104系統がポールを付け替えたと言う記憶は(当時は小学生の低学年でした)ありませんでしたので、推測で申し訳ないのですが、並行区間が浅草2丁目〜浅草3丁目間の1停留所でしたので、おそらく101系統用の他に、104系統用の架線も張ってあったと思いますが、これが、池袋〜三ノ輪2丁目間で並行する103系統と、104系統の場合は別架線とは考えにくいです。
さて、トロリーバス自体の話から、表題の本論に話を移しますと、602〜604系統の場合は、最初から代替バスがワンマンで登場したように記憶しています。 601系統は登場当初は車掌が乗務していて、ツーマン専用車で運行されて、後にワン・ツーマン兼用車に変わりましたが、このバス車掌側のドアレバーではドアが半開きにしか開かなかったのを覚えています。
でも、車掌用のレバーは閉じのほか半開と全開位置があったので、多分車掌は全開までレバーを動かさなかったのでしょうね。
ほどなく、ワンマン化されましたが、いい思い出です。
この当時朝の数本のみ、本来二天門経由の604系統池袋駅東口行が浅草3丁目・浅草警察署経由で運転されていましたが、ほどなく統一されました。
また、トロリーバス時代は覚えていませんが、604系統になってからは浅草雷門循環だったので、浅草3丁目〜東武浅草駅方面をスルーで乗ることが出来ました。当時は戸山営業所がバスの車庫になったため、三菱の車が使われていたので、後に昭和町分車庫が戸山(早稲田)持ちから滝野川に変わったので、いすゞ車に変わった時は驚きました。