PLせつなさん、当方の記憶を資料でいろいろ裏付けて頂き大変有難く感謝申し
上げます。
>[橋86]についても開通時は同区間を都電通りを経由していたかと思うのですが、
>これについては何かご記憶はないでしょうか?
あいにく、時期的なところが記憶にございません。
ある時乗車したら、「あれ?経路が変わっている。」と気づいた記憶はあるの
ですが時期が特定できません。
>一ノ橋折返の廃止がS46.1.1は記憶と符合しないとの件ですが、それ以前に
>本数が激減して1日1本とかの扱いになっていたか、もしくは休止状態に
>なっていたことが考えられます。
ひょっとしたら、
当方が書いた、
>また、一の橋から谷町方面への道路が未開通工事中であり、時々新一の橋交差点の
>谷町側右端で、時間調整なのか待機しているのが見られました。
は、麻布十番商店街を経由しなくなった後に目撃していたことなのかも知れない
ですね。
麻布十番商店街経由の頃は新一の橋〜一の橋ループで折り返し、それ以降は谷町
方面へ左折してUターンとか。
通学路が麻布十番商店街でしたので、一の橋から遠くを見ていたものでよくわか
りません。
近くまで行って確認しておけば良かったですね。
>[70]が十番商店街を通らなくなったのはS46.1.1からということになるのですが
>そうではないのですよね……)。
はい。これは断言できます。
間違いなく時期はT代です。最終日、鳥居坂下の新宿方面バス停で確認したのが
当時新車のT代(品川2う17-34か17-35)であったと記憶しております。
直後の新車は同じT代で、都電34系統(S.44.10廃止)の代替バス(現在の都06)
です。
>昭和36年の区分地図でも、おっしゃった都電の線路は描かれておらず
>どういう用途なのか謎ですね。
これは是非知りたいです。
芝浦工場への電車は頻繁に走っておりましたが、田町駅東口方面への分岐線を
走る都電は見たことがありませんでした。ただ、庫内に1両電車が止まっている
のを見たことはあります。
>[503]は出入運用として目黒駅〜品川駅〜四谷見附が存在しただけに、
ですよね。
田町分車庫の車両が使われていたのは間違い無いところなのですが、となると
なぜ目黒駅〜品川駅〜四谷見附が存在していたのかが疑問として残りますね。
ちなみに、田町分車庫の車両ですが、登録番号は、
品川2う950〜991
品川2う10-62〜10-64
のN代でした。
前者は台数が非常に多く、晩年は一部葛西へ転属になっております。
後者は日野車モデルチェンジ後最初の車両で、前面にひさしが付き、ヘッドライ
ト楕円、登録ナンバーがバンパー内と当時としてはとても斬新に感じた車両でし
た。ひょっとしたらあと数台10-65とか10-66存在したかも知れないですが忘れま
した。
目黒車庫は、以前はバスの車庫と都電(4,5系統)の車庫が隣同士にあり、バスの
車庫出入口は、山手線側にありました。都電の車庫出入口は、駅ロータリーの高
輪寄りにありました。
田町分車庫が廃止された時期は、都電の車庫がバス車庫に整備されて収容できる
台数が増えた時点ではなかったかと推測します。都電の車庫出入口もバスの出入口
となりました。ちょっと工事期間としては長いような気もしますが。
> 路線関係の年表をアップしておきます。
すっかりタイムスリップしてしまいました。
気づいた点を2点ほど。
>S38. 4. 6 停留所 変更:材木町(日本教育テレビ)→
>材木町(NHKテレビ)([76][101][102][123])
(誤)NHKテレビ
(正)NETテレビですね。テレビ朝日の前身です。
>S36.12.20 停留所 変更:青山1→青山都営アパート([40])、
>青山北町1→青山1([70])
青山都営アパートと言えば、青山1丁目と信濃町の間のバス停を思い出します。
40系統がそこを通過していた時期があったのでしょうか?
方向幕画像、長年親しんでいたもので大変懐かしいです。
101系統は、都営の最終日、桜新町まで乗車して来ました。どちらかというと、
都営バスよりも弦巻(営)時代の東急バスのバラエティーに興味があった系統
です。