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渋谷営業所

系統一覧

渋谷駅〜渋谷車庫〜恵比寿駅〜魚籃坂下〜田町駅 5.700km  
出1 渋谷車庫→恵比寿駅→魚籃坂下→田町駅 4.970km  
出入2 渋谷駅〜渋谷車庫*1 0.830km  

*1 出庫は東二丁目始発

本線の始終発時刻

渋谷駅発 田町駅発

回数・速度

  運転間隔 所要時間 表定速度
平日
土曜
休日

変遷

系統 施行日 所管 距離 概要
1  終戦時 渋谷  *** 渋谷駅〜田町駅が存在
1  S23.11. 1 渋谷 9.870km 追分(現新宿伊勢丹)〜渋谷駅〜田町駅に延長
1  S24. 6. 1 渋谷 5.700km 1系統:渋谷駅〜田町駅と2系統(→早77):渋谷駅〜追分に分割
田87  S47.11.12 渋谷 5.700km 新番号化、田87とする

路線図(H17.6末)

停留所


(H15.2.1)
(S57.12)
(S40.1) (S25.6)
渋谷駅前 渋谷駅前 渋谷駅前 渋谷駅前
並木橋 並木橋 並木橋 並木橋
| | 渋谷車庫 | | 渋谷車庫 | | 渋谷車庫 | | 渋谷車庫
渋谷車庫前 渋谷車庫前 渋谷車庫前 渋谷車庫前
東二丁目 東二丁目 中通二丁目 中通二丁目
東三丁目 簡易裁判所前 簡易裁判所前 恵比寿駅前
恵比寿駅前 恵比寿駅前 恵比寿駅前 新橋通
恵比寿一丁目 恵比寿一丁目 恵比寿通二丁目 豊沢
恵比寿四丁目 恵比寿四丁目 新橋通 北里研究所前
恵比寿二丁目 恵比寿二丁目 恵比寿通一丁目 三光坂下
恵比寿三丁目 恵比寿三丁目 豊沢 魚籃坂下
北里研究所前 北里研究所前 北里研究所前 慶応裏
三光坂下 三光坂下 三光坂下 田町駅前
白金高輪駅前 白金一丁目 白金志田町
魚籃坂下 魚籃坂下 魚籃坂下
三田五丁目 三田五丁目 三田豊岡町
慶應義塾大学前 慶應義塾大学前 慶應義塾大学前
田町駅前 田町駅前 田町駅前

エースナンバー

 過去の番号ではトップナンバー・1系統を名乗っていた田87。その歴史は古く、終戦時には既に現在と全く同じ路線形態となっている。この時点から全く姿を変えていないのは大変珍しく、それだけに地元に定着している系統と言えるだろう。終戦後の一時期、追分(新宿伊勢丹)まで延長されたもののさっさと系統分割され、渋谷駅より北は早77グループに吸収されていった。どのような目的で追分に延長したのかはよく判らない。担当はずーっと渋谷である。

 それ以降は全く姿を変えていない。恵比寿・白金は地下鉄もなかったため本数も安定して多く、昔から都市新バス都06よりも本数が多かった。昭和40年代には北里研究所止まりがラッシュ時に存在したが、本数も多くなかったようで廃止されている。どのように折り返していたのかは定かではない。

 平成の世に入ってからは渋谷駅から魚籃坂下まで田87と同じ経路を走る深夜バスも開通、これによって0時50分が最終と並の鉄道路線より最終も遅くなった。しかし平成12年の南北線・三田線全通でかなりのダメージを受けてしまう。特に深夜バスの遅い時間帯の落ち込みは大きく、平成14年に深夜バスは廃止されてしまった。それでも本数は非常に多く、今なお渋谷営業所の収支を支える縁の下の力持ちである。しかし一気に終バスが繰り上がってしまったのは痛手である。方向幕に装備されている白金高輪駅止まりを活用して、22時台だけでも走らせられないものだろうか。

大胆かつ迅速に

 田87で存在する数少ないイレギュラー運行は、田町駅前の第一京浜をマラソン大会で通行止めにする時に起こる。
 田87の慶應義塾大〜田町駅間は往路と復路で経路が異なるため、単純に反対車線へ転回して折り返す方法ができず、本数も多く現場待機という技も使えないため、慶應義塾大学で運行を終了し、そこから回送で往路と復路が交差するみずほ銀行前を折れて渋谷駅行きとなったが、いつしか復路に合流する交差点を臨時停留所として折返し運行をする形態になっていた。
 マラソン開催時に田町駅の停留所には、バスが来ないとしか告知されていなかったのが、平成14年ころから臨時停留所で折返し運行をしている旨の告知に改められた。しかし臨時停留所が実は交差点だとは、大胆な折返し方法である。