都営バス資料館

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担当営業所

志村営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
都営志村車庫~浮間橋~赤羽駅東口~王子保健所~王子駅~池袋駅東口  13.663/13.583km
都営志村車庫~浮間橋~赤羽駅東口~王子保健所~王子駅 9.583/ 9.500km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
42 S27. 7. 5 滝野川 2.850km 王子駅~王子保健所~東十条6が開通
42 S29. 4.23 滝野川 3.950km 東十条6~赤羽駅東口を延長
42 S34.11. 1 (志村) 3.950km 大塚営業所志村分車庫に移管(後の志村支所)
42 S38. 6.15 志村 9.970/ 9.810km 赤羽駅東口~王子駅~尾久駅~田端新町1~日暮里駅に延長
42 S41. 5.21 志村 *** 志村支所が志村営業所に格上げ
140 S44. 4.25 志村 15.600/16.640km 都営志村車庫~赤羽駅東口を延長、国際と相互乗入し140系統とする
140折 S44. 4.25 志村 9.580/10.780km 都営志村車庫~王子駅を開設
140 S46. 6.10 志村 13.663/14.863km 都営志村車庫~王子駅~池袋駅東口に変更
王53 S47.11.12 志村 *** 新系統番号化、王53とする
王53  S50. 9. 3 志村 13.663/13.583km 赤羽駅東口→都電終点(現岩渕町)の経路を赤羽会館前・岩淵1経由から復路と同じショートカット経由に変更
王53折 S50. 9. 3 志村 9.580/ 9.500km 同上
王53  S53.11. 1 志村 *** 都営志村車庫~池袋駅東口を廃止

路線概要

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 池袋駅東口と志村車庫を王子・赤羽経由で大回りして結ぶ。国際興業バスと共同運行を行っていた。池袋駅~王子駅の間は [王40](池袋駅東口~西新井駅)と同じで、王子駅前からは北本通りを北上し、王子三丁目を斜めに左折して細い通りに入る。なお、この区間は往復で経路が異なっており、王子駅方面は王子四丁目交差点を右折して北本通りに入っていた。王子四丁目の停留所はかなり線路寄りにあり、北本通りを走る王子四丁目の停留所とは異なっていた。
 東北本線の線路手前の東十条一丁目で右に折れ、王子保健所(現・北区保健所)を過ぎると東十条駅前通り。東十条駅の北口が近いが、駅までは100メートル程度離れている。東十条四丁目で環七と交差しさらに北上、路線のかつての終点だった成立学園(東十条六丁目停留所)を左手に見て、大通りに入り路上で赤羽駅東口に停車。駅前のロータリーには入らず直進して突き当りの岩渕町で国道に合流して左折、赤羽交差点停留所に停車となる。新荒川大橋の手前で左折して新河岸川沿いに進み、国際興業エリアに入る。東北本線をくぐって真頂院裏・赤羽北一丁目・赤羽北二丁目と過ぎ、浮間地区を走り、舟渡交差点で国道17号に左折し、志村橋を渡ってすぐの志村車庫前が終点となる。

路線の歴史

 王子駅から成立商業までの区間は昭和11年12月に王子電気軌道が開業した区間である。成立商業は昭和6年に神田より移転し、昭和47年に普通科を設置して成立高校に改称した歴史ある商業高であり、通学需要も狙っての路線開設だったのだろうか。
 昭和17年の東京市への統合後も[31](王子駅~成立商業)としてそのまま引き継がれた(前ページ図)が、下十条(現・東十条駅)や電車で代替可能ということで不要不急路線とされ、昭和18年6月の改編で廃止された。
 戦後の復旧は昭和27年7月のことで、42系統を名乗った。戦前と同じく王子駅~成立商業を結んだが、終点停留所は東十条六丁目となった。昭和29年4月に赤羽駅東口まで延伸。昭和34年には志村の開所により滝野川から移管されている。昭和35年の乗客数調査では1日僅か22往復、最混雑区間の平均乗客数も10人/台と限られていた。最多乗降客は東十条郵便局(現・東十条四丁目)で、王子方面へは神谷橋を回る[64](→[王54])よりメリットがあるのだろう。
 昭和38年には王子駅から明治通りを南下して尾久駅を通り、宮地交差点(現・荒川四丁目)から三河島駅を経由して日暮里駅まで延伸された(上図)。溝田橋交差点~宮地交差点は昭和32年のトロリーバスの開業以後路線がなく、6年ぶりのバス路線復活となったが、何を狙ってこのような形にしたのかは分からない。明治通りにバスを復活するにせよ、王子駅発着の路線を新しく作ればいい気もするが、不思議なところだ。日暮里駅は現在のマクドナルド前付近の降車ポールから発車していたようだ。
 この延伸で北区を南北に縦断するようになり、昭和44年4月には国際興業と共同運行を始めて浮間経由で志村車庫まで延伸され、王子~赤羽時代の4倍の距離の長大系統となった。既に長距離の共同運行路線は縮小に入っていた時期の新設は非常に珍しい。都営は元々回送していた出入庫も全区間営業できるメリットもあるが、国際の狙いは何だったのだろうか。新たな都心寄りのルート確保だろうか。少し不思議だ。
 また、当時は赤羽駅東口から岩淵町に抜ける大通りが完成しておらず、志村方面は、赤羽駅東口のロータリーに一旦入った後Uターンして赤羽消防署付近を曲がり、赤羽会館前の停留所に停まって現在のダイエーの先を左折し岩淵中学校に停車、北上して志茂五丁目交差点を左折し都電終点(現・岩淵町)に抜けていた。一方、王子方面は赤羽交差点からそのまま線路沿いに南下して赤羽駅に至っていた。[王57]の項も参照。なお、昭和50年9月からは大通りを直進する経路となり、時間短縮になった。
 昭和46年には日暮里駅を捨てて王子駅から明治通り沿いに池袋駅東口まで至るように変更された。既に尾久側はトロリー代替バスが昭和43年から運行しており([草64])、意義も薄くなったのだろう。
 これにより、東十条沿線から池袋に直接出られるルートとして重宝されたという。しかし、都営バスの財政再建による路線見直しの中、昭和53年11月に全線廃止となった。志村の規模縮小や共同運行系統の原則廃止という方針に沿ったものだが、仮に滝野川所管で単独系統のまま池袋駅~王子駅~赤羽駅というルートだったら生き残ったのだろうか。以後、東十条駅前を通るバスは現在まで設定されていない。
 赤羽駅から浮間方面は国際興業の単独系統が走っていたため、[王53]の廃止による代替系統は特になかった。この区間も、昭和60年の埼京線開業で北赤羽・浮間舟渡の駅ができて大きく打撃を受け、現在では [赤06](赤羽駅東口~浮間舟渡駅)が細々と走るのみとなっている。

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