○東20乙(廃止)←東22乙
臨海支所
乙 | 東京駅北口〜日本橋(←水天宮、茅場町→)IBM箱崎ビル | 2.300/ 2.630km | 平朝 |
東京駅北口発 | IBM箱崎ビル発 |
乙 | 運転間隔 | 所要時間 | 表定速度 | |
平日 |
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
東22乙 | H 1. 4.10 | 江東・千住・巣鴨 | 2.300/ 2.580km | 東京駅北口〜茅場町(←湊橋)〜IBM箱崎ビルが開通 |
東22乙 | H 1.12.15 | 江東・千住・巣鴨 | 2.300/ 2.630km | IBM箱崎ビル→茅場町を湊橋・新川1経由から水天宮・蛎殻町経由に変更 |
東22丙 | H 1.12.15 | 江東・千住・巣鴨 | ( 3.020km) | 東京駅北口〜茅場町〜水天宮〜(湊橋→)IBM箱崎ビルを開設、土休日のみの運転 |
東22丙 | H 5. 3.27 | 江東・千住・巣鴨 | *** | 東京駅北口〜茅場町〜水天宮〜(湊橋→)IBM箱崎ビルを廃止 |
東22乙 | H 5. 3.27? | 千住・巣鴨 | 2.300/ 2.630km | 江東営業所が所管から外れる |
東22乙 | H 8. 3.30? | 巣鴨 | 2.300/ 2.630km | 巣鴨営業所の単独所管とする |
東22乙 | H12.12.12 | 江東 | 2.300/ 2.630km | 江東営業所に移管 |
東22乙 | H13. 7.20 | 江東 | 2.300/ 2.630km | 朝夕のみの運転とする |
東22乙 | ||||
東20乙 | H20. 4. 1 | 臨海 | *** | 臨海に移管、はとバスに運行を委託して系統番号を東20乙とする |
東20乙 | H24. 4. 1 | 臨海 | *** | 東京駅北口〜IBM箱崎ビルを廃止 |
東京駅と箱崎のTCATを結ぶこの路線が開業したのは平成元年のこと。江東・千住・巣鴨と珍しい3営業所の共管だった。この直後の「丙」が誕生したダイヤ改正では平日79回、土曜34回、休日31回となっており、今からすれば信じられないほどの本数を誇っていた。しかし没落はあっけなく訪れる。平成2年11月に半蔵門線が水天宮前まで延長開業すると、客足は減り始めた。平成5年には土休日運行の「丙」が廃止、そして江東が脱退。東京駅を発着する小さい路線なのに、この2つの営業所の共管としていたのは不思議なことであった。
平成8年には千住も撤退し、本数も減り、昼間は閑散路線となってしまっていた。そして平成12年の大江戸線改編で、後述する路線改編の影響で巣鴨が担当できなくなったため、江東に再移管。これでしばらくは安定していたのだが、東20:東京駅北口〜東京都現代美術館〜錦糸町駅が開業するのに伴い、朝夕のみの運転に改められ、ますます影が薄くなってしまった。同時期に開業した八重洲口側の[東15乙]住友ツインビル行きとは路線の性格が似ているが、あたらは地下鉄が不便ということもあって隆盛である。はてさて、こちらは今後も生き残るのであろうか……。
東京駅の近くには車庫がないため、こういう路線が出来るとどうしても営業所からの出入庫が面倒になってしまう。千住はこの路線ができた直後は[草43]千住車庫〜浅草橋で営業、そして浅草橋から東京駅北口までは回送していたようだ。平成2年に草43が浅草雷門までに短縮されてからは、どうなっていたのかは不明。全区間回送だったのだろうか。
巣鴨営業所の場合は、最初は[茶51]巣鴨駅→日本橋三越で東京駅北口まで回送、そして[茶51]の終点ターミナルが八重洲口から北口へ移ったときより[茶51]駒込駅南口〜東京駅北口、という運行になった。茶51自体の本数が少なくなっても、出入庫が挟まるときだけは異様に間隔が短くなるため、どれが出入庫かを見破るのはたやすかった。その後、平成12年12月の大江戸線改編で[茶51]は東京駅から撤退することになり、結局[東22]を担当する江東営業所が担当することになった。江東車庫〜東京駅北口の出入庫はどうやら回送のようである。