納得できる(自分なりに^_^;)答えを見つけましたのでお知らせします。
当時の新聞の縮刷版を調べてみた結果、当時の葛西橋は
●昭和35年の1年間のうち、半分の期間は修理中であり、その期間中は
大型トラックとバスは通行止め。
●修理しなくてはならない原因として、橋脚に船がぶつかって橋げたが
ずれたり、橋に大穴が開き、バスの車輪がめりこむ事故がおきている。
(昭和36年1月5日 朝日新聞朝刊12面による)
という状況であったとの記述がありました。
>
>あとは考えられることと言えば、この時期は木造橋の末期で、老朽化により
>恒常的に迂回があったのかもしれません。単なる思い付きですが^_^;
というPLせつなさんの予想は正しかったようです。
上で大穴が開いたというのは、錦糸町駅ゆきの都営バスの左車輪が40cm四方
の穴にめり込んだという事故で、この事故が起こった昭和35年2月18日から
4月15日までの間、葛西橋は三輪車以上は通行止め、バスも小松川橋経由で
迂回していたとの記述が別の記事にありました。
古い話にお付き合いいただき、本当にどうもありがとうございました。