たしかに言われてみると半開きがありましたねえ。バス化された初日に乗ったときはたしか車掌が乗務していたと思います。でも言われるようにすぐワンマンになってしまいました。
男の車掌さんが浅草観音の停留所で停留所名を言ったのちに「国際通り」と補足した記憶があります。当時は正式停留所名のほかに通称を補足することがよくありました。あれはなぜかバス化された後のような気がしますが、バスには男の車掌はいないからトロリーバス時代の話ですね。あるいは運転手が補足したのかなあ。ワンマン化された直後は運転手もワンマン手当をもらえるので張り切っていた可能性もあります。たまたまある運転手が乗客と、ワンマン手当を払ってもワンマン化したほうが経費節減になるかな、と話していました。ということは二人分とまではいかないまでもある程度の手当を貰えたのでしょうね。
ある都電ファンの人から今朝、馬道から浅草観音までは101と104は共同の架線を使い、浅草観音に電気フロックというものがあって分岐したと教えてもらいました。これで私の見たのは浅草観音で決定でしょう。隅田公園は道路が言問橋から西に下降しているので、見た光景とは違うなあとは思ったのですが、架線が1組しかなかったので、もしや、と思ってしまいました。