都営バス資料館

低床-低床車のはじまり

昭和46年度(Y代)に初めて導入されたのが、本格的なワンマン化を見据えた(都市)低床車である。
都電やトロリーバスに代わる交通機関として、ワンマンバス本格化時代を見据えて乗客が乗り降りし易く今後のバスの基本になるというコンセプトから生まれたものである。車内事故防止のため、三方シートを廃止して前向きシートが久々に復活となったほか、ステップ高が大幅に変更され、前扉からの乗車時にも非常に乗りやすいものになった。運賃箱の設置するスペースも考慮したデザインとなっている。
いすゞ(BU06D改→BU05D)5輛、日野(RE100低)3輛が導入された。特にいすゞは従来と変化した点が大きい。昭和44年の東京モーターショーにて発表された低床車で昭和45年より市販された。
床面が100㎜低くなり、前扉の広幅化とともにワイドステップ構造の採用や中央から観音開きになるグライドスライドドアが採用され、前扉からの乗車が非常に行いやすいものとなった。また、中扉は三分割して上の2枚にガラスをはめ込んだものを採用し、車内の採光も図られた。しかし、しばらくしてから中扉中央部分の下部のガラス(2枚目)は車外から足元が丸見えであるとの事から青色シールで目隠しされてしまった。
日野車もボディが15cm低く、ステップも低くなったために乗降がしやすくなった。車内は前向き座席を採用した。いすゞ車とは異なり従来車をそのまま低床車にした感じが強く、新たに新機軸を採用した点は少なく奇抜さは欠けるものの低床車の普及に期待された車である。
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▲G-Y404 いすゞ(タ)
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▲G-Y400,402(タ)
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▲A-Y407 日野(n)
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▲A-X490(n) 塗り分けの線がよく見ると異なる

昭和47年度(Z代)では三菱の低床車(MR410改)が青戸・新谷町に1輌ずつ、日デの低床車(4R105改)が志村に8輌、練馬に1輌、江東に51輌導入されて4メーカーが揃った。日デ車は富士重工ボディーが3E(13型)車体にモデルチェンジした。ワンマンバス用の前面スタイルを持つ車として新たに追加されたボディで、方向幕周りの処理が今までと大きく異なり、ワンマン機器の装備や広幅ドアという新世代の装備にも対応した。
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▲T-Z401 三菱低床車(タ)
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▲L-Z497 日デ低床車(タ)

同年度の日野車は、試験的に前扉の幅を広げた車を4輛のみ葛西に採用した。扉ガラスはそのままの幅だったので不自然にガラスが寄った扉になり、A代(昭和49年度前期)は全車広幅扉になるもガラス配置はそのままだったが、B代(後期)からは解消された。

▲A-A586 (タ)

次の採用となった昭和49年度(A・B代)からは全車が都市低床となり、バスの乗り降りしやすさに大きく貢献することとなった。いすゞの低床車の前扉は、コストの関係か普通の折戸に戻っている。以後、グライドスライド扉はP代(昭和61年度)の都市新バス仕様まで待たなければならなかった。

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