都営バス資料館

北47

[北47][北48]←[上48]←[30]

担当営業所

千住車庫

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
北47-1 足立清掃工場~竹の塚駅~足立区役所前~千住車庫~北千住駅 9.685km 2 5 8 7 8 7
北47-2 足立清掃工場→竹の塚駅→足立区役所→千住車庫→北千住駅 9.785km 4
北47折返-1 竹の塚駅~足立区役所前~千住車庫~北千住駅 6.715km 26 98 78 83 84 84
北47折返-2 竹の塚駅~足立区役所~千住車庫~北千住駅 6.815km 70
北47折返-3 足立区役所~千住車庫~北千住駅 3.495km 3 3
北47出入-1 足立清掃工場~竹の塚駅~足立区役所~千住車庫 7.590km 1 1 1
北47出入-2 竹の塚駅~足立区役所前~千住車庫 4.620km 3 2 6 3 3 4
北47出入-4 千住車庫~北千住駅 2.095km 15 18 12 13 8 12
北47折返-4 足立清掃工場~竹の塚駅 2.970km 7 7


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
30 S25.5.10 千住 12.273km 千住車庫~三ノ輪橋~上野駅~秋葉原駅~江戸橋~(昭和通り)~新橋駅が開通
30乙  S32.1.12 千住 14.713km 西新井駅~新橋駅を開設
30折  S38.11.1 千住 7.328/ 7.492km 千住車庫~三ノ輪橋~上野駅~上野広小路を開設
30 S44.10.26 千住 7.328/ 7.492km 千住車庫~上野広小路に短縮、折返を本系統に
30 S46.2.1 千住 12.428/13.312km 106系統(草加~東京駅北口)の廃止により北保木間町~千住車庫を延長
上48  S47.12.1 千住 11.948/12.832km 竹の塚駅~上野広小路に変更、短縮
上48  S49.12.1 千住 12.941km 秋47の廃止により、竹の塚駅~上野駅~御徒町駅~秋葉原駅に変更延長。三ノ輪~入谷間を昭和通りから金杉通りに経路変更
北47  S50.10.1 千住 7.895/ 7.445km 足立清掃工場~北千住駅が開通
北48  S53.11.1 千住 6.715km 竹の塚駅~北千住駅に短縮、北48とする
北47  S54.春 千住 7.895/ 7.445km 北47も新たに保木間一丁目に停車するようになる
北47  S57.12.26 千住 9.635/ 9.185km 北48と統合、足立清掃工場~竹の塚駅~北千住駅に変更延長
北47  H8.5.7 千住 9.635/ 9.685km 足立区役所の現場所への移転により、一部経路変更
北47  H18.4.1 千住 9.685km キロ程の修正?
北47折返-4 R 5. 5. 1 千住 2.970/ 2.970km 竹の塚駅~足立清掃工場を設定

概要

北千住駅ターミナルから日光街道を北に向かい、竹の塚駅・足立清掃工場までを結ぶ。竹の塚駅以北は極端に本数が少なくなっており、ほとんどが北千住駅~竹の塚駅の運転となる。なお、これ以外に出入庫の千住車庫発着や平日の足立区役所発着も設定されており、バリエーションは多彩だ。

北千住駅西口の目の前という一等地から[北47]は出発する。駅前通りに入ると、両側にアーケードの連なる商店街「きたろーど1010」を走り、ほどなく千住2丁目。買い物帰りでここから乗り込む乗客の姿も見られる。
停留所の向かい側にはレトロな外環の洋風建築。これは現役の眼科で、大正6年に建てられていた建物が老朽化で建替となった際に、地元住民から惜しむ声があったため元の建物のイメージで昭和57年に建替を行ったという。その並びにはイトーヨーカドーの第1号店である千住店が存在したが、再開発により店舗は閉店。新たにマンションの建築が行われている。。
北千住駅入口交差点を右折。バスは国道4号線日光街道を北上。青看板に宇都宮までの距離が書かれているところに主要国道感がある。
千住四丁目を過ぎ、千住新橋で荒川を渡り側道へと入る。道路の本線はそのまま陸橋で足立区役所方面に抜けられるが、都営バスが上を通ることはない。三つ又に道路が分かれ、さらに東西にも道路が走る六叉路の梅田交差点を過ぎれば千住車庫停留所。ここで乗務員交代を行うこともある。
なお、この交差点を左斜めに入る道は日光街道旧道に続く梅田通りとなり。千住車庫始発の北千住駅行きは梅田通りの裏手の停留所から出発する(下写真)。

側道から本線に合流し、東武線の高架を抜けしばらく国道4号線を北上する。左手に消防署が見えてくると足立区役所前。区役所庁舎は進行方向右側にあり、大きな歩道橋が設置されている。
北千住駅方面は平日ダに設置されている停留所に停車するため構内と路上の2回停車となる。詳しくは折返所の項も参照。
足立区役所に限らず、[北47]の上り方面はバスロケ設置停留所を多く見かける。バスロケを設置した今から約25年前は日光街道の渋滞が酷いため、旅客サービスとして設置したのだろう。
小右衛門町の前にはニトリとイトーヨーカドー食品館が近年オープン。環七との交差点を過ぎると、車窓は郊外型店舗やカーディーラーの姿を見かけるようになる。
停留所名に島根町や六月町などの停留所が続くが、回りの住所は島根や六月。昔ながらの名前のほうが通りがいいのか、そのまま引き継がれている。六月とは珍しい地名で、源義家が当地の豪族と戦って勝ったのが酷暑の(旧暦)六月だった伝説が残るが、実際の由来は明らかではないようだ。
保木間一丁目の先にある竹の塚交差点を左折し、竹の塚けやき大通りを駅へと向かう。保木間仲通りの停留所の両側にはUR(旧公団)の竹の塚第一団地が立ち並ぶ。竹の塚は日本住宅公団が東京の住宅不足を補うため、昭和36年に開発した街で、多くの公団・都営住宅が建設されている。
ケヤキ並木を走り抜け、日光街道の旧道と交わる場

所にある旧道交差点停留所をすぎ、道路の突き当たりが竹の塚駅前である。駅前のロータリーには竹の塚第三団地が面しており、団地の街といった趣だ。
降車専用の停留所は駅ビル前に設置されており、都営バスと東武バスが共用している。[北47]の多くはここで折り返すが、一部の便はこの先、都境にほど近い足立清掃工場へむかう。ここから国道4号線までは来た道を戻るため、竹の塚駅には並んで北千住駅・足立清掃工場行きのポールが別々に建っている。
竹の塚けやき大通りを国道4号線まで戻って再び北上。沿道には近年建てられたマンションが建ち並ぶ。進行方向に陸橋が見えてくると、バスは側道へと進んた所には北保木間停留所。ここは都営バス専用の停留所。さらに側道を進んでいくとバスベイが見えてくるが、これは東武バスセントラルの北保木間停留所。毛
長川橋前交差点を左折し、日光街道の旧道へと入る。ベージュ色の建物が見えてくるとバスはさらに細い路地へと曲がったところで停車。終点の足立清掃工場である。
細い道を50m程進んだ先にバスが4輌程度停車できる折返場があり、北千住駅方向は降車の向かいにある停留所から出発となる。

路線の歴史

 現在は北千住駅から北上する系統だが、元々の成り立ちは千住車庫から都心へと南下する系統で、路線の中心がどんどん郊外へと移っていった興味深い移り変わりの系統である。
 千住から日光街道・昭和通りを直進して都心方面に向かう設定は市バス初期の昭和3年には既に見えており、当時は千住新橋~上野駅~水天宮~日本橋~東京駅乗車口(現・東京駅南口)という設定だった。昭和6年度には千住新橋~上野駅~小伝馬町~本町三丁目~新橋となり、本町三丁目~新橋は往路が中央通り、復路が昭和通りと大きく循環するようになった。千住から都心に向かう市電は上野駅から水天宮方面で終点となっており、銀座まで直通する需要と棲み分けていたのだろう。浅草方面に向かう系統は[草43]の歴史も参照のこと。
 千住車庫の開設とともに千住車庫まで延伸し、昭和14年には上野駅から中央通り経由で日本橋・東京駅乗車口を終点とするように改められた。昭和17年1月の陸上交通調整による再編では、市電との重複を避けて上野広小路止まりとなったが、昭和19年10月には三ノ輪車庫止まりまで短縮され、以降は[草43]が直接の祖先となる。
 戦後は昭和25年5月に改めて復旧し、[30](千住車庫~上野駅~新橋駅)となった。上野駅から新橋駅までは昭和通り経由で、戦前の系統がほぼそのまま復旧となった。もっとも、昭和通りを貫通する系統はこれくらいで、他の系統が中央通りだったのに比べるとややマイナーな立場だった。

 昭和30年の乗降調査では、千住車庫~三ノ輪橋は106往復、以遠79往復となっている。三ノ輪橋発着の出入庫も兼ねていたのだろう。三ノ輪橋→上野駅は終日平均の乗車効率50%とかなりの混雑だった。当時は千住~上野の都電は400往復と相当な本数を運転していても混雑が激しく、それの補完の意味合いもあったのだろう。
 上野から都心寄りも35%程度はあったが、上りと下りで乗車効率が10ポイントほど違っている。千住車庫から都心寄りは来た系統に乗るのに対して、都心発は敢えて昭和通りの停留所から乗る客が少なかったという差なのかもしれない。
 しかし、[30]はかなり早くから地下鉄の影響を受けた系統でもあった。日比谷線が昭和36年3月に南千住~仲御徒町を開業し、昭和38年2月には北千住~東銀座まで進んだほか、浅草線は同じく昭和38年2月に東銀座まで、12月には新橋まで延伸した。これで全区間で地下鉄の影響を受け、乗客が流出した。昭和38年11月にはラッシュ時中心に千住車庫~上野広小路の折り返しが設定され、本数が激減した。なお、本線が昭和通り経由ということもあったのか、上野広小路発着は広小路行きが中央通り経由で、上野広小路到着後は松坂屋の南側の細い道を通って昭和通りに抜け、本線に合流して御徒町に停車していた。
 昭和40年の乗降調査では千住車庫~新橋駅は僅か12往復、上野広小路の折返しは約27往復運転されている。乗客数は1,672人/日と昭和35年の調査の10,219人と比べて5分の1にまで減っていていた。この本数でも閑散とする乗車率であり、昭和44年10月に都心側を切り捨てて千住車庫~上野広小路となった。
 残った区間も日比谷線と並行しており先行きが暗かったが、他の廃止系統の要素を集めて生き延びるようになる。昭和46年2月には[106](草加車庫~東京駅北口)の廃止により、国道の東京都部分を代替すべく北保木間町~千住車庫を延伸する。しかし終点として中途半端ということか、昭和47年12月には保木間以北を一旦捨てて竹の塚駅に接着し、都営バス初の竹の塚駅乗り入れとなった。今なおロータリーの外側に乗り場があるのが、東武バスの縄張りに後から乗り入れた歴史を感じさせる。
 昭和49年12月には[秋47](秋葉原駅~三ノ輪橋)と統合し、秋葉原駅~(昭和通り)~竹の塚駅になるとともに、入谷鬼子母神~三ノ輪橋は昭和通り直進から多少は集客が見込める都電由来の金杉通り経由へと変更された。それでも乗客は少なかったようで、昭和52年度は営業係数166と下から数えて13番目に入っている。結局昭和53年11月の改編で千住二丁目から南側を全て切り捨てることになり、系統番号も[上48]から[北48]と改めて北千住駅~竹の塚駅となった。
 この少し前に、昭和50年10月に[北47](北千住駅~足立清掃工場)が開通している。北保木間町・水神まではかつての[106]の復活で、水神の都県境で折れて足立清掃工場を終点とした。足立清掃工場・水神・北保木間・保木間の停留所が設置された。足立清掃工場建設の見返りとして設定された系統でもあった。
[106]の形見で残っていた東武バスの[北31](北千住駅~草加車庫)も昭和48年頃には廃止されていたため、復活となった。
 
[北47]も元から乗客が見込める路線でなかったため当初から大赤字で、昭和52年度は乗客1,248人/日、営業係数181と廃止対象路線レベルの成績だった。
 [上48]の短縮により、昭和53年以後は末端区間の違いで[北47][北48]と別々の系統となっている状態だったが、両方を足しても4.000人/日程度でいずれも赤字だった。当時の交通局報には月替わりで各地の系統を紹介するコーナーがあったが、この系統のときは沿線紹介より、都営交通が赤字でも不採算路線を走らせる意義を説くページと化していた(上資料)。
 文中にある「東武バス」は、[竹14]のことだろう。都営乗り入れ前は日光街道旧道沿いに梅田七丁目~竹の塚駅東口~大曲を走っていたが、同時期に1区間延伸して足立清掃工場発着とし、後に谷塚・花畑方面へと延伸していった。詳しくは折返所の足立清掃工場の項も参照。
 昭和57年12月の改編で[北47]に番号を統一し、清掃工場発着も竹の塚駅に寄るようになった。乗客の見込める区間を活かそうとしたのだろう。
 乗客は少しずつ上向いてきて、昭和58年度は3,669人/日だった客数も平成5年度には5,096人/日まで増えた。営業係数も143→113へとかなり改善している。
 平成4年頃には沿線にバスロケと接近案内つき停留所が整備された。早期に整備されたのは、日光街道の渋滞も今より激しかったこともあるのだろう。乗客のバス待ちのイライラ削減と、運行管理の改善が行えるようになった。
 竹の塚駅以南の区間は、平成8年の足立区役所の移転もあって、運行回数は平成に入ってから増加傾向にある。足立区役所の停留所は7:30頃~18:00頃まで南行に限り区役所前の広場に乗り入れるようになった。千住車庫→竹の塚駅は平成6年3月改正では平日82回だったのが平成12年現在では88回に増えているほか、北千住駅~足立区役所折り返しも6回設定されている。
 その後平成14年3月改正で一旦微減となったものの、平成19年4月改正以降は1~2年に1度のペースで増便されており、千住車庫→竹の塚駅では平成24年春改正で104回に、29年春改正で113回にまで増えた。土曜・休日も3割程度増加している。沿線のマンションの増加や北千住駅の集客力の大きさ、また朝の日光街道の渋滞改善もあるのだろう。
朝の竹の塚駅→北千住駅のダイヤを見ると、平成6年改正では所定41分だったのが平成29年現在では29分となっており、昼とほとんど変わりない所要時間になっている。
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 これと比べると、竹の塚駅以北は減便が続き寂しい限りとなっている。竹の塚駅からは東武バス[竹14~16](竹の塚駅~花畑団地・花畑桑袋団地)を利用する方が便利なのは確かであり、21世紀に入る頃に各曜日30往復以上あった本数は削られていき、平成29年春の改正で平日14往復、土休9往復にまで減った。清掃工場の操車所で休憩する運用も消えてしまい、今の都営バスではかなり先行き不安な超ローカル区間となっている。
 これ以外の細かい経路変更では、足立清掃工場付近の経路が変わっている。開通当初は北保木間を出るとすぐに日光街道を左折して旧道に出て足立清掃工場で終点となっていた。旧日光街道道上の東武バスの花畑方面のバス停に降車専用のポールがあった。復路は現在と同じく水神経由である。
 これが平成8年夏頃に現在の経由となり、足立清掃工場方面の水神停留所が増設された。
 全体として見れば、平成27年度の成績は乗客数8,408人/日、営業係数は80とかなりの黒字になっており、平成年代に乗客が大幅に増えた数少ない系統となっている。だが、北千住駅→竹の塚駅の終バスは平日・土曜22:26と依然として早いまま。東武バスは平成26年末から[深夜13](千住大橋→足立区役所前→花畑団地)を1本のみ開設、平成28年からは北千住駅発0:10に改めて平日に運行中。最近の開設の流行に乗って、都営バスにも深夜バスを期待したいところだ。

北47を名乗れない

 竹の塚駅からの千住車庫行き入庫はそれなりの本数があるが、方向幕は各面とも「千住車庫」という表示だけで、[北47]という表示はなかった。平成15年4月改編で方向幕を交換した後も相変わらずだが、足立清掃工場発については、前面だけは系統番号なしの「竹の塚駅・千住車庫前」という幕になった。しかも全部文字色を黒にする指定ミスが起こっている(都営バスの場合、途中経由地は黒、行き先は紺色で表示するのが決まり)。現在まで頑なに系統番号なしで通すのは、[北47]と表示した場合は北千住駅に行くと誤解されると考えているためであろうか。
なお、[端44]が北千住駅から入庫する際も無番の千住車庫行きとなっているが、LEDの時代になって前面に系統番号が付くようになった。

運用の妙

 近年の乗客増で[北47]の重要性が増しているということなのか、臨機応変に臨時を走らせるようになっている。日光街道のダイヤ乱れ時に限らず、例えば東武伊勢崎線が止まると[北47]に乗客が押し寄せるため、他での運用がちょうど終わった車などの出せる車を出庫させ、北千住~竹の塚の臨時運転を行う。片道1回だけ応援することも珍しくなく、このときは普段見られない車が入ることも。
 7月開催の足立の花火大会でも千住車庫は荒川北岸の見物客帰りの即席ターミナルとなり、車庫構内に臨時ポールを置いて大量の花火帰りの客をうまく並ばせ、千住車庫→竹の塚駅の臨時を出すなど創意工夫が光る取り組みを行っている。

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