▼PLせつなさん:
>15,16,17についても、
>S20.9.4現在とS21.3.15改編で、
>9 亀戸駅〜洲崎 を15 錦糸町駅〜大島とし、
>10 錦糸町駅〜東小松川〜三角 を16 亀戸駅〜東小松川〜三角とし、
>11 境川〜葛西橋〜新田 を17 亀戸駅〜葛西橋〜新田として、
>
>15系統を21年度中に廃止して、16系統を15系統にして、S22.5現在の路線は
>15? 錦糸町駅〜東小松川〜三角
>? 錦糸町駅or亀戸駅〜境川〜新田
戦時中のS19.5.5に三角発着のバス([29]亀戸駅〜船堀橋〜三角)が開業したのですが、このときは船堀橋経由でした。(S20.6.16に錦糸町駅まで延長)ですから、S21.3.15の再編は、
[10]錦糸町駅〜三角を[15]錦糸町駅〜大島7・[16]亀戸駅〜東小松川〜三角に(形の上は分割)再編という形でおこなったものの、乗客数が伸びず、[15]錦糸町駅〜三角に再統合という形をとったかもしれません。であれば、S21.9発行の「コンサイス・東京都区分地図帳」で
[15] 亀戸〜東小松川〜三角
[17] 亀戸〜新田
となっているのも理由が成り立ちます。(すでに[16]は廃止済み)
>それが、S22.8現在の一覧では
>(カスリーン台風の直前)
>15 錦糸町駅〜三角
>16 錦糸町駅〜浦安
>17 錦糸町駅〜新田
>となっています。この時点で17系統は16系統に変更されて浦安まで延長され
>(S22.7.20)、17は16の折返しであると考えるのが妥当のような気がします。
>船堀・東小松川方面から新田に回る系統ができるのはもう少し後の話ですし。
S22.7の時点では[16]は空き番号でしたから、[16]を新設して、[17]を折り返し系統で残した、という可能性もありそうです。短期間の間空き番号が放置された例はこの時期他にもありますし。
>その後、S22.9のカスリーン台風で葛西橋が流失、16・17は集約されて
>16・錦糸町駅〜葛西橋に短縮され(S22.11の錦糸町駅〜浦安全線復旧後に短縮?)
>S23.7.31の運転をもって休止となった……でいいのかな。
葛西橋の流失後、架けられた橋は仮設橋であったそうです(とりあえず歩行者用の仮橋を架け、その後車用の仮橋を架けたとのこと)。仮復旧後、なんらかの理由で橋が渡れなくなった可能性はありますね。特に当時車両が大型になっていたことや、旧橋末期は大型車通行止めが頻発していたことを考えると、バスは通行止めという扱いを受けたのかもしれません。
S23.2.1に[22]が小島まで延長されていますが、これは[16]の江戸川区側を受け持たせる意図があったと考えられます。
正直なところ、戦後直後は事業概要も歯抜け状態ですし、調べるのは困難が伴いますね。旧[25](東京駅〜東荒川)みたいにうまい具合に資料がそろえばいいのですが。