▼PLせつなさん:
都バス車両データ集の発行元である都バス資料編纂委員会が、かなり前に発行した「営業所〜都バス前線基地の歴史〜」という本のなかに、各営業所の系譜が紹介されています。
それをみると、営業所・支所、操車所の生い立ちが見えてきます。
境川は、旧都電錦糸堀電車営業所境川分車庫でした。
東陽も、州崎自動車営業所が現在の深川へ移転した際に設置されたものです。
これらの操車所は、都電から都バスに代替されたり運行拠点が移転した後も従来の運転形態を維持するためや、定期券発売などの乗客サービスを維持するために設置されてきたもののようです。
設置当初とは乗客の流れが変わってしまい非効率な場所になってしまうなど、時代の流れとともに閉鎖されたりするところが出てくるのも仕方の無いことなのでしょう。
ところで、鹿骨ってなんのことなのでしょう?