都バス・談話室S
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【6423】停留所名変更、新設 イチョウ 04/4/27(火) 20:39

【6451】東砂五丁目に関する考察〜[2]昭和30年代 PLせつな 04/5/1(土) 5:27 [添付]
【6452】東砂五丁目に関する考察〜[3]昭和38年 PLせつな 04/5/1(土) 5:27 [添付]
【6453】東砂五丁目に関する考察〜[4]昭和40年代前半 PLせつな 04/5/1(土) 5:27 [添付]
【6454】東砂五丁目に関する考察〜[5]昭和40年代後半 PLせつな 04/5/1(土) 5:29 [添付]
【6455】東砂五丁目に関する考察〜[5+]昭和51年 PLせつな 04/5/1(土) 5:29 [添付]
【6456】東砂五丁目に関する考察〜[6]昭和53年 PLせつな 04/5/1(土) 5:29 [添付]
【6457】東砂五丁目に関する考察〜[7]昭和63年 PLせつな 04/5/1(土) 5:30 [添付]
【6458】東砂五丁目に関する考察〜[8]平成16年 PLせつな 04/5/1(土) 5:30 [添付]

【6451】東砂五丁目に関する考察〜[2]昭和30年代
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:27 -
その後、昭和29年末に27系統が丸八通の北砂町五丁目(後の北砂七丁目)まで
延長され、昭和30年の元旦に北砂町四丁目停留所が増設されました。
ここでポイントなのは、現在と異なり、丸八通り上の停留所名が亀高橋とは
なっていない点です。なぜかやや離れた北砂町四丁目のほうを名乗りました。
その後、昭和31年6月に北砂町七丁目を増設して、この区間の停留所が
出そろいました。

さて、川沿いの[亀24]・[門21]の通る番所橋通りは、昭和30年代はまだ狭く
京葉道路から小名木川(番所橋)のところまでは未開通だったため
この区間のバスの便として、南側の葛西橋から路線を延ばすことに
なりました。それが26系統([秋26])で、(旧)葛西橋からそのまま
番所橋通りへと伸ばし、北砂町十丁目を終点とさせました。

これが昭和36年4月のことで、北砂町第七小学校、北砂町九丁目が
同時に新設されました。終点の北砂町十丁目は今でいう東砂二丁目のあたり
です(もしかしたらもう少し番所橋寄りかも)。

さらに、葛西橋西詰にも停車しました。
当時の橋への取り付け道路や、(旧)葛西橋停留所から140mという
短さを考えると、現在の[門21]の東砂六丁目北付近に両方向とも
あったのではと思われます。で、[秋26]が延伸されたときも
当然のようにここに停車したのではと考えます。
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【6452】東砂五丁目に関する考察〜[3]昭和38年
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:27 -
(新)葛西橋が昭和38年に架橋され、11月1日より29系統はここを通るように
変更されました。取り付け道路も変わったため、葛西橋西詰には
停車しなくなり、代わりに南砂町七丁目(現在の東砂六丁目)に停車するように
なりました。この時点で葛西橋西詰に停まるのは、26系統だけと
なりました。
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【6453】東砂五丁目に関する考察〜[4]昭和40年代前半
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:27 -
昭和40年ごろに番所橋通りがほぼ全通し、昭和42年亀戸側から
28系統(黄緑色、今の[亀24])が延伸され、(新)葛西橋の真下の操車所に
「新葛西橋」停留所が新設されました。代わりに26系統はこの
新葛西橋まで短縮となっています。この時点で葛西橋西詰には
26・28の両系統が停車しました。

停留所の位置ですが、28系統に関しては、現在の[亀24]の停まるところと
同じ位置に作り、新たに停車させたと考えるのが自然でしょう。
26系統はどうしていたかは不明ですが、相変わらず現在の
[門21]の東砂六丁目北の位置に停車していた可能性が高そうです。
そうすると、当時は4箇所ポールがあったのかな?

そして住居表示が施行され、住所を名乗る停留所が軒並み改称となりました。
このときから、27系統([東21])の北砂七丁目の手前の停留所名が
亀高橋に変更になっいます。うーん謎。
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【6454】東砂五丁目に関する考察〜[5]昭和40年代後半
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:29 -
昭和47年に葛西営業所が開所し、城東地区の都電が廃止されて
新たに[草28]系統(紫色)が開通、また秋26は(新)葛西橋を渡って
葛西車庫を終点とするように変更されました。この時点で、
一旦(旧)葛西橋〜葛西橋西詰の営業路線は消滅します。
[亀24]は葛西ができたときから葛西担当なので出入庫はどうしていたか
分からないのですが、回送だったのでしょうか……?
この時点で、26系統のみ停車していた「葛西橋西詰」は
撤去されてしまったのではと思います。

草28は当時は(旧)葛西橋止まりでしたが、折り返し方法は
不明です。(新)葛西橋まで回送で行き来していたのか、
いやそれだと当時から(新)葛西橋まで営業させるはずですし、
(品川駅止まりの都電は、バス代替時に品川車庫まで延長されています)
どこか葛西橋付近に適当な折り返し所があったのかもしれません。
現在の旧葛西橋の先にある怪しい三角形型の道路を使って
折り返していた可能性もありますが……これは当時を知る人に
ぜひ聞いてみたいところであります。
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【6455】東砂五丁目に関する考察〜[5+]昭和51年
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:29 -
丸八通りの開通により、北側からバスが走れるようになり、[亀21]が
開通しました(黄色)。それ以外の変化はありません。
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【6456】東砂五丁目に関する考察〜[6]昭和53年
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:29 -
いつまでも「新葛西橋」ではおかしいということか、ようやく
停留所名が現在のものに変化しました。すなわち、葛西橋は旧葛西橋に、
葛西橋西詰は東砂五丁目に、そして新葛西橋は葛西橋に改称され、
同時に草28は葛西橋の操車所まで延長されました。

ちなみに、やまひろ氏のサイト
http://www.geocities.jp/yamahiro_tokyo/old_bg3.htm
によると、「亀29」も同時に延長されて
いるようですが、当時は亀29で亀戸駅〜葛西橋という運転が
あったのか? でもそれってまんま草28の折り返しでは? と
ちょっとした謎ですね。

この延長による停留所は新設はなかったので、草28は東砂五丁目は
通過するようになったのでしょう。もし、26系統が葛西車庫行きに
変更になっていなかったら、または[門21]のように走る系統が当時から
あったとしたら、[草28]も当然のように葛西橋西詰……いや
東砂五丁目に停車していたと思います。
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【6457】東砂五丁目に関する考察〜[7]昭和63年
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:30 -
昭和63年、有楽町線の新木場延伸による改編で[東21]系統が廃止され、
その代わりに[門21]が走り始めました。さすがに[門21]が東砂五丁目に
停まらないのはおかしいということで、清洲橋通りに[門21]専用の
ポールが増設されたのでしょう。しかし[草28]は結局停まらずじまいでした。
平成になった頃に[草28]も停まるかどうかという議論はあったようですが、
結局停めるだけのメリットもないためか、見合わされたようです。
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【6458】東砂五丁目に関する考察〜[8]平成16年
 PLせつな E-MAIL  - 04/5/1(土) 5:30 -
平成12年、大江戸線改編で[草28]は[両28]と名前を変えましたが、停まらないのは
相変わらずでした。そして[7]から17年、ついに東砂五丁目関連の見直しが入り、
東砂六丁目側にある2カ所の東砂五丁目停留所を東砂六丁目北として、
番所橋通り上の北側の東砂五丁目停留所の向かいに新たに東砂五丁目を
もう一個作り、[両28]も東砂五丁目、もとい東砂六丁目北についに停車する
ようになりました。はとバス委託などの路線見直しで結局停まることに
なったのでしょうか。

以上です。まとめというか多分こんなことだろうということで:
1.元々は東砂五丁目の位置に停まっていた。
2.旧葛西橋〜東砂五丁目は一旦営業路線が消えた。
3.復活したときには通過扱いになってしまった。
4.といっても距離が短いので停めないとすごく不便というわけでもなかった。
5.でも結局今になって復活した。
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