中型車の立73(昭和59年8月)

撮影=naganoさん、提供=想い出の志村さん

 [立73]立川駅北口〜八王子駅北口は、昭和24年12月に京王と相互乗入で開通した[302]系統(新宿駅西口〜八王子駅北口)という長大路線のうち、昭和46年に都心側を全て切り捨てて出来上がった路線である。完全に都営エリアから外れた路線でありながら、都営単独で運行を行っており、担当営業所も八王子駅近くにある新宿営業所八王子支所が担当していた。八王子支所はこの路線のためだけに作られた支所で、後年はこの地域の特定輸送も行っていた。このへんのいきさつについては、八王子支所の紹介や、掲示板の過去ログも参照されたい。

 しかし、分断後も不採算路線であることには変わりなく、収支係数は昭和54年度は154、55年度は216、56年度は163、57年度も163……と常に最下位近くにいた。都営単独で離れた地域の事業を行うには限界があるということか、昭和59年度に青梅支所の運行する各系統とともに、沿線自治体が赤字分の負担を行うという締結を交わした。同時に、長らく新車の入らなかった八王子支所にも新車が入った。都営バス初の中型車で、型式はいすゞP-LR312J。X-N807〜X-N813の合計7台が導入され、輸送の任にあたった。


立川駅北口にて(N811)。右側には京王の運行する[立63]立川駅北口〜高幡不動駅が少しだけ映っている。末期は半数が立川駅北口〜日野駅という折返運行だった。


今度は後ろから(N811)。立川駅北口では、ターミナルから少し離れた丸井前の停留所から発車していた。


本線の「八王子駅北口」の幕を掲出するN809。ワンマン札の右上に掛かっているのは「立川駅北口〜日野橋南詰 共通定期券取扱車」というような表示であろう。上でちらっとうつった[立63]と共通定期の取扱をしていた。よく考えたら日野駅〜八王子駅も共通券の取扱をしてもよさそうなものだがしていない。明神町〜八王子駅の経路がわずかに違うからだろうか?


N代が入る以前は、昭和46年度導入のX代10台で運行されていた。ちょうど新宿〜八王子が立川〜八王子に分断されたころに導入された車で、それ以前は13台在籍していた。その後、N代の新車が入ってもX代は3台が残り、これが輸送にあたることもあった。この当時は申告制先払いで、整理券方式は存在しなかった。写真の車はX-X677。

 しかし導入のわずか1年後、沿線3市のうち日野市だけが予算を計上し、八王子市・立川市は予算を計上しなかったために、[立73]は存続できないことになり、昭和60年12月14日の運行をもって廃止されてしまった。八王子支所自体は昭和60年度の終わりまで特定輸送のために存続したものの、配置されたばかりの中型車7台は親である新宿支所に引き取られていった。当時の所管路線は[田70]田町〜新宿、[宿74]新宿〜女子医大、[秋76]新宿〜秋葉原の3路線しか所管がなく、[秋76]で専ら朝夕に活躍することが多かった。
 その後昭和61年4月に[四80]四谷〜アークヒルズが開通した後は主に[四80]で使われたが[四80]も乗客が増加してきたため、昭和61年末にお隣の小滝橋営業所に転属することになり、代わりにE-M111〜117のいすゞ大型車7台を小滝橋から転属させる(バックミラーは1週間ほどで付け替え)ことで解決した。小滝橋に移籍した後は[東71→高71]高田馬場駅〜九段下(〜東京駅北口)に使われ、平成6年秋にA500〜A506の新車と入れ替わりに除籍されるまで小滝橋管内で活躍した。さらに余談だが、小滝橋への移管は[東71]が大久保駅発着から高田馬場駅発着に変更される直前だったため、ごくわずかな期間だけ「[東71] 大久保駅」の表示を出して走る姿を見ることもできた。