撮影=naganoさん、提供=想い出の志村さん、平井さん
昭和59年3月31日(土)、ついに都市新バス[都01]系統が開通した。これに合わせて渋谷営業所では都市新バス仕様の新車を33台一気に導入(M200〜M232)して、[都01]の運行はこの専用車のみで賄うこととした。また、前項で述べた経路変更とともに「霞が関三丁目」「新橋駅北口」の停留所を増設した。前者は溜池〜虎ノ門の停留所間が開いていたこと、また新橋駅北口は新橋ビジネス街地区へのアクセスを良くする目的で増設されたものだろう。
同時に渋谷駅前のバスターミナルでは盛大に開通式が執り行われた。普通の新規系統でもこれほどのものは行わないところから見ても、いかに交通局が都市新バスに力を入れていたかが分かろうかというものである。正に社運を賭けた(社ではないが)プロジェクトと言えるだろう。
ところで3月31日に実施したというのが少々興味深い。普通ならキリの良い年度始めの4月1日に行うところだろうが、色々と事情があったのだろうか。
[都01]パンフレット(表)
[都01]パンフレット(裏)
都市新バスの開通に合わせて制作されたパンフレット。バスロケーションシステムのポールも今や3代目である。
渋谷駅ターミナルにて。開通式のテープカット前に鎮座するのはB-M210。右手に見える上屋も[都01]の開通に合わせて整備された。
別の角度から。後ろに見える東急東横線のターミナルは今と全く変わっていない。他の車がほとんど見えないが、早朝に行われたのだろうか。
車内。セパレートタイプの背もたれの高いシート、大型窓、ワイドドア、そして都営では初の採用となった次停留所表示機など、今までの車とは格が違うことを感じさせる。
渋谷駅を発車するB-M222。このときから前面・背面幕とともに「溜池経由」から「六本木経由」に改められた。
乗り場前で待機するB-M210。
このようにして出来上がった都市新バスだが、効果ははっきりと出始めた。昭和58年度の[橋89]の一日平均乗降客数は15,668人だったが、昭和59年度の[都01]のそれは23,493人と5割増に、昭和60年度は24,923人、昭和61年度は27,411人とうなぎのぼりに上昇した。さらに赤坂の再開発地に赤坂アークヒルズが出来たこともあって新橋側の乗客も増え始め、効率の良い輸送が行えるようになった。平成に入ったころには朝ラッシュ時限定で渋谷駅〜南青山七丁目の折り返し便も開設されて、名実ともに都営バスのエース系統へと成長した。ダイヤ改正に伴う増便で、車のほうも昭和61年度にR代車が7台増備、また昭和62年度にS代車が2台増備、平成元年度にもV代車が2台増備されて合計最大44台体制での運行となった。
とえいこうつうNo.61(昭和59年4月発行)の表紙。この時代は地下鉄が表紙になることが多かったが、さすがにこの号の表紙は[都01]である。
↑画像をクリックすると全体画あり。
ところで、最初の画像を見ても分かる通り、前面のアンドン部には「都市新バス」としか書かれていなかった。そう、まだこのときは愛称がなかったのである。開通に前後して交通局は愛称を一般公募した。1等が「5万円(または5万円相当)」というのが少し気に掛かるが、まさか一日乗車券100枚だったりはしない……と思いたい。それはともかく、多数の応募の中から「グリーンシャトル」が選ばれて、同年8月1日から前面のアンドン部にシンボルマークをつけて走り始めた。後年に出来た都市新バスも、「グリーン」の名前を踏襲することになった。
都市新バス自体も、[都01]に引き続いて昭和61年に[都02]が、昭和63年に[都03]〜[都05]という調子で、[都08]まで合計8系統が開通した。ちなみに、[都02]以降は国の補助を受けない交通局の自前整備で事業を行っている。いずれの系統も専用車による運行やバスレーンの整備やバスロケーションの整備は[都01]と同様であった。ただし、シェルターの設置やバスロケを置く停留所数、そしてバスレーンの整備といった面を考えると[都01]のときよりもやや物足りないところもあったが……。
どんどん乗客数が減っていく当時の都営バスでも、やり方次第では客を取り込むことができるという成功体験は交通局や現場にとって大きな励みになったに違いないだろう。[都01]は平成3年度に33,210人/日というピークを迎えた後はバブル崩壊の影響もあって少しずつ減少し、地下鉄の溜池山王駅開業や大江戸線の開通で影響を受けて平成12年度には20,000人/日に落ち込んだが、近年の六本木ヒルズ開業でまた少しは盛り返しているものと思われる。
車両においては、最近の増備車はもはや一般車と全く変わりなく、違いと言えば前面部の「グリーンシャトル」の札がついているかいないか程度の違いしかない。これも、グレードダウンしたというよりもむしろ他の一般車のグレードが追いついてきたと見るべきだろう。他の設備でも、例えばバスロケーション・運行管理システムも全系統に整備(除青梅地区)されるようになり、次停留所表示機も全車に設置されるなど、サービスの牽引役だったものが発展的解消をとげたと考えられる。これから考えても、基幹路線としての都市新バスの意義は果たされたと言えるだろう。