東京タワーへいらっしゃい(昭和33年)

 昭和33年12月に完成した東京タワー。電波塔としてはもちろん、東京の新しい観光名所・シンボルとして、非常に多くの人が訪れるようになった。交通局でも利用客の利便性を考え、開通と同時に東京タワー停留所を新設、45系統(大井鮫洲町〜品川駅東口〜浜松町駅、後の浜95)と48系統(新橋駅〜内幸町〜慈恵会医大、後の橋88[廃止])を東京タワーまで延伸し、71系統(橋86)の停車する飯倉四丁目、現在の東麻布一丁目に東京タワー前という副名称をつけた。現在の東京タワー入り口はこのときの飯倉一丁目であり、いつの間にかタワー前の停留所が移動したことになる。これは、そのときのチラシである。最寄り停留所としては、飯倉四丁目の他、赤羽橋・芝園橋・芝公園・飯倉一丁目が示されている。城南のだいたいの都電系統に対応させるためであろう。まだこの近辺に地下鉄はなく、都電が都市交通の覇権を握っていた最後の時代であった。
 この後、昭和35年9月に76系統(後の渋88)が渋谷駅〜六本木〜東京タワーの路線として開通し、同じころに東京タワー下の道路を通る113系統(後の東98)に東京タワー停留所が増設されて、路線網は完成を見た。現在でも浜95と東98は当時の姿がだいたいそのままで残っており、観光目的で使う客の姿もわずかながら見ることができる。