昭和57年12月26日改編(その1)

撮影=naganoさん

東京都交通局は、昭和30年代末より急速に悪化した事業環境や経営不振に対処するため、昭和41年度〜48年度に第一次財政再建を、また昭和52〜54年度に第二次財政再建の中で収支を良好にすべく既存の多くの系統を廃止、分断してきた。これらの大ナタも昭和55年3月の新宿線新宿延長に伴う改編で一段落したかと思われたが、まだこれだけでは終わらなかった。その後に第三次財政再建計画が策定され、昭和57年12月26日におよそ16年にわたる財政再建の総仕上げとして大規模な路線改編が行われたのである。この改編では廃止が5路線(うち新規路線でカバーしたもの2)、新設が2、短縮が10、経路変更が2と多岐にわたった※。具体的には、次の通りである。
※…公式発表では上の通りであるが、実際は新設路線といっても統合したものや既存の路線の形を変えたものであり、どうカウントするかによって異なる(公式では新設路線は[反96][海01]という扱い)。純粋な新路線というのは存在しない。
このページでは下のように分類し、何篇かに分けて紹介する。

新設 [反96]五反田駅〜高輪・一ノ橋循環
廃止 [門19乙]門前仲町〜豊洲鉄鋼埠頭
[東26]東京駅八重洲口〜葛西車庫
[東42乙]南千住〜岩本町
[里48乙]日暮里駅〜根津1/日本医大病院〜文京区役所
[中77]中野区役所〜新代田駅
[橋78]新宿車庫〜新橋駅
[東96]五反田駅〜高輪〜東京駅八重洲口(一部区間[反96]代替)
統合 [銀86]渋谷駅〜豊海水産埠頭、[東16]東京駅南口〜勝どき5を統合し
[銀16]東京駅南口〜豊海水産埠頭とする
[北47]北千住駅〜竹ノ塚駅、[北48]北千住駅〜足立清掃工場を統合し
[北47]北千住駅〜竹ノ塚駅〜足立清掃工場とする
[海01]品川駅東口〜海上公園、[門19丁]門前仲町〜海上公園を統合し
[海01]品川駅東口〜門前仲町とする
短縮 [錦11]錦糸町駅〜有楽町駅を錦糸町駅〜築地に短縮
[上37]青戸車庫〜須田町を青戸車庫〜上野松坂屋に短縮
[飯64]小滝橋車庫〜東京駅北口を小滝橋車庫〜九段下に短縮
[池65]練馬車庫〜池袋サンシャインシティを練馬車庫〜池袋駅東口に短縮
[楽67]池袋駅東口〜有楽町駅を池袋駅東口〜一ツ橋に短縮
[浜95]品川車庫〜四谷片町を品川車庫〜東京タワーに短縮
変更 [茶60]池袋駅東口〜御茶ノ水駅東口のサンシャインシティ経由を取りやめ

廃止1:橋78(新宿車庫〜新橋駅)

始発・終発 新宿車庫発6:30〜21:07/新橋駅発7:00〜21:40
間隔 朝4〜9 昼9〜11 夕7〜13
乗車人員(昭和56年度) 3,510人/日
収支係数(昭和56年度) 179(ワースト6)

 [橋78]は、新橋駅から外堀通りをなぞるように四谷見附まで進み、後は新宿通り・甲州街道を進んで新宿車庫まで達する系統である。新宿駅では西口バスターミナルに入らず、今は存在しない南口を経由しているのが特徴である。もともとは[111]系統として、京王と相互乗入を行い甲州街道を先まで進んだ下高井戸を終点としていたが、末期には水道横丁から井の頭通りに入った永福町を終点とし、定時性や採算性の悪化で昭和46年には分断された。京王は[宿43]新宿駅西口〜西参道〜笹塚〜永福町という路線になったが、自社鉄道線とえんえんと並行するだけの路線のため、昭和49年頃にはさっさと廃止されている。

 都営側もなんとかがんばって運行を続けてきたが、新宿駅南口や四谷、虎ノ門一帯などの渋滞多発地帯ばかり通過することや、丸の内線・銀座線という古くからある地下鉄と完全に並行しているということもあって、営業成績は常に下位のほうであった。むしろ、昭和57年まで生き残ったことが奇跡かもしれない。そういうわけで、全線あっさりと廃止されてしまった。伊勢丹の角の新宿3交差点は通るのだが、経路の関係で新宿追分には停まれなかった。東口の商業地地帯を避けるようになってしまっていたのも痛かったのかもしれない。
 新橋から山王下以遠に行く系統はかつては色々とあったのだが、これで全滅したことになる。また、新宿三丁目〜角筈二丁目の区間もこの系統の廃止をもって一般路線バスの運行はなくなった。かつては西側からやって来る京王バス・関東バスなどが新宿伊勢丹行きとして南口・伊勢丹・歌舞伎町などを一周する形で西口から向こうにも足を伸ばしていたが、昭和50年代前半までに相次いで廃止されたのである。南口の停留所は上下とも今のミロードデッキと南口前の交差点の間にあったようだ。なお、新橋駅では現在の[都01]ののりばあたりから発車していた。


新宿車庫で出庫を待つC-B419号車(と思われる)。


新宿車庫前の停留所。[橋78]廃止のお知らせが立てかけてある。かつてはこの形の停留所もあちこちにあったのだが……


赤坂見附にて(C-F184)。バス専用道路になるのは新橋方面のみなので、赤坂見附から山王下方面を向いて撮ったものということになる。


新橋駅にやってきた[橋78](C-G418)。写真に見える虎ノ門側は今も昔も変わらぬビジネス街だが、まだ写真裏側の汐留は広大な貨物駅で、殺風景な景色が広がっていた。

廃止2:中77(中野区役所〜新代田駅)

始発・終発 中野区役所発7:00〜21:30/新代田駅発6:27〜21:00
間隔 朝16 昼16〜28 夕15〜17
乗車人員(昭和56年度) 2,294人/日
収支係数(昭和56年度) 172(ワースト7)

 [中77]は、中野区役所から関東バスの五日市街道営業所方面と同じように甲州街道まで出た後、今度は[宿91]と同じように環七に出て新代田駅まで走る路線である。この経路でも想像のつくように、かつては関東バスと相互乗入を行い、中野駅から江古田駅まで伸びており、江古田駅〜中野駅〜代田橋という路線であった。
 中野駅から先は、茂呂線[中10]と同じように新井薬師駅、哲学堂、丸山営業所まで進んだ後、江古田2を左折して江古田駅まで達していた。これが昭和52年の再編成で相互乗り入れを取りやめることになり、左図のような路線に姿を変えたのである。同時に代田橋から新代田駅まで延長されたが、多分相互乗り入れ時も代田橋から新代田駅まで回送で行って新代田駅ターミナルで折り返していたための措置ではないかと思われる(推測)。

 終点は中野区役所となっているが、多分区役所と中野サンプラザの一角を回るように折り返していた思われる。本当なら中野駅南口のターミナルにでも入れればいいと思うのだが、中野駅乗り場も他の民営バスとは離れた南口マクドナルド・丸井前に停留所が設けられており、ターミナルに入れなかったための措置かもしれない。

 相互乗り入れをしていた当時は中央線をまたぐ需要も少しはあったと思うのだが、短縮後は特徴の薄い路線になった。環七から見た場合、手っ取り早く近くの国電駅に出られる路線であることは確かなのだが、[宿73][宿91]新宿駅西口行きが幹線格で多数の本数が走っていたことや、代田橋・方南町近辺からなら京王のバスが頻発しており、東高円寺駅以北なら関東バスのほうが便利だということでこの系統固有の利用客は少数だったはずである。間隔も昼間30分間隔と当時にしてはとても少なく、さらには中野駅の乗り場が他社よりも遠いとあっては苦戦を強いられるのは当たり前であろう。新代田駅からさらに南側まで行くとなれば話は別だったかもしれないが、一般系統ではほとんどビリの採算性ということもあって、さしたる代替措置もなく廃止されてしまった。


新代田駅ターミナルで休むD-G478。日野のK-RE101WRだ。中野駅(中野区役所)という表示は面白い。


[宿73]とともに別のアングルから(当時は新宿〜新代田が[宿73]、新宿〜大森が[宿91]と名乗っていた)。他にこの操車所を使っていた系統は[高79](高円寺駅北口〜代田操車所)があるが、昭和52年に廃止されている。


今度は中野区役所脇から。

廃止3:門19乙(門前仲町〜豊洲鉄鋼埠頭)

始発・終発 門前仲町発7:19〜8:06
豊洲鉄鋼埠頭発7:59〜8:26、16:45〜18:30
(日祝日運休)
間隔 *

 現在、再開発に向けてゆりかもめの延伸工事が進む豊洲埠頭。もともとは船をつけて鉄鋼材などを積みおろしするために整備された埠頭であり、東京電力の火力発電所や東京ガスの工場があった地域であった。できた当時はもちろん地下鉄などあるわけがなく、通勤の便を図るために昭和38年に東京駅南口〜日本橋〜門前仲町〜豊洲鉄鋼埠頭として開通したのが始まりである(その後昭和51年に門前仲町までに短縮)。通勤用路線のため、朝夕のみの運転で、休日は運休となっていた。さらに末期は、門前仲町発は朝のみの運転だったようだ。それが詳しい理由は明らかではないが、送迎バスなどの運行が整備されたためか、利用者が少なくなったためとは思うがこの改編をもって廃止されることになったのである。

 この豊洲埠頭にあった施設らしい施設といえば東電の火力発電所(現在はない)と東京ガスの工場、そしてガスの科学館の3つくらいであり、少し前までは東京の中でも1・2を争う殺風景かつ人気のまったくない空間であった。現在は豊洲埠頭を横切って晴海埠頭と有明をつなぐ橋の架橋工事や、豊洲駅に接続するゆりかもめの延伸工事が行われており、あと数年もすると見違えるようになるのかもしれない。築地中央市場も平成20年代にはこの埠頭に引っ越してくるようである。ゆりかもめの登場でおよそ25年ぶりにこの地に公共交通機関が復活する(仮称:豊洲(1)駅は豊洲鉄鋼埠頭停留所のあったすぐ近くである)が、果たしてこの埠頭に都営バスが復活する日は来るのだろうか?


朝日を受けて門前仲町で出発を待つ[門19乙]。S-X412だ。


終点の降車場で休憩する。うしろの「東京鉄鋼埠頭」は会社の名前で、港湾運送や港湾荷役などの事業を行っている。