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とうこうしゃ
- 04/10/21(木) 21:28 -
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▼ちゅうそんさん:
開催時には、終日運行の艇10・11とともに、必ず艇07・08・09が終了後に片道のみ運行されます。場外発売のみの場合は、艇10・11だけが運行されることもあります。
いずれの系統も、最終レース終了後は、競艇場発車後に方向幕を貸切、回送、都営バスなどの表示に変えてしまいますので、はっきりと「艇08新小岩駅」と表示されて走っていた車両を初めて見かけたという感じなのでしょう。
方向幕を変える理由は、途中のバス停を通過するため、一般系統の利用者が乗車しないように配慮しているためだと思われます。
>(それとも江戸川競艇場発のみの帰路の片道運行か)
先日も書きましたが、艇07・08・09は競艇場発の片道運行のみですので、それぞれの到着地の降車場所または、バスターミナル内の適当な空きスペースを使って降車させています。
なお、艇09を今井支所が担当していた昭和62年までは、亀戸駅到着後、上26今井ゆきの臨時便として営業運行して入庫していました。
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ちゅうそん
- 04/10/21(木) 23:17 -
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▼とうこうしゃさん:
>開催時には、終日運行の艇10・11とともに、必ず艇07・08・09が終了後に片道のみ運行されます。
それは知りませんでした。よほどのことでない限り運行されないと思っていましたので。
>いずれの系統も、最終レース終了後は、競艇場発車後に方向幕を貸切、回送、都営バスなどの表示に変えてしまいますので、はっきりと「艇08新小岩駅」と表示されて走っていた車両を初めて見かけたという感じなのでしょう。
ちなみに見かけたのは松島三丁目停留所付近です。
>方向幕を変える理由は、途中のバス停を通過するため、一般系統の利用者が乗車しないように配慮しているためだと思われます。
ということは、あのときは何かしらあって艇08の幕を出したまま
新小岩に向かっていたということになりますね。
一般系統の利用者が乗車しないように配慮とのことですが
あのときの状況では、あれだけ混雑していれば乗る気はしないし、
乗ろうと思っても乗り切れないことを理由に乗車拒否されるだけではないでしょうか。
>先日も書きましたが、艇07・08・09は競艇場発の片道運行のみですので、それぞれの到着地の降車場所または、バスターミナル内の適当な空きスペースを使って降車させています。
ごめんなさい、とうこうしゃさんの書き込みをよく見ないで書いてしまい、失礼いたしました。
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タクゾー
- 04/10/21(木) 23:38 -
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▼とうこうしゃさん:
>なお、艇09を今井支所が担当していた昭和62年までは、亀戸駅到着後、上26今井ゆきの臨時便として営業運行して入庫していました。
懐かしい話題なので、横レス失礼します。この艇09、亀戸駅に到着するときにはすでに幕を「上26・今井」に変えていて、現在の亀21・里22の乗り場に入ってきて降車をしていました。当時撮影した写真を見ると全車そうなっているので、これは決め事だったのかも知れません。なぜ、亀戸駅で艇09崩れの上26を撮影した写真が何枚も手元にあるのか?それはこの運用には今井車庫の当時の最古参、先代のZ代が専用車同然に充当されていたからです。しかも今井の車は、江東の60台集中配置をはじめ多数派にして後期型の切妻タイプの車が殆ど廃車されるなか、奇跡的に残った流線型・前扉上半分が三角形タイプの車なので、土曜日はスポーツ新聞で江戸川競艇の開催を確認しては亀戸駅前で撮影し、最終便折り返しの今井行きに乗って2サイクルエンジンの唸りに酔いしれたものでした。以上、ゴミ撒き失礼しました。
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とうこうしゃ
- 04/10/22(金) 10:01 -
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▼タクゾーさん:
現在でもそうですが、特に艇07・08・09には普段は営業所の片すみに置かれている予備車が充当されることが多いですね。
今井支所には、昭和47年度購入のZ代のなかでもいわゆる標準床車が最後まで残っていました。UD独特のあの2サイクルエンジンの音と、白煙を噴出しながら走る後姿が懐かしく感じられます。
かくいう、私もまた、今井のZ代を追いかけていた一人です。
Z613、Z626などあぁ懐かしいですね。
上26は、トロリーバス時代から大変多くの乗客がおり、今井支所の看板的存在でした。競艇開催日のみとはいえ、入庫時に臨時便扱いで運行されていたのも頷けます。
当時、乗務員達は上26を「本線」と呼んでいましたし、閑散とした路線が多い今井支所のなかで、まさに本線と呼ぶに相応しい路線だったと言えます。
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とうこうしゃ
- 04/10/22(金) 10:13 -
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▼ちゅうそんさん:
>ということは、あのときは何かしらあって艇08の幕を出したまま
>新小岩に向かっていたということになりますね。
>一般系統の利用者が乗車しないように配慮とのことですが
>あのときの状況では、あれだけ混雑していれば乗る気はしないし、
>乗ろうと思っても乗り切れないことを理由に乗車拒否されるだけではないでしょうか。
競艇場発車後に方向幕を変えてしまうというのは、営業所の指示なのか、乗務員判断なのか定かではありません。
ただ、私の知り得る限りかなり昔からそうなっています。
伝統的にそうなっているとしか言いようがありませんが、競艇終了後の夕方の時間帯というのは道路も渋滞していますし、艇08が走る船堀街道では、バスを待っている一般の乗客が多い時間帯でもあることから、競艇場のバスということを気付かれないように…という配慮の念もあるのではないでしょうか。
と書いていて思いついたのですが、昔の今井支所のように、艇08も新小岩駅→船堀駅間を営業運行して入庫すれば喜ばれるのではないでしょうか。
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PLせつな
- 04/10/22(金) 15:32 -
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こんにちは。
艇09が今井も担当していたというのを不勉強にして存じませんでした。
ということは、江戸川−今井が両方担当していたのでしょうか?
臨時便扱いというと、かつて杉並が劇場バスを持っていたころは、新宿駅西口に
到着した後引き続き[宿91]で入庫していたのを見たことがあります。
早稲田は……[早77]で返すのかな?^_^;
おまけ:
http://pluto.pobox.ne.jp/bus/line/data/e_u_doc.html
今井の持っていたのはほかには東新小岩方面発着の系統だけで、なるほど確かに
[上26]の存在感が際立っていますね。確かに納得です。
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とうこうしゃ
- 04/10/23(土) 4:34 -
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▼PLせつなさん:
トロリーバスが走っていた時代は、都電・都バスをはじめとする路面交通全盛の時代でした。
江戸川区内においても鉄道未発達時代におけるトロリー101系統とその後の上26系統は、江戸川区を東西に横断する重要な交通手段でした。交通局の年史を紐解くと、今井のバス停でトロリーバスを待つ乗客がバスターミナルからあふれるほどの状況であったことが写真で紹介されています。
今では、見る影もありませんが、そういう時代があったからこそ、艇09を今井まで営業入庫させるという事が、伝統的に続けられていたのでしょう。
さて、競艇場関連では、艇09は今井支所発足以来今井のみが担当していたようです。臨海営業所へ統合後は、江東の担当となり、今井へ営業入庫していた臨時便も運行されなくなりました。
艇08は旧江戸川営業所→臨海営業所→現江戸川営業所と移り変わりはありますが、交通局直営で推移しています。
艇11は開業以来葛西営業所(現江戸川営業所)担当です。
昭和62年の臨海営業所発足前の時点では、艇07は江東、艇09は今井、艇08・10は旧江戸川の担当でした。これは当時の方向幕の装備状況から明らかです。
臨海営業所発足後、艇10に江東担当便も登場しますが、その時期のについては確かな記憶がありません。
>臨時便扱いというと、かつて杉並が劇場バスを持っていたころは、新宿駅西口に
>到着した後引き続き[宿91]で入庫していたのを見たことがあります。
>早稲田は……[早77]で返すのかな?^_^;
そうですね。杉並も交通局直営時代には劇場バスの入庫便を営業していましたね。
ただ、どんな基準や取り決めがあって、臨時に営業運行しているのかは我々の知る由も無いというところですね。
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PLせつな
- 04/10/24(日) 1:19 -
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返答ありがとうございます。
艇09は、今井単独だということなのですね。
上26の乗降客数の移り変わりは添付の通りですが、昭和50年代でおよそ半分に
落ち込んでいます。その後は漸減しており、交通局が資料を出さなくなった以降は
細かい数は分からないものの、江戸川区の統計から見る限り少しずつ落ち込みを
続けています(3,100人/日:平成13年度)。
これを見るに、都営新宿線の影響というよりも、どうも都心側の乗客減の影響が
最初は大きく、後になって船堀・一之江駅開業が効いてきたような気もしますね……。
東小松川〜今井間の上り停留所が上26だけ別なところが多いのも、
特別扱いだということを感じさせます。
>そうですね。杉並も交通局直営時代には劇場バスの入庫便を営業していましたね。
>ただ、どんな基準や取り決めがあって、臨時に営業運行しているのかは我々の知る由も無いというところですね。
たぶん、そのままターミナル駅から所属の車庫まで一般系統がある場合は
なるべく営業、というような形だったのではないかと想像します(だからといって
渋谷駅→渋谷車庫を営業しているのかは謎ですが)。
昭和30〜40年代だと、直接車庫行きとなる劇場バスの設定があったようですが
今はないですね。
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