都営バス資料館

小滝橋営業所

車庫の概要

 高田馬場駅・新大久保駅を発着するほぼ全路線を担当し、JR駅と新宿区北部を結ぶ地元の足や、山手線内を横断して結ぶ路線も担当している。前者の代表としては、高田馬場駅と早稲田大学を結ぶ[学02]が挙げられる。

所管系統

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
CH01 新宿駅西口→都庁第一本庁舎→都議会議事堂→新宿駅西口 1.900km 63
飯64 小滝橋車庫~高田馬場駅~早稲田~江戸川橋~九段下(循環) 14.028km 57 52 30
飯64折返-1 小滝橋車庫~高田馬場駅 1.190km 26 29 21 22 17 18
飯64折返-2 小滝橋車庫~高田馬場駅~(馬場下町→)早稲田 3.511/3.051km 3 3 3 3 1 1
上69 小滝橋車庫~高田馬場駅~江戸川橋~春日駅~上野公園(循環) 16.356km 57 54 55
学02 高田馬場駅~西早稲田~早大正門 2.121/2.251km 123 123 92 92 76 76
飯62 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター~都営飯田橋駅 5.889km 6 6 5 5 5 5
橋63 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター~市ヶ谷駅~新橋駅 10.329/10.719km 37 37 23 23 21 21
橋63折返 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター 2.727km 1 1
都02乙 池袋駅東口~大塚2~春日駅~東京ドームシティ~一ツ橋 6.603km 3 3 2 2
都02乙折返 池袋駅東口~大塚2~春日駅~東京ドームシティ 5.113/5.053km 27 28 29 29 31 32
都02乙乙出入 大塚2→池袋駅東口 2.363km 1
都02乙折返-2 池袋駅東口→大塚2→春日駅 4.663km 1 1 1
学02急行 高田馬場駅←(急行)←早大正門(臨時) 2.111km ** ** ** ** ** **
橋63折返-2 大久保駅~統計局 1.671km ** ** ** ** ** **


現在

基本データ

住所 〒164-0003 中野区東中野5-30-2
開設期間
交通機関 バス:小滝橋車庫前(飯62・橋63・飯64・上69)・小滝橋(関東バス)
基本配置 旧基本車種:いすゞ、旧合成音声機:レシップ、旧次停留所機:レシップ

沿革

年月日 できごと
S12. 1.18 新宿営業所から分離、小滝橋営業所が開所
S20. 6.16? 戦災被害により、新宿営業所小滝橋分車庫に格下げ
S21. 4. 1 復旧、小滝橋営業所に格上げ

歴代所管一覧

年月日 所管開始時の区間 所管開始 所管終了 備考
7[1] 東中野駅北口~早稲田 S20以前 S46. 3.16 廃止
4[1] 新宿駅東口~早稲田 S21. 3.15 S25. 9.17 →統合2[2](小滝橋)
104 大山~東京駅北口 S22. 6.25 S37 →移管(大塚)
110 阿佐ヶ谷(車庫)~東京駅北口 S23. 8. 1 S43. 9.28 廃止
202 荻窪駅~築地 S23.12.26 S25.11.30 →移管304(堀ノ内)
52→学02 高田馬場駅~早大正門 S24. 7. 1 運転中
120→橋63 中野駅~新橋駅 S25. 3.10 運転中 →分離 中63
2[2] 渋谷駅~早稲田 S25. 9.18 S43. 9.26 →移管(早稲田)
32[3]→橋62 池袋駅東口~新橋 S26. 9. 1 S52.12.15 →短縮飯62[1]
65[1] 池袋駅東口~東京駅南口 S29. 9.20 S40.11.30 廃止
74 新宿駅西口~東京女子医大 S35.12.26 S43. 9.26 →移管(新宿)
44→早81 渋谷駅~早大正門 S36. 4. 1 運転中
121 新井薬師駅~東京駅北口 S36.12.15 S46. 3.16 →短縮24[2]
500 東京駅八重洲口~新橋駅循環 S39. 3. 1 S41. 3.31 (夜間バス)廃止
503 東京駅八重洲口→小滝橋車庫 S39. 3. 1 S41. 3.31 (夜間バス)廃止
515→飯64 小滝橋車庫~茅場町 S43. 9.29 運転中
539 早稲田~上野公園 S43. 9.29 S47. 2.29 →移管(早稲田)
2[2]→早77 新宿駅西口~早稲田 S46. 3.17 S49. 9.21 →移管(早稲田)
24[2]→東71 大久保駅~東京駅北口 S46. 3.17 H 2. 7.20 →短縮高71
上69 小滝橋車庫~上野公園 S49. 9.22 運転中
飯62[1] 池袋サンシャインシティ~九段下 S52.12.16 S54.11.22 廃止
高71 高田馬場駅~九段下 H 2. 7.21 運転中
飯62[2] 小滝橋車庫~都営飯田橋駅 H14. 2.25 運転中
C・H01 新宿駅西口~都庁循環 H21. 4. 1 運転中

 小滝橋営業所は昭和初期の拡張計画によって昭和12年1月に開設された。当時は西・北方面の営業所が新宿・大塚のみで、その間を埋めるようなエリアということで選ばれた。おりしも関東大震災後の郊外への人口移動や昭和2年の西武鉄道の高田馬場延伸、現在の明治通りの道路整備などで市電が存在しなかった高田馬場・大久保方面への路線網が拡充されていった頃で、昭和10年11月には高田馬場駅をまたいで小滝橋まで開設されている(30年史)。電気局の成績調書(昭和11年度)には小滝橋仮引込場(394m2)の新設が昭和11年5月に完成したとあるが、営業所予定地の一角を整備したのかは今となっては不明である。車庫は同年12月に完成、。開設当初は大塚・新宿から移管された以下の5系統を所管した。
[ 9 ]大久保駅~飯田橋~九段下~東京駅
[10]小滝橋車庫~高田馬場駅~九段下~東京駅
[20]東大久保~飯田橋~九段下~東京駅
[35]東京駅~問屋橋~浅草橋(朝ラッシュ時のみ)
[55]新宿駅~戸山ヶ原~高田馬場駅

管内の各エリアから九段・東京方面と明治通り沿いの路線という構成だった。[35]だけ謎だが、受け持ちバランスの都合上だろうか。昭和12年には小滝橋車庫からさらに郊外側の東中野に伸び、昭和14年頃には池袋駅にも乗り入れるようになった。[35]は路線再編成で廃止され、番号が振り直された。昭和16年末の受け持ちは以下の通りである。

[12]大久保~飯田橋~九段下~東京駅
[13]東中野駅~小滝橋車庫~高田馬場駅~旭町
[14]小滝橋車庫~高田馬場駅~九段下~東京駅
[15]池袋駅~新宿旭町
[16]池袋駅~江戸川橋~九段下~東京駅
昭和17年の交通調整で市バスエリア内の民営路線が全て東京市での一元運行となり路線再編成が行われた。早稲田や市ヶ谷・新橋方面に路線網を持った東京環状乗合や京王が持っていた江戸川橋~新宿が路線網に組み入れられた(練馬の巻も参照)。営業所間の振り分けも行われ、東京環状関連は高田馬場発着も含め練馬が持ったため、小滝橋管轄は以下の通りとなり再編成前とさほど変化がない。なお、明治通り筋の路線は大塚に移管となった。
[18]音羽九丁目~江戸川橋~富久町~新宿駅(←京王)
[22]東中野駅~高田馬場駅~早稲田
[23]大久保駅~飯田橋~九段下~東京駅
[26]小滝橋車庫~高田馬場駅~九段下~東京駅
[30]池袋駅~江戸川橋~九段下~東京駅
しかし、戦争の影響でこの路線網も続かず縮小が続き、[18]は早期に廃止され、残った系統も昭和20年の東京大空襲で大きな被害を受けて運行を休止し、終戦時には東中野駅~早稲田の1系統だけが残るのみとなった。終戦後の航空写真を見ると、明らかに車庫敷地と分かるのは神田川沿いの現在の半分強の敷地のみで、大きな屋根つきの車庫があったことが分かる。

 終戦後の昭和21年3月の改編ではさっそく新宿駅~早稲田が復活し、系統番号も振り直されて東中野駅~早稲田が[7]、新宿駅~早稲田が[4]となった(後に[2])。今の[飯64][上69]の主要部分と[早77]に相当する。昭和22年6月には混雑緩和を目的として都営・民営の相互乗り入れ7系統が一斉に開業し、その中で現在の国際興業と共同で[104](大山~池袋駅東口~東京駅降車口)を担当した。大塚のほうが近そうだが、各車庫が1系統ずつ持つようにしたためだろう。

 さらに昭和23年8月には関東・西武と共同の[110](阿佐ヶ谷~高田馬場駅~東京駅降車口)が、昭和25年3月には京王と共同の[120](中野駅~新橋駅→[橋63])と長距離系統の開設が続いた。ローカル輸送の系統で目立つ存在と言えば、昭和24年7月の[52](高田馬場駅~早大正門→[学02])だろう。早稲田大学への輸送を一般系統の半額という安価な運賃で担い、非常に多くの本数で運転されるようになった。昭和26年9月には[32](池袋駅東口~新橋→[橋62])が開通して小滝橋のメイン系統が揃ってきたが、[52]が小滝橋の顔だったのは疑いない。昭和30年の乗降調査では、[52]が1日あたりの乗降客数18,900人(走行1kmあたり14.3人)と[2]の9,400人、[32]の9,900人の倍近くであり、都営の全系統でもトップクラスだった。距離の短さを考えると驚異的と言える。都電は昭和24年12月に早稲田から延伸して高田馬場駅に乗り入れていたが、バス通りとは経路が途中違うこともあって大きな影響は及ぼさなかったようだ。

 また、既存系統で不便なところを結ぶ補完的役割として、昭和29年9月にはラッシュ時のみ運転の[65](池袋駅東口~東京駅乗車口)、昭和35年末には[74](新宿駅西口~東京女子医大循環→[宿74])が開通している。さらに、昭和36~37年にかけて担当の持ち替えがあり、[104]は大塚に移り、新たに[44](早大正門~渋谷駅→[早81])が堀ノ内から、[121](新井薬師駅~東京駅北口→[東71])が練馬から移って現在の姿に近くなった。昭和30年代には敷地が拡張されたようで、屋根つき車庫の落合側にも広い露天の駐車スペースが生まれた。

 昭和40年代に小滝橋にとって大きな転機となったのが、都電代替の受け入れと渋滞の悪化・財政再建による長距離を中心とした路線整理である。都電15系統(高田馬場~茅場町)、39系統(早稲田~厩橋)が昭和43年9月にバス代替されることになり、特に前者は大量の代替バスが必要とされた。そのため、代替バスの[515][539](→[飯64][上69])が開通するのと同時期に[110]は廃止し都心部分は[7]に振り替え、[2]は戸山に移管、[74]は新宿に移管となった。昭和41年に営団東西線が高田馬場駅を通るようになり、郊外直通の必要性が低下していったのだろう。

 [120][121]については都電や地下鉄と並行しないことでローカル輸送の乗客が定着していた。民営側の都合もあったのか[120]は昭和41年に下田橋(哲学堂下)まで、[121]は昭和44年に江古田二丁目まで延伸されたが、昭和46年3月の改編で[121]は大久保駅~東京駅北口に短縮して都営単独に、[7]は廃止となった。このときに[2]は再度小滝橋に、[539]はその後に早稲田に移管されたが、昭和49年9月に再び所管を交換して元のさやに戻った。この時に現在に至るまでの路線網が出来上がった。

 昭和50年代の財政再建による路線再編では長距離系統を中心に整理された。昭和52年12月には[飯64]が東京駅北口発着に、[橋62]が九段下発着に短縮されて[飯62]となった。後にサンシャインシティに延伸されるも効果がなかったようで昭和54年11月に[飯62]は全廃、さらに[橋63]が分割されて大久保駅~新橋駅となって共同運行系統が小滝橋から消滅。さらに昭和57年12月は乗客減を受けて[飯64]は九段下発着となった。新宿区北部から最寄の駅まで結ぶ短距離の需要が中心になったことの表れだろう。昭和61年には[東71]がテコ入れで高田馬場駅発着に変更となり、平成2年の再編で全便が九段下までに短縮され[高71]と名乗るようになった。

 昭和50年代は営業所も大きく姿を変えた時期に当たる。敷地の中央には戦前から残る大きな屋根つきの車庫があり、神田側沿いにも屋根つきの整備庫らしきものがあったが、まず前半に大きな車庫が撤去されて露天となり、現在の位置付近にあった営業所の建物が建て替えで一旦落合寄りに仮設で作られた。昭和55年には現在の営業所の建物と整備庫が完成し、ほぼ現在の姿になった。現在との目立つ違いは給油スタンドの移設や屋外ピットの位置くらいだろう。そのほか、昭和50年代までは敷地の落合寄りに寮も併設されていたのが確認できる。

 新宿区北部は、東西線以外の地下鉄に永く恵まれなかったこともあり、沿線の高齢化やバブル崩壊後の不況といった要素はあったものの、平成一桁代も各系統とも1時間3~5本程度は確保され、利便性を保っていた。ただし、大きな繁華街を沿線に持たないためか、巣鴨や南千住と異なり平日と休日で大きく本数が異なるようになったのが小滝橋管内の特徴と言える。
この状態が変わったのが平成12年12月の大江戸線全通で、所管エリアの大半が駅から徒歩圏となった。新宿のように路線廃止はなかったものの [学02]を除き15%~30%と大幅に減便された。

 その後も[橋63][高71][早81]を中心に本数の落ち込みが続いており、所属車輛数も減って車庫の敷地にもやや余裕が生まれている。平成14年2月には新宿区の要請もあってか廃止区間の復活となる[飯62](小滝橋車庫~都営飯田橋駅)も誕生したが、乗客の少なさゆえか、1日10本未満と非常に本数が少ないのが現状である。一方で、平成20年には副都心線が明治通り直下に開通したが、並行路線が少ないこともあり、減便などの影響は限定的だった。
 運行コストの改善目的もあるのか、[早81]は平成21年度から新宿に、[高71]は平成26年度から杉並に移管され、運行をはとバスに移管することになった。[早81]と入れ替えで[C・H01](新宿駅西口~都庁循環)を所管したほか、近年では平成27年3月の大塚閉所に伴う玉突きで[都02乙](池袋駅東口~東京ドームシティ)を新たに受け持ち、30年以上ぶりに一般路線の池袋乗り入れが復活した。
 これらを考えると、やはりこの営業所の顔は、50数年間姿を変えずに今なお運行を続ける[学02]に違いない。学バスと一般運賃の差が狭まってきたことによる逸走を差し引いても、多くの人々に愛用される[学02]は短くても代表路線と呼ぶにふさわしい。

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