○四92(統合)←[503]←[都電3]
→一部[反96]
品川営業所 H12. 6. 1訂補
本1 | 品川車庫〜品川駅〜魚籃坂下〜赤羽橋〜虎ノ門〜四谷駅 | 9.230/ 9.380km | |
本2 | 品川車庫〜北品川2〜品川駅〜魚籃坂下〜赤羽橋〜虎ノ門〜四谷駅 | 平朝 |
品川車庫発 | 6:26〜21:30(土21:31) | 四谷駅発 | 7:00〜22:06 |
本 | 運転間隔 | 所要時間 | 表定速度 | |
平日 | 66回 | 朝7〜10 昼16〜18 夕13〜17 | 30〜61 | 9〜18 |
土曜 | 42回 | 25〜28 | 31〜44 | 13〜18 |
休日 | 37回 | 20〜26 | 30〜39 | 14〜18 |
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
503 | S42.12.10 | 目黒 | 8.068km | 都電3(品川駅〜飯田橋)の代替で、品川駅〜札の辻〜赤羽橋〜虎ノ門〜 四谷見附〜市谷見附〜飯田橋が開通 |
503折 503出入1 |
S42.12.10 | 目黒 | 7.363km 10.688/10.386km |
品川駅〜札の辻〜赤羽橋〜虎ノ門〜四谷見附を開設 目黒駅〜五反田駅〜品川駅〜札の辻〜赤羽橋〜虎ノ門〜四谷見附を開設 |
503 | S44.10.26 | 品川 | 7.363km | 四谷見附〜飯田橋を短縮、品川に移管。また目黒発着の出入1を廃止 |
503 | S45. 6. 8 | 品川 | 8.118km | 品川車庫〜品川駅を延長 |
四92 | S51.11.20 | 品川 | 8.403km | 四谷見附〜四谷駅を延長 |
四92 | S54.11.23 | 品川 | 9.230/ 9.380km | 東91・橋99の廃止により品川駅〜赤羽橋を札の辻経由から魚籃坂下・一ノ橋経由に変更 |
四92 | H12. 4. 1 | 品川 | *** | 朝ラッシュ時に第一京浜経由を開設 |
四92 | H12.12.12 | 品川 | *** | 反96と統合、品川車庫〜一ノ橋〜四谷駅を廃止 |
本 1 |
本 2 |
(H15.2.1) |
○ | ○ | 品川車庫前 |
| | | ● | 北品川一丁目 |
● | ● | 品川駅前 |
● | ● | 高輪北町 |
● | ● | 泉岳寺前 |
● | ● | 高輪一丁目 |
● | ● | 魚籃坂下 |
● | ● | 古川橋 |
● | ● | 三ノ橋 |
● | ● | 二ノ橋 |
● | ● | 一ノ橋 |
● | ● | 中ノ橋(南) |
● | ● | 赤羽橋 |
● | ● | 東麻布一丁目 |
● | ● | 虎ノ門五丁目 |
● | ● | 神谷町駅前 |
● | ● | 虎ノ門三丁目 |
● | ● | 虎ノ門二丁目 |
● | ● | 虎ノ門 |
● | ● | 霞ヶ関三丁目 |
● | ● | 溜池 |
● | ● | 山王下 |
● | ● | 赤坂見附 |
● | ● | 四谷見附 |
○ | ○ | 四谷駅前 |
品川車庫〜四谷駅間には、都電3系統(品川駅〜飯田橋間)の代替四92と、同7系統(品川駅〜四谷三丁目間)の代替四97が存在し、品川車庫〜古川橋間は、同じ経路を運行した。品川駅ターミナルでは、四92の「一ノ橋経由」、四97の「天現寺橋経由」を強調し、乗り場が区別されていた。平成12年12月の改編により、両系統が同時に四谷駅から姿を消したことは、何とも寂しい。「四」の漢字を冠していた3系統は、この改編で全て消滅してしまった。
この路線もいわゆる双子系統(→草63・64参照)であったが、だんだんとこういった路線は消えていく運命にあるのだろうか。ちなみに、前面方向幕が「四92 四谷見附(四谷駅)」「四97 四谷駅」「四80 四谷駅前」と3つとも異なっていたのも面白かった。
なお、品93・四97が朝の一国経由を設定していた(→品93参照)のに対し、四92は品川駅折り返しをすることで京急の踏切通過を避けていた。しかしどういうわけか平成12年春のダイヤ改正に至って四92にも第一京浜迂回が登場した。その寿命は7ヶ月と少しであった。
京急の八ツ山踏切を通るバスにとって、平日朝が開かずの踏み切りとなってしまうのは痛い問題であった。これを避けるために品93・四97(→品97)は朝の一国経由を設定していた(→品93参照)のに対し、四92は品川駅折り返しとしていた。かつては、現在のNEWDAYSのあたりで降車させ、そのまま道路を横断していたようだが、品川駅改良工事により使用不可となった。そのために編み出されたのが、第一京浜の八つ山橋を渡ってすぐのところを左折し、京急の八つ山踏み切りの脇を通り、第一京浜に戻るルートであった。品川バスターミナル発の夜行バスも、このルートで転回して次のターミナルである浜松町へと向かっていた。
しかし、この場所も立体交差の工事により使えなくなってしまう。その結果、平成12年4月に他の系統と同じように一国経由となった。その寿命は7ヶ月と少しであった。