかし、当時まだ小学生だったわたしは、なんとなく居心地の悪い思いがしたのを覚えています。「子供の来るところではない」というような…。(官庁街を回っていたのですから当然なのかも知れませんが。)それにしても、57年改編の写真を見るたび、どうしてあの路線、この路線に乗っておかなかったのかと、悔やまれてなりません。だからこそ、写真に残されたnaganoさんと、その貴重な資料をこのような形でまとめられたPLせつなさんには、心から感謝しています。(引き続き「52年改編」も…というのはちょっと図々しすぎるお願いでしょうか…?)
なんだか個人的な懐述ばかりで情報提供がなく、申し訳ありません。
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