▼PLせつな(管)さん:
▼本郷学園さん:
>・戦前は「東京市電気局」でした。つまり、東京市(主に都心部の昭和初期までの東京15区)がエリアでした。
>・関東大震災後の市街地の拡張とともに、その周辺の山手線にも広がっていきました、
>・昭和17年の戦中の交通調整でエリアごとに事業者を一つに決めることになり、市バスは山手線から荒川放水路を中心としたエリアになりました。
>・事業者を1つにする際に、郊外にあった車庫(杉並、練馬)も東京市での運行になりました。
>・昭和18年に都制が敷かれて「東京都交通局」になったが実態は変わらず。
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>戦後に青梅・八王子に路線が敷かれたのは、終戦後の多摩地域の振興を目的として特別に東京都が運行することになった(八王子は京王と共同運行)もので、一種の特別扱いです。
>青梅の市内の一般系統は西武・西東京が撤退した後に代わりに走らせたもので、これも特殊な経緯ですね。
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>現在は、自治体による運行として各市のコミュニティバスが色々あるので、今は交通局が出る意義というのは基本的になさそうです。
返信ありがとうございます。
確かに今では色んな場所で区や市のコミュニティバスがあるので、東京都が担当することの意味はないですね。また、都バスでなくても私鉄会社の路線バスもありますのでなおさらですね。