都営バス資料館

白61

[白61]←[21]←[8]

担当営業所

練馬支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
白61 練馬車庫(←新江古田駅、東長崎駅通り→)目白駅~江戸川橋~新宿駅西口 12.350/13.130km 83 88 67 69 61 62
白61折返-1 練馬車庫←新江古田駅←目白駅←江戸川橋 7.930km 2 2 4
白61折返-2 目白駅→江戸川橋→曙橋→新宿駅西口 8.100km 1 1 1
白61折返-3 目白駅(川村学園)~ホテル椿山荘東京 2.280km 8 8 22 22 22 22
白61折返-5 練馬車庫→東長崎駅通り→目白駅→江戸川橋→山吹町 7.540km 1 1 3
白61出入 練馬車庫(←新江古田駅、東長崎駅通り→)目白駅 4.250/5.040km 5 3
白61-2 練馬駅(←新江古田駅、東長崎駅通り→)目白駅~江戸川橋~新宿駅西口 13.530/14.310km 9 7 12 12 12 12
白61折返-7 山吹町→新宿駅西口 4.810km 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
4 終戦時 練馬 7.614km 練馬車庫~江戸川橋が存在
8 S21. 3.15 練馬 7.614km 8系統に変更
21 S21. 8. 1 練馬 4.440km 8系統を分割し練馬車庫~目白駅とする。21系統に変更
21 S21.10? 練馬 *** 豊島園口~練馬車庫を延長
21 S22. 9. 1 練馬 *** 豊島園口~目白駅を廃止
21 S23. 5. 9 練馬 6.600km 豊島園~目白駅が開通
21 S26. 7. 1 練馬 14.593km 目白駅~江戸川橋~新宿駅西口を延長
21 S36? 練馬 14.593/15.383km 豊島園・練馬車庫行き江原町仲通経由に変更
21 S38.11. 5 練馬 14.593/15.713km 市ヶ谷富久町~四谷4を外苑西通り経由(大木戸坂下~四谷4経由)に変更?
21 S39.12. 1 練馬 14.593/15.751km 富久町付近のほか、江戸川橋~牛込柳町の間を鶴巻町経由から山吹町経由に変更?
21 S45.12.10 練馬 14.603/15.753km 新宿御苑~市ヶ谷富久町付近で経路変更(新宿御苑に停車しなくなる?)
白61 S47.11.12 練馬 *** 新系統番号化、白61とする
白61  S52.12.16 練馬 12.346/13.126km 練馬車庫~新宿駅西口に短縮。曙橋~新宿駅西口間を新宿通りから靖国通り経由に変更
白61乙  S52.12.16 練馬 (10.065km) [橋68]の廃止代替で練馬車庫~練馬区役所~目白駅~江戸川橋を開設
白61乙  S54.11.23 練馬 ***  練馬車庫~練馬区役所~目白駅~江戸川橋を廃止
白61折  S60. 3.31 練馬 2.265/ 2.542km 目白駅~椿山荘(現 ホテル椿山荘東京)を開設
白61 H18. 4. 1 練馬 12.350/13.130km キロ程の修正
白61 H22. 4. 1 練馬 6.53km 練馬車庫→椿山荘を開設
白61 H25. 4. 1 練馬 13.28/ 14.31km 練馬駅~練馬車庫を延長
白61折返-7 H30. 4. 1 練馬 4.810km 山吹町→新宿駅西口を設定
白61折返-4 H31. 4. 1 練馬 1.290km 目白駅~高田1の設定廃止

路線概要

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 新宿駅西口からいったん山手線の内側に入り曙橋、牛込と新宿区を縦断、江戸川橋からは一転して目白通りを西進し目白駅を経て南長崎から千川通り経由で練馬車庫、練馬駅までを結ぶ。Jの字を横に倒したような線形になっている。南長崎~江古田については、一方通行指定のため往復で経路が異なっている。この地域の都営バスが軒並み本数を減らしていくなかで、現在でも昼間約10分おきと高いサービス水準を保ち、JR連絡や地域の足として終日様々な人に利用されている。
練馬駅のバスターミナルを発車したバスは、練馬駅の高架をくぐり左折し千川通りを西武池袋線に沿うように走って行く。この区間は平成25年3月まで[新江62]の入庫便が走っていた区間だが、同年4月に廃止と入れ替わりに[白61]の練馬駅への延長が行われた。
台駅前を過ぎると練馬車庫前にかけて進行方向左側には桜が植えられており、春先となれば満開の桜の中をバスが走り写真映えする区間である。
練馬車庫停留所を発車すると、環状七号線の陸橋をくぐり武蔵大学の敷地を右に見ながら江古田駅(えこだえき)の最寄り駅である江古田二又(えごたふたまた)に到着する。ここから先は新宿駅方面と練馬車庫方面で経路が異なる区間で、新宿駅方面はこのまま千川通りを直進していく。桜並木も、江古田二又から先は道の両側に立ち並ぶようになり、その中をバスは走る。
 南長崎六丁目停留所を過ぎ、都道補助26号線との交差点を越えると一方通行路となる。次第に道幅は狭くなり、都営バスの中でも狭隘な区間を南長崎二丁目停留所まで進んで行く。最近は「トキワ荘通り」と呼ばれることもあるが、途中の南長崎三丁目停留所の近くに漫画家の歴史的聖地としても有名なトキワ荘跡地があることに由来する。
南長崎三丁目停留所からは目白通りに合流し、練馬車庫行きの経路と合流する。一方で練馬車庫行はどのような経路で走って行くかというと、目白通りを西落合一丁目交差点で右折して落合南長崎駅停留所。大江戸線の出入口の目の前で、乗換には非常に便利である、ここから先は目白通りを北上し、江原二丁目交差点を右折して新江古田駅前到着、そしてそのまま直進して走って行くと江古田二又の交差点となっている。
 南長崎二丁目を発車すれば、その先で山手通りを横切って目白五丁目に到着する。ここから先はイチョウ並木の中を走っていく。この区間は都営の[池65]・西武バスの[宿20](新宿駅西口~西武百貨店)が目白警察署前まで並行する。
目白五丁目を出発するとすぐに聖母病院入口に到着するが、この2停留所間は都営バスの停留所間隔が短い区間の上位にノミネートされそうな区間である。商店も並んで各停留所での乗車も多く、バスの利用が根付いていることがうかがえる。
そして、バスは[白61]の主要停留所である目白駅前に到着する。時間帯によっては乗客の大半が入れ替わることもあるが、それは山手線の外側エリアから山手線駅までのフィーダー輸送という側面を持っているためである。ここで数分の時間調整を行う便もあり、一旦の遅れを吸収できるようになっている。出庫の練馬車庫から目白駅止まりの便についてはいったんここで終点となるほか、早朝の始発便はここから営業開始となる便もある。
そして目白駅から先は山手線駅から内側エリアへのフィーダー輸送と、地域間輸送を担う。このように[白61]は路線長こそ都営バス上位に入る長さだが、乗客の入れ替わりが多いため、おおむね10分間隔という利便性を保った形で運行が行われているのだろう。
 目白駅前を発車したバスは、山手線の陸橋を渡ると川村学園を左手に見て[学05]のポールを過ぎ、もう一度目白駅前に停車する。[白61]の区間便である目白駅-ホテル椿山荘東京の始発停留所であるが、本線系統も停車する。こちらは先ほどの停留所名と区別するためか「川村学園前」という副名称がついている。ここからは日本女子大まで[学05]と並走するが、[学05]はノンストップ、一方の[白61]は各停留所に停車となる。
 目白警察署前で[宿20][池65]と別れ、明治通りと都電荒川線の上にかかる千登世橋を渡ると、鬼子母神前停留所。鬼子母神へはここから歩いて5分程、都電荒川線もここで乗り換えとなる。
目白通りをさらに進み、豊島区から文京区へ。日本女子大前を過ぎると右手に緑の公園が見えてくる。この公園は「目白台運動公園」という名で、約1万平方メートルの敷地に2面の野球場とテニスコートが4面と、都心の公園にしては広大かつ充実した規模の設備である。ここは田中角栄元首相の邸宅敷地の一部であった。かつての「目白御殿」と言った方が通りが良いだろうか。政治が一大局面を迎えると「目白御殿」にはマスコミが大挙して押しかけ、道路には報道陣の車だらけとなって、通行ままならない状態。結果[白61]は無ダイヤ状態に陥ることもしばしあり、現役時には[白61]には厄介な存在であった。
 東京カデドラル聖マリア大聖堂が見えてくると、椿山荘前、もとい、「ホテル椿山荘東京前」停留所。目白駅からの区間便はこの先を右折して椿山荘構内へと進んでいく。池袋駅から国際興業バスによる無料送迎バスも運行されているが、[白61]とはうまく棲み分けが出来ている模様。獨協中学高等学校の前を過ぎ、目白新坂を下っていく。坂の途中にはスターチャイルドレーベルでおなじみのキングレコードのスタジオがある。なかなかの急坂で、バスにとっては上り坂でのパワーの見せ所でもある。
坂を下りきると目白坂下交差点を右折して音羽通りに入り、すぐに江戸川橋停留所に到着する。神田川にかかる江戸川橋を渡り、新目白通りと交差して直進すると、程なく山吹町停留所に到着である。このあたりは区界が複雑に入り組んでおり、山吹町停留所付近は歩道が文京区だが車道は新宿区となっている。
 山吹町交差点でバスは右折、緑地帯が美しく整備された早大通りを数百メートル走って早稲田鶴巻町交差点を外苑東通りへ左折する。ちなみに始発終発に山吹町止まりが設定されているが、この交差点を右折して鶴巻町から新目白通りを右折、江戸川橋交差点を左折して元に戻る……という方法で折り返している。
ここからは外苑東通りに入り道路は緩やかな坂道を四谷方向へと進む。牛込弁天町付近から次第に道幅が狭くなり、牛込柳町駅前付近では昔ながらの商店街が並ぶ片側1車線の道路を走って行く風景である。と言っても少しずつ過去形に近くなり、近年は環状3号として拡幅の重点区間に指定され、道路沿いは多くが更地になって道路の拡幅を待つばかりになっている。市谷柳町交差点~市谷仲之町交差点間は姿を変えるのも時間の問題だろう。
 再び外苑東通りが広くなると市谷仲之町交差点となる。ここの練馬方面の停留所の前に白い建物があるが、これは兵庫の日本酒メーカーである白鶴酒造の倉庫兼東京支店で、さらに倉庫の上は白鶴酒造の社員住宅と非常に合理的な使われ方をしているのが興味深い。
市谷仲之町交差点を出発したバスは、この先の合羽坂交差点を右折するために、車の往来を見計らって一気に右車線へと移動し交差点を右折して靖国通りへ繋がる、まるでジェットコースターのような急坂を一気に下っていく。新宿駅方向は下るから良いが、練馬方向は急坂を登ることになる。以前と比べるとバスのエンジン性能が良くなったとはいえ、交差点が赤信号の時にバスは坂の下で待機して、青信号に変わると一気にエンジンを吹かして坂を勢いよく登っていく光景が見られる。たとえ大排気量のMD92エンジンを搭載した車輌でも坂道発進はなかなか厳しいようだ。
 坂を下り、住吉町交差点で靖国通りに合流すると、バスは新宿駅西口めがけてラストスパート。この区間は都営新宿線と平行するが、都営新宿線の駅間が長く、新宿三丁目駅と新宿駅の立地条件が悪いために、新宿方面への移動方法に[白61]を選ぶ客が意外と多い。 パークシティ伊勢丹が見えてくると、新宿の繁華街。夜ともなればネオンがまぶしい歌舞伎町を通り過ぎる。ここでの乗り降りも一定数見られるが、西武新宿線との乗り換えや新宿の東側の繁華街にすぐにアクセスできるためだろう。JRのガードをくぐって交差点を左折すると、まもなく終点の新宿駅西口である。

歴史

 新宿~練馬方面を見るとかなり遠回りである。乗り通す人は少ないが、実際に乗ってみると新宿~牛込・江戸川橋、牛込・目白台~目白、目白~郊外方面と大まかに3通りの流動が目立つことに気づく。この路線の起源を遡ると元々はこれら3区間に対応した路線が昭和初期に別々の会社の手によって開通しており、戦時中の統合を経て戦後に1つの路線になったものと言えるだろう。
 新宿一丁目~江戸川橋(音羽九丁目、現目白坂下交差点付近)の区間は、昭和2年8月に山ノ手自動車商会によって開業した。甲州街道乗合自動車を経て昭和12年11月京王電気軌道(現京王電鉄)に買収され、京王エリアとしては最も都心寄りの路線となった。新宿一丁目は新宿通りの新宿御苑大木戸門から200メートル程度北上した終点で、やや不便に感じるが、市電連絡を意図したものだったのだろう。
 一方、江戸川橋~目白駅の区間は、大正14年4月に匿名組合の出資で始まり、昭和初期には江戸川乗合自動車商会(後に市ヶ谷駅~新橋駅を運行する日比谷乗合に買収される)が運行した。そして目白駅~豊島園は、大正14年7月にダット自動車合資会社によって開通した。これらはいずれも昭和11年頃までに王子環状乗合(→東京環状乗合)に買収され、昭和10年代には買収元各社の路線をつなげ豊島園~目白駅~新橋駅という形で運行されていた。ここについてはコラム「東京環状乗合由来の車庫」なども参照のこと。
 昭和17年の陸上交通調整による市バスの運行時には、元京王が[18]新宿駅~江戸川橋、元環状乗合が[27]豊島園~江戸川橋・[28]武蔵高校~新橋駅となったが、戦中の物資不足の中で昭和18年に[18]は廃止、[27][28]は年々縮小を続け、昭和20年4月以降は練馬車庫~江戸川橋が残るのみとなっていた。
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▲昭和25年頃の[21](細線)・[108]  昭和21年3月以降は[8]系統として運行されたが、昭和21年8月の改編で2系統に分離し、[20](哲学堂~江戸川橋)、[21](練馬車庫~目白駅)となった。燃料・車両ともにまだ不足している時代で、新たな系統を運行するには既存の系統を縮小せざるを得なかったのだろう。前者が今の[池65]に、後者が[白61]の祖先になった。これ以降の[20]は[池65]の項を参照のこと。
 しかし、[21]は昭和21年10月に豊島園口(現練馬区役所入口)~目白駅にいったん延長されるも、翌昭和22年9月には廃止されてしまう。ただし、入れ替わりに[108](新橋駅~四谷見附~江戸川橋~目白駅~豊島園口、[橋68]の項参照)が開通しており、[21]は廃止と言うより発展的解消と言ったほうが正しいだろう。
 昭和23年5月1日には[108]が石神井公園駅まで延長されるが、その直後、5月9日に[21]が豊島園正門~練馬車庫~目白駅として分離復活した。練馬車庫~豊島園は休日のみ運転とされたが、後に毎日運転となった。豊島園は昭和19年4月に戦況悪化により一時閉園していたが、21年3月より再び開園しており、アクセス路線として早速蘇った。
 昭和26年7月、[21]が目白駅から江戸川橋を経て新宿駅西口まで延伸され、豊島園~新宿駅西口とほぼ現在の路線の形が完成した。ただし、全便が豊島園まで行く形態ではなく、昭和30年の統計調査では豊島園発着が38回、目白駅~江戸川橋が75回、新宿駅西口発着が72回、昭和38年の路線一覧では豊島園発着が35~45往復、練馬車庫が45~55往復となっているため、おおむね2本に1本の割合で豊島園まで行く扱いで、それほど利便性の高い本数とは言えなかったことが分かる。
 この当時の経路を見ると、主に3箇所で現在と異なっている。①新宿駅西口~富久町が靖国通りでなく新宿通り経由、②山吹町~弁天町が牛込天神町・早稲田通り経由、③南長崎~江古田が往復とも西武池袋線沿いの千川通り経由、の3箇所である。
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▲大東京バス案内図(昭32頃)
 まずは昭和36年頃に、③が現在のように練馬車庫方面のみ江原町二丁目(現新江古田駅)まで[8]と同じく目白通りを経由するようになった。現在の道路で考えると、江古田二又~南長崎六丁目までは道路が相互通行のため元の経路のままでも良さそうだが、道路が未整備だったためだろうか。
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▲昭和38年1月現在
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▲昭和40年1月現在

 昭和38~45年にかけては①の一部が変更された。新宿通りから靖国通りに転じる部分は、現在の外苑西通りが未開通だったため、新宿一丁目交差点(新宿御苑の大木戸門前)から富久町までの細い路地を通っていた。それが道路開通により外苑西通りに順次移し替えられて行った。詳しくは図を参照されたい。また、昭和39年には②が早大通り経由に変更された。早大通りの整備に伴うものと考えられる。
 一方、練馬駅~豊島園の区間は、練馬駅西方で渡る西武池袋線の踏切が、開かずの踏切となっており、定時性を損ねていた。西武豊島線で代替できるということもあったのか、昭和52年12月の改編で練馬車庫~豊島園を短縮し、全便が練馬車庫発着となった。また、このときに①の区間も靖国通り経由に変更となった。新宿駅西口から靖国通りへは[草79](新宿車庫~浅草公園)も通っていたが、東口・新宿通りは交通量や信号も多く、渋滞によるロスも考慮したのだろう。側面幕に「厚生年金会館」の文字が入るようになったが、靖国通り経由でることを明示したかったのだろう。
 このとき同時に設定されたのが、[白61乙](練馬車庫~練馬区役所~目白駅~江戸川橋)である。[橋68]の廃止代替として、練馬車庫よりの区間だけを残したもので、目白駅~練馬区役所まで往復ともに目白通りを走るのが特徴であった。方向幕も新調され、今までの本線は[白61甲]という表示になった。
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▲昭和49年2月現在
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▲昭和53年1月現在
 しかし、[白61甲]との違いがさほど大きくなく、豊島園にも行かず、目白駅~練馬区役所という流動も既にさほど大きくなかったと考えられる。昭和53年の記録では15回しか運転されておらず、昭和54年11月の改編で[白61乙]はすぐに廃止されてしまった。同時に[草79]も廃止され、新宿駅西口から靖国通りを直進する系統は[白61]に一本化されることとなり、多少本数が増加した。
 これ以降は路線、本数ともにあまり変化がない。昭和60年3月に[白61折返](目白駅~椿山荘)が開通したが、本線とは完全に独立したダイヤで、他社だったら別の系統番号になりそうな路線である(後述)。
平成12年12月の大江戸線牛込柳町駅開業時には本数が少々削減されたものの、その後のダイヤ改正で再び増便されていることから、需要も底堅いのだろう。
 さらに、平成25年4月の改編では一部便が練馬駅まで延伸された。[新江62]の出入庫(練馬車庫~大泉学園駅)の廃止に伴う練馬車庫~練馬駅の間の路線確保や練馬駅の停留所確保という措置も含んでいるのだろう。現状では日中に毎時1本程度の設定だが、今後は増えていくのかは気になるところだ。

椿山荘線

 昭和60年3月末に開通した。結婚式場へのアクセスバスという珍しい路線だが、同日で[学05乙](目白駅~独協学園)が廃止されており、要員をシフトできるということもあったのだろう。一般系統で各駅停車のため、途中でも乗り降りできるのが特徴である。また、椿山荘では[白61]本線の目白通り上の停留所と構内の停留所と、同一停留所に2回停車するのも特徴と言える。目白駅の乗り場は川村学園前の[学05]よりも離れの場所にあるが、かつて[学05乙]が発車していたバス停でもある。
 需要に合わせて、昼から夕方・夜にかけて運行され、土休日のほうが本数が多い。平成4年1月には敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京がオープンし、ホテルのアクセスとしても機能するようになったが、午前の便がないのは相変わらずである。
 平日は10~20時台、土曜休日は12~20時台の運転で、休日は特に昼過ぎに8~9分間隔と多く運転されるのが特徴的だったが、平成10年頃には全日とも目白駅発12:00~21:15、15分間隔(平日は一部30分間隔、土休は一部10分間隔)という綺麗なパターンダイヤになった。平成17年4月の改正で平日は夜を除き30分間隔になり運行時間帯も縮小して14:00~21:30に、土休は少し発車時間がズレて12:05~21:20となった。
 平成22年春の改正では、土曜休日に限り練馬車庫→椿山荘の直通運行が開始された。練馬車庫9:25発にまで始発が繰り上がり、昼までおよそ20分間隔で運転されている。練馬車庫~目白駅の本線の補完にもなっているが、逆方向は従来と同様に椿山荘→目白駅、目白駅→練馬車庫と別々の系統で運転されているのが面白い。椿山荘構内からは目白駅行き以外発車してはいけない決まりでもあるのかは謎だ。なお、方向幕の行先表示の車が入ることも少なくなったが、練馬車庫→椿山荘の場合も方向幕には新規表示が足されず、「目白駅-椿山荘」の表示を出して運行している。
平成25年1月には「ホテル椿山荘東京」に改称され、方向幕・LED表示ともに新しくなった。

系統番号

 現行の漢字+数字2桁の系統番号は、原則としてターミナル駅の漢字+方面の数字を付けているが、[白61]は新宿駅始発なのに「宿」を冠していない。推測ながら、「宿」の系統番号は民営各社との協議で番台ごとに方面を決めていたために、その縛りを嫌ってわざと目白の「白」を冠したのだろうか(同様な例は[王40](池袋駅東口~王子駅)にも感じられる)。だが、新宿の場合は[宿62](新宿駅西口~大泉学園駅)があるため、[宿61]と名乗っても不自然ではない。もしくは、新宿から一旦山手線内に入り込むことを考慮して目白駅をターミナル扱いにしたのだろうか。目白駅(白)を冠する系統は現在過去にもこれ以外になく、ささやかな不思議である。

練馬車庫→目白駅

 練馬車庫で待っているとたまに現れる目白駅行き。かつては時刻表に記載されず、幻のように現れる便だったが、実態は[学05][白61折返]の出庫である。目白駅で終点となった後、目白駅(川村学園)までわずかな距離を回送し、そこから[学05][白61折返]として営業を開始する。
 ここ10年ほどで出入庫便も含めた時刻表が停留所に表示されるようになったが、面白いのは同じ目白駅行きなのに[白61]の本線に交ざって書いてある便と、別紙に小さく書いてある便が見られる。これは、前者が[白61折返]の出庫、後者が[学05]の出庫であり、[学05]は長期休暇期間は本線に合わせて運休となる注意書きがあるためだろう。
 そのため、練馬車庫~目白駅の区間では、本線ではまず見かけることのない中型ロングのJPや、ハイブリッドノンステップバスもしばしば[白61]表示で見かけることができる。

江戸川橋(山吹町)ゆき

 最終時間帯を中心に運行されていた江戸川橋行き。実際はその一つ先の山吹町まで乗車可能であった。これは、折り返し経路が山吹町→鶴巻町→江戸川橋と道路を使って一周することに加え、山吹町のほうが地下鉄江戸川橋駅の出入口に横断歩道を渡る必要もなく近いためである。もっとも、車内放送では江戸川橋停留所のほうで乗り換え案内が流れてしまう。
 平成16年1月より行先表示も実態に合わせて「山吹町」行きに変更されたが、副名称の「地蔵通り入口」も含めて縦に4段表記という珍妙な表示方法になってしまったのが少々残念である。なお、地蔵通りは江戸川橋地蔵通り商店街の通りで、目白通りと並行に東西に伸びる通りの名である。江戸川橋の車内放送でも「地蔵通り商店街へお越しの方は、この先の山吹町でお降り下さい」とわざわざ放送が入るくらいにメジャーなのであろう。
 なお、逆方向は前述の折り返し経路の都合上、江戸川橋始発となる。
2]

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