○537←[501]
品川営業所
本 | 田町駅〜御成門〜馬場先門〜大手町〜淡路町〜上野広小路〜上野駅 | 7.783km |
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
501甲 | S42.12.10 | 品川 | 7.783km | 都電37系統(三田〜千駄木2)の代替で三田〜上野駅が開通 |
501乙 | S42.12.10 | 滝野川 | 8.068km | 駒込駅〜東京駅北口が開通 |
501折 | S42.12.10 | 滝野川 | 5.020km | 駒込駅〜上野広小路が開通 |
537 | S43. 2.25 | 品川 | *** | 537系統に名称変更 |
536乙 | S43. 2.25 | 巣鴨 | *** | 巣鴨に移管 |
537乙 | S44. 6. 9 | 巣鴨 | *** | 駒込駅〜東京駅北口を廃止 |
537折 | S44. 6. 9 | 巣鴨 | *** | 駒込駅〜上野広小路を廃止 |
537 | S44. 9.16 | (芝浦) | 7.783km | 芝浦分車庫の開設により移管 |
537 | S45. 5. 1 | (芝浦) | 8.023km | 田町駅〜三田を延長 |
537 | S47. 1. 1 | (芝浦) | *** | 田町駅〜上野駅を廃止 |
都電1系統と同様、品川方面と上野を結ぶ系統。しかしこちらは日比谷通りを貫通し、秋葉原でようやく中央通りに合流するという路線であった。通る土地も芝公園・日比谷・大手町・淡路町と、よりオフィス街っぽくなっている。南側は都営三田線の役割を併せ持っており、本数も昭和44年の時点で77本と、それなりに確保されていた。都営三田線の三田までの全通は昭和48年であり、それまでは水59(浜59)とともに重要な位置にあったのだろう。
それとは別に、537乙として駒込駅〜東京駅北口という系統があった。こちらは所管も違い、北側の滝野川が持っており、駒込から上富士前まで出た後は上58と同じように上野公園まで出て、ここから537本線に合流し、外神田・淡路町・神田橋を経由し、東京駅北口を終点としていた。都電の北側終点より先のJR駅まで延ばした感じである。さらに駒込駅〜上野広小路の区間運転も存在し、どちらも朝夕のみの運転となっていた。昭和43年現在で乙本線が15回、乙折り返しが17回ということから、約10分間隔でほぼ交互に出ていたのではないかと推測される。
乗客もそれなりに多かったものの、地下鉄との競合や他の路線にリソースを回すためか乙がまずあっさりと廃止。残った甲も昭和46年いっぱいで廃止された。末期にあった田町駅〜三田の延長であるが、意図はよく分からない。路線の都合で一区間延ばしたということであろうか。