この系統は「全線2区」です(昭和60年)

提供=想い出の志村さん

 昭和53年10月1日に都営バスが90円均一から110円均一に値上げして以来、都営バスと民営バス各社の均一運賃には格差ができるようになった。詳しくは運賃の変遷の「都営バスと民営バスの運賃」の項を参照してほしいが、運賃の違う系統が同じ地域に走るというのは都合が悪いということか、区界となる停留所を設定し、都営エリアと民営エリアで運賃を変えることにしたのである。昭和49年10月1日の運賃改定で都区内都営バス路線は全線均一になったが、このときより形を変えてではあるが「2区運賃」が復活した。上はそのときの運賃箱に架かっていた札である。昭和50年代には何回も運賃改定を繰り返したため、運賃の部分が何重にもシール貼りされている。ちなみに下の「D428」はこれが架かっていた車で、昭和51年度導入で志村配置、志村の閉所時に北に移動した車である。

 さて、上の系統はもちろん[王40]なのだが、区界停留所が宮城二丁目というのが面白い。西新井近辺は民営エリアということになっているのだが、荒川土手ではなく江北橋を渡る手前の宮城二丁目と設定された。また、上のプレートを裏返すと下の写真のように[東43]用に早替わりする。こちらも宮城二丁目が区界となっていた。


[王45]用。千住桜木から北千住駅側も何と民営エリア扱いだった。こちらはシールではなく、そのままペンで修正している。

民営エリア内を走る系統の区間は次の通りである。[宿91]のように、全線にわたって民営エリアで「ちょっとお徳」な系統もあった。というか杉並管内はほとんどが民営エリア内で、都営運賃となる系統は[銀71]新宿駅西口〜晴海埠頭だけであった。また、山手線より西側は原則として民営エリアだが山手線の外側に飛び出る[早81]や当時の[学06]は都営エリア内となっていた。さらに、[新小24](東新小岩4〜篠崎町〜今井)のように、両側が民営バス運賃となるために全線3区となる面倒な系統も存在した。この時代は、無料配布の「都バス・ガイドブック」等路線図にも、どのエリアが民営バス運賃かということが地色の違いで明示されていた。

しかしこの運賃制度も、昭和61年4月2日に民営の値上げで都営・民営ともに160円になった後は、常に都営のほうが安いか都営と民営が同額となったため、この制度やプレートもおよそ7年半で自然消滅した。現在は[東98]の東急担当便の目黒駅〜東京駅南口間などで、これの逆バージョンの運賃設定を見ることができる。