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三ノ輪車庫
- 09/3/10(火) 18:39 -
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▼都電37番さん:
なつかしいですねぇー。
トロリーバス、しかも101系統。小学生の頃、隅田公園〜入谷2丁目間を通学で利用していました。
隅田公園〜浅草2丁目間には101系統と104系統が交差する馬道交差点を通ります。
都電の時には気にならなかった架線同士の交差ですが、トロリーバスでは屋根が「ゴロゴロ」と鳴ったのを覚えています。
104系統は浅草雷門行きが馬道交差点を右折、池袋駅東口行は、同交差点を101系統と直交するように直進していました。
「ゴロゴロ」という音だけではなく、電車のようなバスのような独特なモーター音も記憶に残っていますが、鶯谷駅行きはバス化後どうなったのかと思ったら、直後は「上野桜木」行として残ったのですね?
今はすべて上野公園行きですけれど、折返所付近は建物が密集して当時をしのぶ事は出来ないようです。
代替バスの601→上26系統は亀戸で分断されましたが、何の因果か南千住が元の大塚分を担当する事になり、時の流れを感じます。
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都電37番
- 09/3/11(水) 6:23 -
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はい、上野桜木町(現、上野桜木)でも本線を直進するトロリーバスの屋根がゴロゴロとなりました。
馬道交差点だったかその隣接だったか覚えていないのですが上野公園行きのトロリーバスを待っていると、言問通りと直行する道路をトロリーバスが北からポールを下げたまま右折して私の前に止まり車掌がポールを架線に接続するとそのまま走っていったことがありました。
だから浅草雷門行きは、ポールを下げて言問通りに合流したのかなあ、だけど当時の書籍などにはそのように書いてはなかったと疑問に思っていますが、ご存知でしょうか。
あるいは合流部の架線工事か何かで迂回して架線のないところを通って言問通りに合流したとも考えられるのですが。
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三ノ輪車庫
- 09/3/11(水) 15:43 -
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確かに104系統の浅草雷門行は、馬道交差点を右折していたので、架線もそのように張られていたと思います。ですけれど、トロリーポールのホイールは直交には対応できても、平行移動には対応できないので、車掌が架線の付け替えをやったのではと推測できます。なお、103・104系統用の車両は、103系統が明治通りで、踏切を通過する際、1500ボルトの架線と直交する形になるため、この区間を通過できるよう、バッテリーを備えた車両を使用して、踏切通過時にはポールを下げてバッテリー駆動で運転できるようになっていたので、都電37番さんがご覧になったときは馬道交差点をポール下げ状態で右折したのだと思います。
でも、右折用の架線は張ってあるし、ポール下げ状態での右折。普段なら考えられない気がします。
余談ですが、亀戸方向の浅草3丁目バス停は上26となり、本数が減った現在でもトロリーバス時代の位置のままです。
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都電37番
- 09/3/14(土) 7:21 -
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▼三ノ輪車庫さん:
> 確かに104系統の浅草雷門行は、馬道交差点を右折していたので、架線もそのように張られていたと思います。
私が待っていた停留所へは架線のないところを右折して来たので、可能性が高いのは浅草三丁目か隅田公園です。道路工事か架線工事で迂回したと思われます。私は101系統以外は乗ったことがないので、トロリーバスが架線のないところを走るなんて驚きでした。
102系統と103系統の車両だけ補助エンジンを付けていたと書籍で読んだのは高校生になってからで、あのときからかなり後でした。しかし補助エンジンは排気量の小さいものなので、速度はそれほど出ないそうです。蓄電池を使わなかったのは蓄電池は重いのと、当時は600Vに上げる技術がなかったためでしょうね。蓄電池を直列で600Vにするというのは危険です。
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三ノ輪車庫
- 09/3/15(日) 10:52 -
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そうでした。バッテリーではなく、補助エンジンでした。失礼しました。
あくまで補助なので、短区間の走行に使用するだけの出力しかなかったと思います。この車両は戸山営業所に所属していたので、103系統だけではなく、補助エンジンの不要な102や104系統にも使用されていたんでしょうね。
今井営業所の101系統にはそのような機構を備えた車両はなく、前面2枚窓で101系電車のように上部がくぼんだタイプが来ると「当たり」と言って喜んでいました。
都電37番さんには懐かしいお話をいだだいて、こちらも昔を思い出させていただきました。ありがとうございました。
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都電37番
- 09/3/16(月) 6:12 -
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新たに一つ疑問が出てきました。
104系統が馬道交差点で言問通りに合流したあとは浅草三丁目で左折しますが、私が立っていた停留所に左折用架線はなかったので、考えられるのは隅田公園ということになります。
馬道で合流して浅草三丁目で分岐する間は1停留所なので、架線は101に合流せずに2組のまま平行し浅草三丁目で分かれれば、付け替え作業を省略できますがご存知でしょうか。
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三ノ輪車庫
- 09/3/20(金) 12:35 -
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104系統がポールを付け替えたと言う記憶は(当時は小学生の低学年でした)ありませんでしたので、推測で申し訳ないのですが、並行区間が浅草2丁目〜浅草3丁目間の1停留所でしたので、おそらく101系統用の他に、104系統用の架線も張ってあったと思いますが、これが、池袋〜三ノ輪2丁目間で並行する103系統と、104系統の場合は別架線とは考えにくいです。
さて、トロリーバス自体の話から、表題の本論に話を移しますと、602〜604系統の場合は、最初から代替バスがワンマンで登場したように記憶しています。 601系統は登場当初は車掌が乗務していて、ツーマン専用車で運行されて、後にワン・ツーマン兼用車に変わりましたが、このバス車掌側のドアレバーではドアが半開きにしか開かなかったのを覚えています。
でも、車掌用のレバーは閉じのほか半開と全開位置があったので、多分車掌は全開までレバーを動かさなかったのでしょうね。
ほどなく、ワンマン化されましたが、いい思い出です。
この当時朝の数本のみ、本来二天門経由の604系統池袋駅東口行が浅草3丁目・浅草警察署経由で運転されていましたが、ほどなく統一されました。
また、トロリーバス時代は覚えていませんが、604系統になってからは浅草雷門循環だったので、浅草3丁目〜東武浅草駅方面をスルーで乗ることが出来ました。当時は戸山営業所がバスの車庫になったため、三菱の車が使われていたので、後に昭和町分車庫が戸山(早稲田)持ちから滝野川に変わったので、いすゞ車に変わった時は驚きました。
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都電37番
- 09/3/20(金) 14:57 -
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たしかに言われてみると半開きがありましたねえ。バス化された初日に乗ったときはたしか車掌が乗務していたと思います。でも言われるようにすぐワンマンになってしまいました。
男の車掌さんが浅草観音の停留所で停留所名を言ったのちに「国際通り」と補足した記憶があります。当時は正式停留所名のほかに通称を補足することがよくありました。あれはなぜかバス化された後のような気がしますが、バスには男の車掌はいないからトロリーバス時代の話ですね。あるいは運転手が補足したのかなあ。ワンマン化された直後は運転手もワンマン手当をもらえるので張り切っていた可能性もあります。たまたまある運転手が乗客と、ワンマン手当を払ってもワンマン化したほうが経費節減になるかな、と話していました。ということは二人分とまではいかないまでもある程度の手当を貰えたのでしょうね。
ある都電ファンの人から今朝、馬道から浅草観音までは101と104は共同の架線を使い、浅草観音に電気フロックというものがあって分岐したと教えてもらいました。これで私の見たのは浅草観音で決定でしょう。隅田公園は道路が言問橋から西に下降しているので、見た光景とは違うなあとは思ったのですが、架線が1組しかなかったので、もしや、と思ってしまいました。
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