記録=目黒新橋さん・想い出の志村さん・naganoさん

渋谷駅と新橋駅を結ぶ[橋85]。同じところを結ぶ系統として、昭和58年に都市新バス化された[都01]渋谷駅〜六本木〜新橋駅が存在するが、両者の雰囲気は全く異なる。ビジネス街や歓楽街を走り抜ける[都01]に比べ、病院から住宅地、オフィスビルまでより幅広く、地元に密着した感じがする。かつての都電35系統の代替として目黒営業所担当で誕生した[橋85]は乗客も多く、本数も多かった。狭い道路もなく、都市新バス化の効果が高いと判断されたのか、都市新バス化では[都01]に7年の遅れをとりながらも平成2年3月31日より都市新バス第6弾「グリーンエコー」として新たなスタートを切ることになった。
都06・愛称募集のチラシ(表)
都06・愛称募集のチラシ(裏)
ここでは、[橋85]の時代の最後の姿を紹介する。
(目)
始発の渋谷駅ターミナルにて。平成に入ってからターミナルの大改造が行われたが、[橋85]の乗り場の位置は現在の[都06]の位置と同じである。左に見えるのは[都01]であるが、現在はタクシー乗り場になっている。
現在と同じく、朝ラッシュ時は赤羽橋行きと新橋駅行きを分離して乗車を行っていた。左はF代(昭和53年度)、右はM代後期かN代前期(昭和58〜59年度)であろうか。ちなみに、[橋85]時代は終日にわたって赤羽橋止まりと新橋駅行きが交互に運行されていた。以下に昭和63年現在のダイヤを示す。
| 橋85 渋谷駅 昭和63年10月1日現在 | ||
| 新橋駅行 | 目黒駅行 | |
| 6 | 30 36* 42 49* 55 | |
| 7 | 02 08* 14 19* 24 27* 30* 33 36* 39* 42 45* 48 51* 54 57* | |
| 8 | 00* 03 06* 08* 10 12* 14* 16 18* 20* 22 24* 26* 28 30* 32* 34 36* 38* 40 43* 46 49* 53 57* |
56 |
| 9 | 02 07* 12 17* 22 27* 33 39* 45 51* 57 | 04 09 21 24 29 31 34 39 55 |
| 10 | 03* 09 15* 21 27* 33 39* 45 51* 57 | 03 27 58 |
| 11 | 03* 09 15* 21 27* 33 40* 47 54* | 09 59 |
| 12 | 01 08* 15 22* 29 36* 42 48* 54 | 11 |
| 13 | 00* 06 12* 18 24* 30 36* 42 48* 54 | 56 |
| 14 | 00* 06 12* 18 24* 30 36* 42 48* 54 | |
| 15 | 00* 06 12* 18 24* 30 36* 41 46* 51 56* | |
| 16 | 01 06* 11 16* 21 26* 31 36* 41 46* 51 56* | 13 25 31 59 |
| 17 | 00 04* 08 12* 16 20* 24 28* 33 38* 43 48* 53 58* | 05 15 25 34 57 |
| 18 | 03 08* 14 20* 26 32* 38 44* 50 57* | 02 11 19 22 26 34 46 50 59 |
| 19 | 04 11* 18 25* 32 39* 46 53* | 03 07 17 22 27 37 48 |
| 20 | 00 07* 15 23* 31 39* 47 55* | 00 06 40 47 54 |
| 21 | 03 11* 19 27* 35 45* 55 | 46 54 |
| 22 | 02 11 23 35 45 | |
| 無印…新橋駅 *…赤羽橋行 | 無印…目黒駅 | |
(目)
渋谷駅の歩道橋から見渡した一枚。今も昔も活気のあるターミナルである。[都01]の屋根つきターミナルが懐かしい。[橋85]は都市新バス化する前は古参から最新鋭までバラエティー豊かな車が入っていた。最後尾左のF259は昭和53年度、右のV551は平成元年度と、11年の開きがある。[橋85]の都市新バス化に伴って大量導入された専用車はV代(後期)であったが、目黒営業所は前期にも7輌導入(V550〜V556)していたため、およそ半年だけ新鋭のV代が[橋85]で走る姿を見ることができた。
(目)
中ノ橋付近にて(?)。特徴あるフェイスのF代車(M-F264)である。当時の最古参グループといえる存在であった。
(目)
後ろから一枚。背面の塗りわけが今から見るとちょっと変わった感じがする。[都06]化とともに除籍されたため、最後のご奉公という感じで走っていた。非冷房車もこのころになると少数勢力だったため、「ハズレ」な車であったようだ。
(na)
[橋85]つながりで1枚。不評をかって少ししか続かなかった赤黄塗装のH代(M-H118)である。なお、赤羽橋止まりは折り返しの都合上、一ノ橋から赤羽橋にかけて一本北の道路(環状3号/外苑東通り)を走り、赤羽橋交差点を2回右折して元のルートに戻っていた(上の路線図参照)。これは現在でも変わっていない。ちなみに、同ルートはバス以外右折禁止となっているので注意。
(目)
一ノ橋付近を渋谷駅へと向かう[橋85]。中堅世代のM-M291(昭和58年度導入)だ。
(目)
目黒担当だったため、出入庫は渋谷駅〜天現寺橋〜目黒駅で行われていた(走行車線の関係により、入庫のみ広尾病院は通過)。本線の本数も多かったため、固定客も存在した。写真は目黒営業所の入庫口で休むバス。[都06]になってからも変わらず運行されていたが、平成11年以降の段階的な渋谷への移管により、平成15年3月31日限りでこの出入庫路線も廃止されてしまった。