▼PLせつなさん:
こんばんは。
>いすゞBA741 124輌 H414〜467・531〜604
>日野RB10 36輌 H468〜486・605〜621
>三菱MR480 46輌 H487〜507・622〜647
>日デ4R92 23輌 H508〜530
>の計229輌です。車号は多分上の通りではないかと思います。
>記録から逆算すれば、推定ですがいすゞのうち富士重は73輌、川崎は51輌となります。
H414〜440,531〜577が富士重、H443〜467,578〜604が川崎というところまではっきりしています。H441がどちらであったかご存じの方がいらっしゃれば解決するのですが。
>H代が入った当時はまだ現在の車号方式ではなく、ナンバープレートの番号を用いていた時代なので、改番時にどのような扱いになったのかはよく分かりません。いすゞ・日野・三菱・日デ・いすゞ・日野・三菱と番号が並んでいますが、2回に分けて導入されたのかどうかも不明です。
江戸川にいた10台についていえば、R-H461〜467には昭和40年1月製造、602〜604には昭和40年4月製造のプレートが貼られていました。また、登録ナンバーも前者が足立2い17**、後者は20**だったと記憶しています。2回に分けての導入と考えてほぼ確かなのでは、と思います。