都バス・談話室S
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【7205】路線の疑問いろいろ(業10,…) PLせつな 04/11/13(土) 15:07 [添付]

【7302】Re:路線の疑問いろいろ(田70ワンマン) PLせつな 04/11/24(水) 0:12
【7304】Re:路線の疑問いろいろ(田70ワンマン) きつね 04/11/24(水) 18:18

【7302】Re:路線の疑問いろいろ(田70ワンマン)
 PLせつな E-MAIL  - 04/11/24(水) 0:12 -
今日はこれだけですが返事致します。

▼きつねさん:
はじめまして。
詳細な情報、ありがとうございます。今まで知らなかったことも色々とあり
たいへん勉強になりました。

一ノ橋折返の件:

>当時の新宿駅西口行きは麻布十番商店街経由でして、折り返しは新一の橋〜一の橋のループで行なわれておりました。
>また、一の橋から谷町方面への道路が未開通工事中であり、時々新一の橋交差点の谷町側右端で、時間調整なのか待機しているのが見られました。
>

そうなのですか。いやまさか当初は麻布十番の商店街を走っていたとは思いも
よりませんでした(この話は次の発言で)。

ワンマン化の件ですが、確かワンマン化初期は達成した系統年表があったはず…
と思って資料を発掘したらありました。たしかにおっしゃるとおり
昭和40年6月5日に70折・新宿駅西口〜一ノ橋をワンマン路線として開設
となっています。
同日に22乙・22丙(新小岩駅〜浦安橋東詰)をワンマン路線として開設されて
いますが、こっちはこの長さで1区だったのかは自信がありません。

なお、ワンマン化を最初に行ったのは昭和40年2月16日で、確かにおっしゃる
通り、1区の路線ばかりとなっています。
ただ、「2区の路線がワンマン化の初テスト路線」は
初代ワンマン化の系統のうちの1つである5折返(新宿駅西口〜堀ノ内車庫)は
本線(新宿追分〜代田)が2区であったと思われるので、異なると思われます。

また、70系統以前に昭和30年代で2区だった路線がワンマン化された例は
S40. 4.10:5系統(新宿追分〜代田2)
S40. 4.16:12系統(日暮里〜亀戸)・44系統(早大正門〜渋谷駅)・73系統(王子駅〜足立区役所)
があります。
 
というところで、この記述を拝見したのですが、
>当時の都営バスは地帯制導入前であり区間制でした。
>70系統は当時全線2区30円であり、新宿駅西口側は一ノ橋までが20円という料金設定でした。

昭和30年代の運賃設定の資料も3ヶ月ほど前に見つけたので
表形式に作り直してアップしました。あとで路線資料館からもリンクしますが…
http://pluto.pobox.ne.jp/fare_s36.html

これを見ると分かりますが、70系統はこの当時は信濃町駅・六本木が
運賃区界になっています。記憶と異なることになってしまうのですが、
昭和40年の運賃改訂のときにでも区界が移動になったのでしょうかね…?
(田町側からの運賃区界が信濃町駅というのはご記憶にありますでしょうか)

昭和40年当時の目黒の所管系統は62,70,71,101,113,129となっており、
一応1区の路線としては62(四谷駅〜官庁街・東京駅)がありましたが
もう廃止が決まっていたような路線なので、70で新たに折返を作って
ワンマン路線を目黒にも作ってみるという目的があったのでしょうね。

>折り返しは2運用(であったと思います。)設定され終日?折り返し運転されていたと記憶しております。

昭和40年の統計では、一ノ橋折返は17.5往復ありました。
終日運行されていたとのことなので、本線に混じって運行されていたので
しょうね。

続きます。

引用なし

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【7304】Re:路線の疑問いろいろ(田70ワンマン)
 きつね  - 04/11/24(水) 18:18 -
PLせつなさん、はじめまして。

いつも楽しく拝見させて頂いております。
子供の頃の数々の謎はこのHPのお陰で解けております。

> 昭和30年代の運賃設定の資料

見させて頂きました。すばらしいです。
この資料、1区15円時代のものですね。確かにその時代新宿から乗車した場合
六本木まで15円、鳥居坂下(当方最寄停留所)まで25円という料金設定でした。
その後運賃が改定され、一の橋まで20円、それより先は30円という料金にな
りました。鳥居坂下利用者としては、料金改定により5円の値下げとなったわ
けでよく覚えております。
また、田町方面からの場合の境界がどこにあったかですが、1区15円時代は記
憶にありませんが多分資料の通り信濃町であったのでしょう。
1区20円時代も確か信濃町であったと思います。というのは、一の橋折り返し
が設定された時に、田町-信濃町の折り返しは設定されないのかな?などと子
供なりに想像していた記憶があるからです。(多少記憶が曖昧です。)
ちなみに、全面ワンマン化後の20円区間の境界ですが、田町側は札の辻の1つ
か2つ前の停留所(三の橋回り、赤羽橋回り合流後の停留所)、新宿側は
新宿○丁目(○は2〜4丁目の何れかですが思い出せません)になりました。

> 5系統(新宿追分〜代田2)

も1区15円時代は2区であったのですね。これは知りませんでした。

> 昭和40年の統計では、一ノ橋折返は17.5往復ありました。
> 終日運行されていたとのことなので、本線に混じって運行されていたので
> しょうね。

そうですね。運行開始当時は2台配車されていて、続行ではありませんが1台
くらい空けて続けて来るようなダイヤでした。ですから、乗車チャンスを逃す
と暫く来なかったのですが、辛抱強く待ったことがあります。

それと、一ノ橋折返の廃止が昭和46年1月1日という件ですが、やはりどうも
記憶と合致しないです。
その件と絡めてちょっと方向幕についても触れておきます。
(話がやや横道にそれます。)
開業当時、田町方面の前面方向幕は、「田町駅」でした。
そのうちに「田町駅東口」となり、初代H代まで続きます。一の橋折り返しは、
「一の橋(麻布十番)」と表記されておりました。(麻布十番)は小さい文字
で「一の橋」の下に記されておりました。
その後、目黒はワンマン化優先順位から外れて暫く新車の投入が無くM代とな
ります。このM代直前からワンマン路線の前面方向幕が、起点-終点併記方式と
なり、その後T代までツーマンへと適用範囲を拡げつつこの方式の方向幕が採用
されておりました。(書体には変化あり)
本題に戻って、一の橋折り返し系統の件ですが、もしこの時代に走っていたと
すると、起点-終点併記方式の一の橋行きが走っていたことになるのですが当方
の記憶の中に無いのです。但し、新車の前面方向幕自体には、
「新宿駅西口 - 一の橋」というのがありました。当時、「この方向幕、使われ
ることがあるのかな?」などと思っておりました。
ひょっとしたら自分がたまたまスレ違わなかっただけなのかも知れないですが、
謎です。

長くなりましたので、とりあえずここで切ります。

引用なし

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