都営バス資料館

王78

[王78]←[66]

担当営業所

杉並支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
王78 新宿駅西口~鍋屋横丁~野方駅北口~豊玉北~大和町~王子5~王子駅 18.270km 34 37 31 33 27 28
王78折返 大和町→豊玉北→野方駅北口→鍋屋横丁→新宿駅西口 13.290km 1 1 1
王78出入-1 杉並車庫~野方駅北口~豊玉北~大和町~王子5~王子駅 14.540km 6 3 4 2 3 2
王78出入-2 杉並車庫→野方駅北口→豊玉北→大和町 9.560km 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
66 S41. 4.20 堀ノ内 18.296km 新宿駅西口~王子駅が開通
66 S41.11.30 杉並 18.296km 堀ノ内営業所の杉並営業所への移転改称に伴い、杉並に移管
66 S47. 7. 2 志村 18.296km 志村に移管
王78 S47.11.12 志村 *** 新番号化、王78とする
王78  S55. 4.20 志村 18.545km 新宿駅西口~中野坂上を中央公園経由から成子坂下経由に変更
王78  S57. 3.29 杉並 18.545km 志村の閉所により杉並に移管
王78  S62ごろ? 杉並・練馬 18.545km 練馬との共管とする
王78  H15. 4. 1 杉並 18.545km 杉並の単独所管とし、はとバスに運行を委託
王78  H18. 4. 1 杉並 18.270km キロ程の修正

路線概要

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 新宿駅西口から王子駅まで、環七を経由して結ぶ。環七の北西部を四分の一周し、途中通り過ぎるエリアは都営バスというよりは民営バスの縄張りだが、都営バスの単独系統。しかも路線長は23区の一般路線では一、二を争う長さの18.3kmと、都営バスの中でも特徴的な路線と言える。新宿駅西口から快調に行っても60分、混雑時は90分かかることも珍しくない。200円均一としてはある意味破格の路線である。
 新宿駅西口を出ると青梅街道に出て、丸ノ内線の上を走り始める。東京医大病院の脇を通り過ぎ、中野坂上、鍋屋横丁、東高円寺と[宿91](新宿駅西口~駒沢陸橋)と同じルートを走る。この部分は[宿91]の項も参照のこと。
 東高円寺駅を過ぎ、高円寺陸橋で[宿91]とは分かれ右折、環七を北上し始める。杉並車庫発着の出入庫の場合はここから本線に合流となるが、王子駅からの入庫は「杉並車庫(高円寺陸橋)」という表示になっている。なお、新宿駅西口~杉並車庫という出入庫については全て[宿91]での運転となる。
 環七は全線にわたり片側2車線以上が確保された幹線道路であるが、この付近で南北を結ぶ幹線道路が少ないこともあり、交通量は終日多い。JR中央線のガードをくぐると高円寺駅入口の停留所となる。線路沿いに駅までは徒歩5分程度と、乗り換えはまあまあ便利だ。
 ここからは関東バス[高60](高円寺駅~練馬駅)や関東・国際共管の[赤31](高円寺駅~赤羽駅)が合流して並走する。少し面白いのは、停留所が一部異なっているところで、都営の「高円寺駅入口」のポールの脇に並んでいる民営のポールは「高円寺中学校」である。また、次の早稲田通りとの交差点付近には「大場通」の停留所があるが、ここ停まるのは関東バス単独の[高60][高63]のみで、[王78]や[赤31]は停まらずに大和陸橋を立体交差で越えていくことも。環七は主要交差点に立体交差が整備されており、交差点をパスすることで時間短縮にはなるが、他系統との乗り換えの利便性は落ちるため、悩めるところだろう。ちなみに、[王78]は高円寺駅入口の次は野方二丁目に停まるが、その次の「八幡前」停留所は陸橋などがあるわけでもないのに、関東バス単独系統のみの停車となり、[王78][赤31]は停まらないの。この区間は都営バスとそれ以外とで、停留所毎にポールが2本建っている。
 八幡前を通過するとすぐに「野方駅南口」(関東・国際は「野方駅入口」)に、そして西武新宿線をアンダーパスした先には丸山陸橋の立体交差が控えているが、側道側にいったん車線変更して「野方駅北口」に停まる。なお、南口や北口といっても駅前にバス停があるわけではなく、特に南口は駅から大きく離れている。西武新宿線乗り換えの放送が入るが、北口のほうがまだ近い。
アンダーパスから陸橋へ向かう本線の流れが切れる一瞬をついて発車し丸山陸橋で新青梅街道を越える。交差点北側の野方消防署には停車しない。
 中野北郵便局を過ぎると道路は二股に分かれ、環七は右にカーブする。豊玉中二丁目では[高60]と別れるほか、本数は少ないが[池65](池袋駅東口~練馬車庫)や京王の[中92](中野駅~練馬駅)とも乗り換えできる。しかし、停留所が各所に散らばっているため、目的のポールを見つけるのが大変かもしれない。
 ここを過ぎると、連続立体交差の区間に入る。まずは目白通りを豊玉陸橋でオーバーパス、豊玉北の停留所に停まると今度は桜台陸橋で千川通りと西武池袋線をまとめて越す。この区間は信号も少なく、快調な走りが楽しめることも多い。
 桜台陸橋を越えると羽沢の停留所で、西武有楽町線の新桜台駅の真上にある。[王78]沿線の乗り換えでは最も便利かもしれないが、運賃や電車の本数を考えると2つ先の武蔵野病院前で降り、数分歩いて小竹向原に乗り換えた方が便利なことが多いだろう。ちなみに、車内放送ではしっかり「有楽町線ご利用の方は~」と
いう乗り換え案内が流れる。
 かつて中野駅からの関東バス[中40]が折り返していた小茂根を過ぎ、上の根橋からは[赤31]の停留所が関東バス仕様から国際興業仕様に変わる。昔から国際興業の一般路線がこのエリアに乗り入れたきた名残でもあるのだろう。今でも本数は少ないものの[池55](池袋駅東口~小茂根五丁目)が走る。ちなみに、国際興業のポールは「かみのね橋」と平仮名になっている。
 そして、板橋中央陸橋で川越街道を越えると「南常盤台」、目の前に見える東上線の線路をアンダーパスしてしばらく走ると「中板橋駅入口」の停留所がある。東上線の乗り換えについては、実は南常盤台~ときわ台駅のほうが距離は近く、車内放送でも東上線の乗り換え案内を南常盤台で流している。この辺り、昔からある街道ではなく、主要なポイントも立体交差で通り抜けるため、なかなか分かりやすい乗り換えポイントがないことの裏返しとも言える。
 富士見町都営住宅の先では国際興業の[王54](王子駅~上板橋駅)が合流し、王子駅まで並走する。次の主要交差点である大和町でも中山道を越える陸橋を渡る。首都高との二重立体交差になっており渋滞有名ポイントであもある。陸橋を下りると「大和町」の停留所なのだが、中山道上の大和町停留所や三田線の板橋本町駅とは400mほど離れており、乗り換えには5分以上歩かなければならない。ちなみに、ここには陸橋の手前に謎のポールがあるのだが、別の項で記そう。
 大和町を発車するとすぐに稲荷町、その先に立体交差が見えるが、初めて陸橋を通らずに側道を通り、十条駅から伸びる道路と交差する姥ヶ橋(うばがはし)の停留所に停車する。橋の名は付近を流れていた稲付川に架かる橋だが、いつしか暗渠となり、今や陸橋を指す名前と言っても過言ではない。
 ここから先の環七は既存の道路を拡幅した部分となる。埼京線を越え、中十条四丁目を過ぎるあたりが台地の端で、坂道で下りながら京浜東北線や東北本線をまたぎつつ東北新幹線の下をぐくり、坂を下りきった東十条四丁目で長らく並走した[赤31]と別れる。並走区間の高円寺駅入口~東十条四丁目では[赤31][王78]の3社局に使える共通定期を発売中だが、区間が中途半端ということもあって使う人は少ないようだ。
ここを過ぎると神谷陸橋の側道に入り右折し、環七ともお別れして北本通りに入る。他の都営バスの各系統とも久しぶりに顔を合わせるようになるが、北・千住営業所の系統が中心で、杉並からは遠く離れたことを実感する。
 王子五丁目で王子五丁目団地の建物群を右手に見ながら南下すると、終点の王子駅まではもうすぐである。バスは北本通りを横断し、王子駅前のロータリーに入って終点となる。

歴史

 東京の周縁部を環状に結ぶ環七の計画は、昭和初期に東京市が策定した道路計画に盛り込まれるなど出自は古いものだったが、戦時中に計画は凍結されたまま、しばらく放置された。転機となったのは昭和39年の東京オリンピックの開催で、羽田空港と会場となった駒沢オリンピック公園、戸田ボートレース場などを結ぶ道路として西側部分は急ピッチで建設が進められ、オリンピック開催時には大森から神谷陸橋までの部分がほぼ完成していた。
 東京は環状方向の鉄道が貧弱だったこともあり、環状道路を経由して、新たな需要を発掘する狙いもあったのだろう。沿線の各事業者は、エリアが複数社に跨っていることもあり、それぞれ路線の開設申請を行った。結果的に、北西部についてはそれぞれの事業者に路線の開設が許可され、昭和41年4月に揃って3系統が開通した。
現在の[高60](高円寺駅北口~練馬駅、関東・京王)、[赤31](赤羽駅~高円寺駅北口、関東・国際)、そして[66](現[王78])である。これ以外に西武の運行で西武百貨店(池袋)~豊玉中~高円寺駅という系統も存在したが、ごく短命に終わっている(図)。[高60]・[赤31]は共同運行だったが、[王78]は都営バスのエリアとは離れた部分が大半であったにもかかわらず、単独運行となった。起終点の新宿駅西口・王子駅が都営バスのエリアであったのと、環七の区間は特別扱いで、既存の事業者のエリアに囚われない扱いだったのだろう。
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▲環七開業時の都営・民営バス関係路線
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 運行区間は当初から完成されていたこともあり、大きな経路変更は行われていない。唯一挙げるとすれば、昭和46年から昭和55年まで新宿駅西口付近の経路が異なっていたことがある(上図)。具体的には、新宿駅西口を出発後、青梅街道に出たらすぐ新宿警察署を左折し、新宿三井ビルの前あたりに「水道局西部支所」という停留所があった。その先の京王が停まる新宿住友ビル停留所は無視し、次のブロックのヒルトン東京ホテルの前の「中央公園入口」停留所に停まり、ホテルに面する中央公園北交差点を右折し、成子天神下で左折して青梅街道に合流していた。
 もともとは、昭和43年11月に[6](阿佐ヶ谷駅~豊洲埠頭)がこの経路を取るようになったのが始まりだが、昭和45年3月に[6]が廃止され、この系統に引き継がれたものと思われる。一時期は前面に「副都心経由」の札を掲げていた。将来の新宿副都心の開発を見込んで経由していたものかもしれない。しかし、京王バスに任せておけばいいということになったのか、昭和55年には青梅街道を直進する現在の経路に戻された。
 所管は何度か変更されている。開通当初は堀ノ内、後に移転により杉並が持っていたが、昭和47年に所管系統数のバランスを取ったのか、志村に移管された。出入庫は大和町発着で行っており、大和町からは中山道経由で志村車庫に入っていた。当時志村の持っていた[王54](王子駅~常盤台教会)と大部分並走するため、共通運用にできるということもあったのだろう。現在でも大和町始発があるのは、この当時の名残でもある。
 昭和57年には志村が閉鎖され、再び杉並に戻された。しかし、昭和62年頃には、路線長が長く運用数がまとまって必要になるためか、練馬との共管になった。この時代の複数営業所での共管は都営バスでは珍しい。練馬担当の出入庫は豊玉北発着となり、豊玉北~練馬車庫は回送していた。練馬はちょうど路線の中央に位置することもあり、都合が良かったのかもしれない。
 その後は時代に応じて杉並・練馬の運用比率が変わったが、この共管は約15年続いた。平成初期は練馬の比率のほうがかなり高かったが、平成12年の大江戸線改編で杉並の他の所要台数が減るために、[王78]の受け持ちを増やした。
この状態に大きな変化が起こったのは平成15年の杉並のはとバス委託のときで、練馬との共管は解除され、杉並の単独に再び戻った。はとバス・直営との共管ができなかったことや、[王78]は赤字系統だったことも委託の要因だろう。
 収支の面では、均一運賃の系統ながら、系統長が18kmと長く、利用者の平均乗車距離も長いと思われ、なかなか厳しい系統である。収支係数は平成初期でも120~150と都営バスの中では悪い方であった。それでも廃止や見直し対象にならなかったのは、路線を分割できるような乗客流動でなく、路線ネットワーク形成のために維持すべき路線、という扱いだったからなのかもしれない。
 ただし、運用の効率化は大きく図られている。昭和時代は原則として路上交代を行わないため、杉並車庫~王子~新宿~王子~杉並車庫、もしくは杉並車庫~新宿~王子~新宿~杉並車庫と本線を1往復するたびに休憩が挟まるような運用が中心だった。この名残は平成15年の委託時には比較的残っていたが、翌平成16年4月の改正で王子駅~杉並車庫の出入庫は早朝深夜のみとし、それ以外は高円寺陸橋での乗務員交代、もしくは新宿駅西口~杉並車庫での出入りに改めた。
 平成7年度に赤字による適正化で本数を減らしたものの、本数もそこまでは減便されておらず、新宿~王子の通し運行が1時間あたり2~3本と実用的なレベルを保ちながら開通時と姿を変えずに走っている。環七北東部を走る[王30](王子駅~亀有駅)が本数減を繰り返してついには分割されてしまったのとは対照的である。道路混雑も環八の全通、首都高速中央環状線の開通などで緩和されたのか、平日全線の最大所要時間でみて所定75分(昭和末期)→65分(現在)とスピードアップしている。都営バスの23区内の路線では最長の座を保持しているが、今後とも走り続けることを願いたい。

幻の大和町

 大和町停留所は環七と中山道が交差する停留所で、あるが、本線の停留所は交差点の東側約400mの位置にある。しかし、交差点西側都営バスのポールがあるのをご存じだろうか。実はこれ、大和町止まりの降車専用の停留所で、ここで乗客を降ろした後は大和町の交差点でUターンして反対車線に移る。折り返しは大和町に停まれないため、次の富士見町都営住宅始発となっていた。……はずなのだが、いつしかこの停留所には停まらなくなり、大和町どまりのバスも陸橋を越えて本線の停留所で降車させた後、一つ先の姥ヶ橋陸橋でUターンして、本線の大和町停留所から客扱いをするようになった。そうなると、元の降車専用ポールは役目を終えたはずなのだが、なぜか今でも新型のみんくるポールがちゃんと現地に立ち続けている。幻の停留所となってしまったが、活用される日は来るのだろうか。

豊玉中

 バスの路線図では「**中学校前」という停留所名を「**中」と略して表記するものがみられる。都営バスの「みんくるガイド」においても同様である。王78の停留所名をたどっていくと、「豊玉中」という表記があり、「豊玉中学校前の略だな…」なんて考えると大間違い。実は、「とよたまなか」という地名が停留所名になったもの。すぐ隣に「豊玉中二(丁目)」があるので類推できるが、「豊玉中」のすぐそばに豊玉中学校が実際に存在するから余計にまぎらわしい。

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