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▼ガタリさん:
>では、交通局に、島しょに路線を作る計画は出たことがあるのでしょうか?あるいは、出たことがあるのなら、それがなぜなくなってしまったのでしょうか?皆様、ご回答お願いします。
こんにちは。
交通局40〜80年史を改めて読み返してはいないのですが、特にそのような記述があった記憶はないのですが、特に計画自体存在しなかったのではないかと思います。
もともと、東京都交通局は昭和18年までは東京市電気局と名乗っていたことからも分かる通り、東京市(=現在の東京23区)を営業エリアとする公営企業でした。それが、太平洋戦争中の統制強化により、交通調整という名目で会社ごとにエリアを厳格に分けることとして、現在の赤羽〜池袋〜渋谷〜品川より東側、という区分けが固まります。
さらに、昭和18年に東京は都制を施行し、東京市という存在が消えてしまったために一段階上の東京都交通局と名乗ることになりました。これも首都東京の統制強化を狙ったものと言われています。他の政令指定都市であれば、〜〜市〜〜区となるところですが、東京23区(当時は35区)は〜〜区だけの住所、というのはこのときから始まりました。
このため、名前は東京都交通局ですが、エリア等の面では、実質的には東京23区交通局という存在であったものと思います。そのため、23区より外側のエリアについては積極的に路線を拡張することはなかったのではないかと。(戦後の民営各社との相互乗り入れ路線については、あくまで民営と手を組んだから出来たことだと思います)
島部のバスについては、伊豆大島については昭和10年に大島観光事業というところがバス事業を始めたのが最初のようです(昭和23年に東海汽船グループに吸収)。既に民営の事業者が存在している状況で、あえて都営が乗り込む意義はないと見るべきでしょう。(島部は戦時中の交通調整の対象外だったはずです)
それ以外の島については調べきれていません。ただ、実質的なエリアが23区であった交通局にとっては、島部にエリアを伸ばすことはあまり考えに入っていなかったのではないかと思います。
#八丈町営バス等がいつ頃から走り始めたのは興味あるところですが
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