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▼よこりん様:
ご回答ありがとうございます。
>島しょの町村営バスは小学校と同じく非営利ですから、一応は、営利の都バスに編入するのは難しいと思います。
非営利だというのは初めて知りました。でも、人口の少ない島しょのバスが営利だったら、倒産していますね(笑)。僕が無知でした。
>大島の民営バスにしても、東海汽船の航路とトータルで成り立っていますから、都営移管というのは考えずらいのではないでしょうか。
大島旅客自動車が東海汽船の傘下だというのは知っていましたが、航路と連携しているとは思っていませんでした。
▼PLせつな様:
ご回答ありがとうございます。
>今の世の中においては、バスを事業として運行するにはいくつかのやり方があります。上のリストではほぼ全ての島内バスが公営となっていますが、これらは都営バス(公営企業)のような独立採算制ではなく、公的補助を前提とするシステムで、そもそもの思想が異なります。
システムが違ったら、編入は難しいですね。僕はあまりこういうことに詳しくないので、勉強になりました。
>何の前提条件も考えないとしたら、東京都の中の話であるため、都営バスとして走らせることは不可能ではないと思います。
>ただし、「都営バス」として走らせるための大義名分が必要になるかと思います。既に公営バスとして走っている地域が大多数である以上、ガタリさんは、この部分についてはどのような理由づけが良いと思うでしょうか?
先の、システムの話と合わせて考えてみても、南の島のバスをわざわざ「都営バス」として走らせるのも、おかしな話ですね。理由無しに編入を考えたのには、少し反省しています。
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▼ガタリさん:
大島旅客自動車は、2003年まで東海汽船の直営でした。この点からも、大島島内の利便性を高めて自社航路に観光客を誘致するため、という性格が窺えますね。
昭和30〜40年代であれば、島しょ振興の名の下に八丈島あたりに都営バスが走った可能性があると個人的には思います。ただ、今は公営企業といえども採算性が強く求められますから、なかなか難しいでしょうね。
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▼よこりん様:
ご回答ありがとうございます。
>昭和30〜40年代であれば、島しょ振興の名の下に八丈島あたりに都営バスが走った可能性があると個人的には思います。ただ、今は公営企業といえども採算性が強く求められますから、なかなか難しいでしょうね。
そうですかぁ。もしも走っていたら見てみたかったです。採算性の問題からしたら、しょうがないかもしれませんね。
では、交通局に、島しょに路線を作る計画は出たことがあるのでしょうか?あるいは、出たことがあるのなら、それがなぜなくなってしまったのでしょうか?皆様、ご回答お願いします。
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PLせつな
- 10/3/8(月) 1:46 -
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▼ガタリさん:
>では、交通局に、島しょに路線を作る計画は出たことがあるのでしょうか?あるいは、出たことがあるのなら、それがなぜなくなってしまったのでしょうか?皆様、ご回答お願いします。
こんにちは。
交通局40〜80年史を改めて読み返してはいないのですが、特にそのような記述があった記憶はないのですが、特に計画自体存在しなかったのではないかと思います。
もともと、東京都交通局は昭和18年までは東京市電気局と名乗っていたことからも分かる通り、東京市(=現在の東京23区)を営業エリアとする公営企業でした。それが、太平洋戦争中の統制強化により、交通調整という名目で会社ごとにエリアを厳格に分けることとして、現在の赤羽〜池袋〜渋谷〜品川より東側、という区分けが固まります。
さらに、昭和18年に東京は都制を施行し、東京市という存在が消えてしまったために一段階上の東京都交通局と名乗ることになりました。これも首都東京の統制強化を狙ったものと言われています。他の政令指定都市であれば、〜〜市〜〜区となるところですが、東京23区(当時は35区)は〜〜区だけの住所、というのはこのときから始まりました。
このため、名前は東京都交通局ですが、エリア等の面では、実質的には東京23区交通局という存在であったものと思います。そのため、23区より外側のエリアについては積極的に路線を拡張することはなかったのではないかと。(戦後の民営各社との相互乗り入れ路線については、あくまで民営と手を組んだから出来たことだと思います)
島部のバスについては、伊豆大島については昭和10年に大島観光事業というところがバス事業を始めたのが最初のようです(昭和23年に東海汽船グループに吸収)。既に民営の事業者が存在している状況で、あえて都営が乗り込む意義はないと見るべきでしょう。(島部は戦時中の交通調整の対象外だったはずです)
それ以外の島については調べきれていません。ただ、実質的なエリアが23区であった交通局にとっては、島部にエリアを伸ばすことはあまり考えに入っていなかったのではないかと思います。
#八丈町営バス等がいつ頃から走り始めたのは興味あるところですが
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▼PLせつな様:
ご回答ありがとうございます。
>もともと、東京都交通局は昭和18年までは東京市電気局と名乗っていたことからも分かる通り、東京市(=現在の東京23区)を営業エリアとする公営企業でした。それが、太平洋戦争中の統制強化により、交通調整という名目で会社ごとにエリアを厳格に分けることとして、現在の赤羽〜池袋〜渋谷〜品川より東側、という区分けが固まります。
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>さらに、昭和18年に東京は都制を施行し、東京市という存在が消えてしまったために一段階上の東京都交通局と名乗ることになりました。これも首都東京の統制強化を狙ったものと言われています。他の政令指定都市であれば、〜〜市〜〜区となるところですが、東京23区(当時は35区)は〜〜区だけの住所、というのはこのときから始まりました。
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>このため、名前は東京都交通局ですが、エリア等の面では、実質的には東京23区交通局という存在であったものと思います。そのため、23区より外側のエリアについては積極的に路線を拡張することはなかったのではないかと。(戦後の民営各社との相互乗り入れ路線については、あくまで民営と手を組んだから出来たことだと思います)
確かに、都バス以外でも、地下鉄も日暮里・舎人ライナーも都電も、ほぼ全てが23区内ですね。そうすれば、「東京23区交通局」には島しょにバスを走らせる計画はないといえますね。交通局の路線(地下鉄やバスなど)が大体23区内におさまっているのには、恥ずかしい事ながら、あまり気づいていませんでした(多摩地域は特殊なので除きます)。
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