都営バス資料館

×梅78

[梅78]

担当営業所

青梅支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
蜆沢~佐藤塚~上成木~成木市民センター~成木小学校 12.000km 平日のみ

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
梅78 H 8. 4. 4 青梅 12.000km 小学校の統合により、蜆沢~上成木~成木小学校が開通
梅78 H22. 4. 1 青梅 *** 蜆沢~成木小学校を廃止

路線概要

 [梅78]は、成木小学校への児童の通学のための系統である。一般系統ではあるが、路線設定や運行形態、案内など、あらゆる面で一般利用者を全く考慮しないものであり、実質的に成木小学校専用のスクールバスであった。
 朝。登校の時間帯になると、[梅76]の蜆沢停留所近くの橋のあたりに、集団登校の集合地点のように親子が集まってくる。ここが朝の[梅78]の始発点。車庫から回送でやってきたバスは、当たり前のようにその集団のところに停まり、扉を開ける。親に見送られて小学生が乗り込むと発車。[梅76]のポールにも系統番号や行先の表示があるが、時刻表は無い。毎月、学校の予定に合わせて運行計画が決められるので、学校関係者でないと運行するかどうかすらわからないのである。
北小曽木で通学児童を乗せ、上成木を目指して先へ進む。この系統独自の区間である。北小曽木川沿いの山道を進み、夕倉停留所に着く。しばらく人家のないところを川と戯れながら進み、松ノ木通りに左折してすぐ、橋を渡ると佐藤塚停留所。停留所があるといっても全区間フリー乗降のため、勝手知ったる運転手はいつも児童の乗るところでバスを停めて乗せていた。時に姿が見えないときも、運転手が周りに児童に「今日は休み?」と聞く姿も。
佐藤塚は丁字路になっており、角地には五輪塔と大木が一本。天正18(1590)年に北条氏照が城主の八王子城が前田利家によって滅ぼされ。この地に逃げ延びた家臣の佐藤助十郎らは石灰を商いとするようになる。これが成木地区の石灰産業の始まりと言われ、死後この地に埋葬したのが佐藤塚である。五輪塔には正保2(1645)年の年号が記され、石造りの遺跡としても貴重なものである。
この2箇所がこの路線のみの停留所であるが、実質スクールバス的な系統しか停車しないのに両方向にしっかりポールが建てられていた。このポールには時刻表が貼ってある……と思ってよく見てみると、運行開始時の平成8年4月のものが長い間貼りっぱなしであった。それでも登校時刻は変わらないため、登校便の時刻を推測することは可能であった。
 そのまま名栗方面に進み、少し長めの松ノ木トンネルを抜けると、成木街道に出る。成木小学校は右だが、バスは左折して上成木停留所に寄り道。少しだけ折り返す形で成木街道を東に進み、成木五丁目交叉点を左折。[梅74]と同様に成木小学校前まで行くが、バスは路上の停留所を通過し、すぐ先の信号を左折。小学校の門の目の前で扉が開き、終点となる。さらにその先の左側にスペースがあり、バスはそこで折り返して青梅車庫に戻っていく。下校時の蜆沢行きは、このスペースの中にある上屋のところが乗車場所となる。蜆沢や成木小学校前の乗降場所については、時期によって異なっていたこともあったようだ。
 一般系統なので、途中の[梅74][梅76]の停留所でも客扱いしていた。別の場所で乗降する蜆沢や成木小学校前も同様で、ポールでの乗降も可能であった。しかし、路線自体が児童の通学以外に利用できないような設定であった上、運転日や時刻もまちまちだったため、一般利用はほぼ皆無だったようだ。
また、日によって運用が違うため、完全に独立した運用になっており、車庫からの出入りは柳川始発便同様に小曽木街道経由で回送していた。乗務員も基本的に固定だったようだ。

歴史

 [梅78]は、平成8年の成木地区の小学校統廃合のため、廃校となった青梅第九小学校([梅76]大指バス停)・第十小学校([梅76]北小曾木バス停)の学区域から成木小学校(旧青梅第八小学校)への通学の足として、既存路線では対処できない蜆沢(えびさわ)~成木小学校に開設された。
そのような経緯であればスクールバスとして運行すべきだろうが、なぜか都営バス一般路線扱いで運行を開始したatozd_458。そのため、誰でも乗車が可能であった。青梅地区の都営バス路線全線に対して、青梅市が赤字額の補助を行っているためだろうか。そのような経緯もあり、一時期の路線図のみ掲載されたものの、独自区間があるにもかかわらず、その後は一貫して掲載されていない。唯一、バス停に記載された運賃表や行き先表示のみが、[梅78]を運行していることを示していた。近隣の国際興業の飯能営業所でもスクールバスを運行していたが、あちらは通学専用で一般人は乗車不可というところが異なっている。
 開業以来運行形態は変わらなかったが、児童数は過疎化もあって減少を続け、平成8年度の統合当時は124名いた児童数は、平成21年には63名と半減した。ここで出てきたのが、小規模特別認定校への認定である。これは少人数をメリットとしてとらえ、特色ある学校づくりをして、他の学区域からも児童を受け入れられる制度である。このために学区が拡大したこともあり、既存の系統では対応できないため、スクールバスとして独立して運行するようになり、[梅78]は平成22年3月限りで廃止された。新たなスクールバスは地元の業者で運行されているようだ。
 廃止は東京都交通局のWebサイトには掲載されず、青梅車庫など現地にひっそりと掲示があったのみであった。それ以外では、東京都交通局の系統・運行区間を定める交通局告示などで廃止が確認できる程度である。

蜆沢

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「えびさわ」と読む。蜆ならシジミと読むはずだが、地名とは不思議なものである。途中で「蛯」(エビ)とでもすり替わってしまったのだろうか。
 バス停の前、街道に平行して北小曽木川が流れているが、その対岸に寺院が見えるが、これがこの地名の元となったと思われる蜆沢院である。質素な本堂だが、せっかくなら参拝してみるのもいいだろう。16世紀始め頃に開かれた歴史のある寺で、宗派は曹洞宗で本尊は勝軍地蔵。ただし読み方は音読みで「けんたくいん」。
 [梅78]の起終点なのだが、下校便の行き先表示は手前の「北小曽木」で、蜆沢の文字は側面にカッコ書きで小さく出てくるだけであった。蜆沢ではどこだか分からないという配慮だろうか。もっとも、停留所の行き先表示は「蜆沢」だった。この辺りは都営バスらしい感じと言える。

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