こんにちは。
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臨海の前の前の東荒川営業所ですが、年表を見る限りでは
S17.2.1に陸上交通事業調整法に基づいて東京市バスのものになり、その後は
営業所のままですが、S21.10.1に江東の分車庫に格下げ、S24.12.10に再び
営業所に格上げされています。
戦中に格下げが行われず、戦後になってからというのが引っかかりますが
昭和42年ごろの交通局報の営業所紹介の中に、「昭和21年に再建、当時の
所管路線は22系統と特区(東荒川〜西荒川)だった」という意味の記述があり
ます。22系統はS21.8.1開通で、特区はS22.12.1開通で、それ以前に
東荒川所管にできそうな路線はありません(15系統(錦糸町駅〜三角)は
昭和46年まで一貫して江東の所管です)。
このことから考えるに、昭和17年に営業所となって、戦時中に所管路線が
全て休廃止されるが営業所という名前だけが亡霊のように残り、改めて
所管路線を持たせて復興するときに分車庫扱いとしたということなのかな〜と
思っています。