話を複雑にしてしまい申し訳ありません。
滝野川営業所と昭和町分車庫、そして志村営業所を巻きこんだ大合併
劇の時の話です。
車輌の内訳は半分が滝野川出身のいすゞ、もう半分は志村からの日デ。
そして僅かながらに残った昭和町のR代車(餓鬼の頃は浅草型と呼び草64は全部
この車だった)から構成されていました。
方向幕も一斉取替がなされたのですが、系統表示と行先表示が分かれるタイプ
の車で、慣れてない滝野川出身以外の方が宮城循環をやると「宮城二丁目」表示
をだして走り、いかにも宮城二丁目止まりみたなバスが走ったりしました。
短い存在になりましたが草64・北車庫=浅草寿町とか、池袋への出入庫は草64と
王40が存在したため、現在では考えられない本数があったり宮城循環の幕を出し
王子駅を直通で運行するなんて言うバスもありました。
(昔の話ですからね、今ではあり得ませんが・・・)
さて前置きが長くなりましたが幻の系統。
それは北車庫=環七経由=西新井駅です。
事実方向幕まで準備されながらついに日の目を見る事が無かったんですよね。
系統番号無しで北車庫前=椿(二)=江北陸橋下=西新井大師=西新井駅で
前述の文字を縦書きにしてその上に「環七通り経由」の文字が入る物。
豊島五丁目団地で運転手さんが幕を変える時に見ました。
だれか詳細をご存知の方、居ませんかね???